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Category第2章 解れゆくもの
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夢乃さんに事情を説明することには大きな躊躇いがあった。
類と距離を置きたい理由を説明するには、あたしと類の深い関係について言及しなければならない。内容が内容なだけに、どれほど親しい優紀にも相談できなかったことを、夢乃さんに打ち明けてしまっていいのか。
その葛藤はずっと続いた。
一頻り泣くと、あたしの高ぶった気持ちはようやく収まってきた。
頃合いを見計らって、夢乃さんはあたしの躊躇や葛藤を見透かしたように、最初から核心に触れてきた。

「類君の愛し方は、つくしちゃんにとって負担なの?」
あたしは、憂い顔の夢乃さんをじっと見つめる。
答えなければ、と思うのに、言葉を選べない。
「二人は、恋人関係に戻っていたのよね?」
最初の最初から、あたしはその質問に答えることができない…。

―あたし達の関係は、結局なんだったんだろう。

はたから見れば、同棲していて、婚約を発表しているあたし達はそうでなければおかしい。だけど、その言葉を素直に認めることができない。


「これは総君も、あきら君も言っていたことだけれど、つくしちゃんがすごく苦しそうだったって。もちろん体調が悪いこともあったでしょうけれど、別の部分で類君に雁字搦がんじがらめにされて、身動きがとれなくなっているみたいだったって…」
パーティーでの一幕。
あの短いやりとりですら、彼らにはそう映って見えたのだ。
彼らが敏いのか。
…あたしが至らないのか。

「…確かに、あたしは今の状況を、とても苦しく思っていました」
あたしは重い口を開く。自分の中の真実を告げるために。
「でもそれは、類の愛し方が負担だからではありません。…そうじゃなくて、彼と一緒に、育んでいけるものがないからなんです」
「…え?」
夢乃さんの瞳が大きく見開かれた。
「でも、二人は…」
「はい。類が事故に遭う以前のように、一緒に暮らして、その…そういう関係もありました」
だけど、それは信頼も心の繋がりも不確かな関係だったのだ。
「類はまだ記憶を取り戻していません。彼はあたしをまた愛したいと言ってくれましたが、結局そうできないみたいでした。…あたしの想いを、心から信じてはくれませんでした。だから…」


『戻りたいんじゃない? 司のところに』
『聞いてみたいだけ。あんたの本当の気持ちを』

昨夜、彼から言われたことのすべてを、あたしは克明に覚えている。
彼に向けて、初めて抱いた怒りの感情も…。


『…あんた、本当に、俺を愛してると言える?』
『はっきり言えばいいのに。あんたが本当に大切なのは、過去の俺であって、今の俺じゃない。…そうだろ?』

過去を過去だと切り離し、他の人を愛せるようになるのならどんなに楽だろう。
…ただ、あたしにはそうできなかった。
きっと、これからも、彼以外を愛することなどできないだろう。
だけど、彼があたしを愛せないというのなら、それは仕方のないことだ。
人の気持ちは、誰にも、どうしてやることもできない。


「マンションを出て、彼と距離を置きます。…婚約は白紙に戻してもらいます」
この一点に関して、あたしの意志は揺るがない。
「…類君と別れるの?」
夢乃さんのその言葉に、あたしはまた涙をこぼす。
「本当は、そうしたくないです。でも、いまはダメなんです…」

―類と離れたくない。別れたくない。
―だけど、このままだと、あたし達はもっとダメになってしまう。

「つくしちゃんが、悩み抜いて出した結論がそうなのね?」
「…はい」
「分かりました。話を聞かせてくれてありがとう」
夢乃さんは大きく頷き、ギュッとあたしの手を握った。
「マンションを出てからはどうするつもりなの?」
「まだ学校があるので、しばらくは友人のうちに泊めてもらおうと思います。なるべく早く、他に住まいを借ります」
夢乃さんはにっこりと微笑む。
「心配いらないわ。仮住まいはこちらで準備します」
「えっ…、いえ、そんな…」
「だって『fairy』の社員になってくれるのよね? 自社の社員を優遇するのは、経営者の務めよ?」

夢乃さんの申し出は、正論にのっとっているようで実はそうではない。
だけど、あたしはもう疲れ切っていた。
…話すことにも、考えることにも。
「……よろしく、お願いします」
瞳を閉じると、昨夜からあれだけ眠っていたにも関わらず、まだ体が睡眠を欲しているのが分かった。

―それは、一種の現実逃避だったのかもしれない。



1時間後、消化器内科で診察を受けたあたしは、鼻から挿入するスコープで胃カメラ検査を受けた。
胃底部に潰瘍と見られる病変が2つ。うち1つからは出血も認められた。
嘔気、食欲不振、鳩尾の痛み…、すべてが胃潰瘍の主症状と一致する。
貧血は、潰瘍部分の出血も関係していたのだろうと言われた。
体調不良は、妊娠ではなく胃潰瘍によるものだったことが判明すると、あたしは自分の体を壊してしまうほどに、精神的に追いつめられていたのだとようやく悟った。


夜になると、あたしの病室に一人の訪問者があった。
その人は夢乃さんに伴われて姿を見せた。今月初旬に渡仏していた類の母・真悠子さんだった。彼女は病みやつれたあたしの姿を見ると、深く頭を下げて謝罪し、まずあたしの体調を案じてくれた。
夢乃さんから事情の大半は聞いていたのだろう。夢乃さんは途中から席を外し、真悠子さんと二人きりになったところで、いくつかの質問を受けた。彼の母である彼女へは答えにくい質問も中にはあった。

最後に、あたしは、はっきりと自分の意志を告げた。真悠子さんは強張った表情でそれを受け止め、再考はしてもらえないのか、とまず問うた。
今はできない、とあたしは答えた。
類によく似た真悠子さんの瞳がみるみるうちに潤んで、ひと雫の涙を見せた。
その涙は胸を突いたが、あたしは顔を伏せ、強いてそれを見ないようにした。



翌日になると体調はさらに良くなり、あたしは少量ではあったけれど、食事が摂れるようになった。経過が良いため入院は明日までで、あとは通院治療をするということで担当医との話は決着した。
不調の原因がはっきりしたことに安堵したのか、10日以上遅れていた月のものがようやく確認できた。
学校には2日間欠席する旨、公衆電話から連絡を入れた。応対してくれた事務員に菜々美さんの氏名を挙げ、携帯電話が壊れたために連絡ができないと伝えてほしい、とお願いしておいた。
携帯電話に電源を入れれば、GPSで類に居場所が知られてしまうと思い、使うことができなかった。あの夜、菜々美さんのマンションに迎えに来たときのように。
…でも、もしかしたら、彼はあたしを探してはいなかったかもしれないけれど。


あたしはママにも電話をした。記憶を失った類とはパートナーとしての関係をうまく築けなかったこと、婚約解消を類のご両親に申し出て了承していただいたことを伝えたときには、また涙がこぼれた。
入院していることは伏せておくことにした。
不思議なほど穏やかに、ママはあたしの話をそのままに受け入れてくれた。
進から、何をどう聞いていたのかは分からない。
だけど、ママはこう言った。
「もしかしたら、こんな日がくるような気はしていたの。…つくしが思うようにしていいのよ」
家族にも許容されたことで心のつかえは取れ、あたしは一人、ベッドの中で丸まって泣いた。




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いつも拍手をありがとうございます。実質的には次が第2章最後のお話です。
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