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樹海の糸 ~3~

Category『樹海の糸』
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友達の延長でいいとの宣言通り、それからのあたし達はゆっくりと距離を縮めていった。昼休みになると、非常階段や音楽室でともに時間を過ごした。
あたし達は、会う度にたくさんの話をした。
あたしは驚くほど彼の世界を知らなかった。
そして、花沢類も驚くほどあたしの世界を知らなかった。
価値観も世界観も何もかもが、面白いほど違うあたし達。
花沢類のことを知れば知るほど、あたしはどんどん彼に魅かれていった。
彼は無口で無感動な人だと思っていたけれど、実はそうじゃなかった。

ちょっとしたことで笑い上戸になる。実はかなりのテレビっ子。
興味のないことはそもそも覚えない。けれど、観察眼はなかなかのもの。
マイペースだしテンポはゆっくりだけど、話や状況を整理して説明するのがとても巧い。
―そして、何より嘘をつかない。

そうした日常が2ヶ月ほど過ぎる頃には、彼があたしを好きだという気持ちを疑うことはもうなくなっていた。
あたしはダメだと思いながらも、彼の魅力に雁字搦めに囚われて、もう引き返せないところまできてしまっていた。


あの日、花沢類に憤慨して消えた道明寺は、しばらく学園に姿を見せなかった。
フォローに走った西門さんと美作さんが、何を、どんなふうに言ってくれたのかは分からない。けれど次に会ったとき、道明寺は真っ先にあたしに赤札のことを謝罪してくれた。
天地がひっくり返るほど仰天した。
赤札が完全に撤回されたことで、周囲の人間の態度はあからさまに変わった。
これまであたしを追い回し、攻撃をしてきた生徒達がこぞって阿るようになったとき、…正直吐き気を覚えた。


英徳学園におけるヒエラルキーの頂点に位置するF4。
彼らに相対する生徒達の、表と裏の顔。…それをまざまざと見せつけられて。
まるで社会の縮図だった。
あたしは、無視されたり虐められたりする以上に、ここでの学園生活をつらく感じた。


花沢類には言えないことだったけれど、その少し前から牧野家の経済事情はひどく逼迫していた。パパの会社の経営が悪化の一途を辿っていたのだ。
夏のボーナスがどれくらい少なかったのかをママはずっと嘆いていた。
あたしは、英徳の学費がうちの家計に占めている割合を知っていた。だからアルバイトを欠かさずにいたけれど、火の車になりつつある実情を完全には理解しきれていなかった。
そして財布の紐を握っているママにも、絶対的に危機感が足らなかった。



「ねぇ、牧野の将来の夢は何?」
ある日の昼休み、いつものように一緒に昼食を食べていると、花沢類があたしにそう聞いた。彼が食べているのはあたしが作ったお弁当だ。
笑わないでね? と前置きしてから、彼の瞳を真っ直ぐ見て答えた。
「子供の頃から、弁護士になりたいって思ってる」
あたしは正義感が強い人間だと思う。
小学校の低学年時に読んだある弁護士の自叙伝に、あたしはひどく感銘を受けた。この人のようになりたい、と。
それ以来、弁護士になることがあたしの目標になっている。
あの静さんも、あたしと同じように弁護士を目指していると聞いたときは嬉しかった。

世の中には不条理なこと、不合理なことがたくさんある。
それらに打ち負かされ、困難に陥っている人を助けたい。
英徳に入り、赤札によって他の生徒がやりこめられるのを黙って見過ごした経験は、正しく在りたいと思っていたあたしに、強い悔恨と贖罪の気持ちを呼び起こした。
最終的に自分がターゲットになり、陰惨な虐めを受けた経験も、弁護士を目指す気持ちに拍車をかけていたように思う。
だから、アルバイトが忙しくても成績は上位を保つようにしていたし、第一志望は国立大学法学部だった。


「…花沢類の夢は?」
訊かれたから当然訊き返したのだけど、彼はその瞳に複雑な色を浮かべてなかなか答えなかった。
「えっと、…社長さんになって、今より会社を大きくすること?」
正直、彼にそういった俗的な野心を感じていないから、自分の発言には違和感があった。
「…それは俺に課せられた使命だけど、俺のしたいことじゃないよ」
そのまま深く思案するような様子に、あたしは彼の逡巡を感じ取る。
ややあって告げられた内容には驚かされた。

「ね、牧野。…俺がさ、静みたいに多くを手放して、自分のやりたいことをしたいって宣言しても、牧野は俺についてきてくれる?」
「…ひょっとして音楽の道?」
あたしは即座に返していた。
彼ははっとした表情であたしを見つめ、すぐに目元を綻ばせてその考えが間違っていないことを示してくれた。
「うん…。バイオリンでプロになりたい。その道で生きていけたら…って」

誰もいない音楽室で、あたしはときどき彼の弾くバイオリンを聴かせてもらっていた。
正直、無教養のあたしには音楽のことはよく分からない。
だけど、彼の繊細な手指が織り成すメロディは、聴く人の心を虜にするような魅力を持っているとその頃から強く感じていた。
「すごく、素敵なことだと思う」
あたしは大きく笑う。彼にこそふさわしい夢だと思った。
「めいっぱい応援するよ!」


花沢類は、すでに後継問題について父親と話し合いを進めている最中だと明かしてくれた。幸い、彼の5歳年上の従兄がとても優秀なので、会社はその人が継ぐのでも問題ないことになった、と。
花沢物産の後継は世襲制ではなく、完全なる実力主義であるらしかった。その代わりプロになれば、会社の広告塔として存分に働くようにと言い含められたらしいけれど。早ければ10月のうちに方針は決まるらしく、そうなった場合、彼は海外の音楽大学を受験することになるという。
音楽でプロになるために必要なもの。
―実力、環境、そして財力。
そのいずれも兼ね備えている彼が目指すには、十分意義のある進路選択だと思った。


このとき、「ついてきてくれるか」という彼の問いに、あたしはあえて返答しなかった。むしろ彼の壮大な決意を聞いたときに、自分の中では明白なゴールが見えたと思った。

3月には花沢類は高校を卒業する。
そのときがあたしたちの別れのときになるだろう、と。


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