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Category第3章 縒りあうもの
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深い暗闇の中で誰かの声がする。
声は大抵すぐ傍で聞こえるが、より近くなったり遠ざかったりする。
そして一人だったり、二人だったりする。…もっと多い時もあるようだ。
俺は意識を浮上させたいのに、それができずにいる。

ときどきは温かな感触を感じる。
柔らかく、優しく俺に触れるのは、おそらく誰かの手だ。
その手を取り、なぜ俺にそのようなことをするのかと問いたいが、それもできない。


―類。

俺を呼ぶ声がする。


―お願い。…あたしを一人にしないで。

声のする方に近づいてみたい。その姿を見てみたい。
だけど、思うようにできない。


あんたは、誰?
……静?



「類っ! 目を開けて! 戻ってきてちょうだい!」
耳元でいつもより大きな声がする。

―煩いな…。

ようやく目を開けることができたとき、目の前には海外にいるはずの母がいた。

―なんだ?
―視界が変だ。ひどく霞む。
―声もおかしい。ひどく掠れる。
―それに、あちこちが痛い…。頭が…ズキズキする。

何が起きたかよく分からなかったが、どうやら自分は病院にいて、長い間眠っていたらしい。初めて見る母の涙に驚きながらも、彼女の背後にそっと控えていた女の存在に気づく。


「…事故のこと、覚えてる?」
強張った表情で俺に問いかけてくるのは…。
俺はゆるゆると首を振った。
…事故って?
「…あたしが、分かる?」

―彼女は……。そうだ。牧野つくしだ。

でも、一瞬その答えに戸惑ってしまうほど、彼女の外見は変わっていた。
身だしなみは洗練され、薄くメイクをした牧野はとても綺麗になっていた。
高校の制服姿とはずいぶん違う印象だ。
「…俺の1学年下の、牧野だよね?」
違和感を抱きながらも、彼女の名を口にする。相手は黒目がちな瞳を大きく見開き、俺の質問の正誤を示すでもなくその場に立ち尽くした。



医師から告げられて驚いたこと。
車6台が絡む大事故に巻き込まれ、辛くも圧死を免れたという事実。
自分の認識から、世界の時間は6年もずれているという事実。
俺は高校3年生から社会人になっていて、花沢物産に専務として勤務しているという事実…。

…ただ、衝撃しかなかった。

牧野に感じた違和感の正体はこれか、と一人納得する。
時の経過は、そこにいた誰より、彼女を見ればはっきりと認識できた。


それから退院するまでは、事故の後遺症ともいえる症状に悩まされ続けた。
自由に動かせない左腕、体幹や側頭部の断続的な疼痛、…そして、記憶障害。
自分に残る一番古い記憶は、どう思い出してみても、6年前の6月だった。
―もうすぐ静が帰国する。
その記憶だけがごく鮮明で、それ以降はぶっつりと途絶えている。
実感できなかった現状も、メディアに触れれば自ずと理解できた。新聞やインターネットで調べれば、この数年の出来事が克明に記録されている。これが逃れようのない現実なのだと悟ったときの気持ちは、筆舌に尽くしがたいものがあった。


旧知の友であるあきら達よりも、牧野は頻繁に病室に顔を出した。
…でも、俺には彼女と話したいことは特になかった。
彼女の瞳に浮かぶ色にはどことなく痛々しさがあって、それがウザったいような、目を背けたいような感じがしてしまい、彼女を遠ざける態度をとり続けた。
…ある日は、訪問自体を拒否した。
やがて彼女が見舞いに来なくなっても、俺は何も感じなかった。
非難は口にしないのに、その態度を咎めるような目線を送る母にも、康江にも、苛立ちだけが募った。


退院してからの経過が良かったこともあり、内々うちうちにすぐ、仕事に復帰する目途が立てられた。復職までに会社の資料に目を通し、内容を理解し、周囲に記憶障害のことを悟られずに業務をこなせるようになれという。
秘書の田村が持ってくる資料のほとんどは理解できなかった。大学やインターンシップ研修で学んだ事のすべてが消え失せているのだから無理もないことだと思う。
邸内で左腕のリハビリを続けながら、黙々と資料を読み込む日々が続いた。
身体機能の回復と反比例するように、精神機能は緩やかに鈍麻どんましていくようだった。


記憶があった頃の自分は、何を楽しみに、何を喜びに日々を生きていたのだろう。
少なくとも今、自分が感じている現実には、自分を高揚させるものは何も存在しないように思える。
6年が経過して尚、自分の世界は広がってはいなかった。
だとしたら、俺は何を目標に、何を糧に、この先を生きていけばいい?
…ただただ、毎日が憂鬱だった。


それからすぐのことだった。あきらと総二郎が邸に見舞いに訪れたのは。
彼らの後ろに牧野が同行していることに気づくと、俺は皆を自室ではなく和室に案内した。…なんとなく、彼女に部屋に入られたくなかったからだ。
3人は俺の過去について話をするつもりで来たという。
失われた過去。
だが、それよりも今は、もっと切実に俺をさいなんでいる問題がある。
「お前の欠けた記憶を補完してやる」と言った総二郎に、その必要性を問うた瞬間、あいつが牧野にさっと目線を走らせたことが分かった。
彼女は穏やかに笑んだ後、辞去を申し出た。
足早に部屋を出るその背を、俺は見送ることもしなかった。そんな俺の様子を、あきらが物言いたげな瞳で見ていることにも気づいていたが、それすらも無視した。


俺はその少し前から、夜になると不思議な現象に悩まされるようになっていた。
夕刻から夜半にかけて、ひどい焦燥感に襲われるのだ。
帰らなければ、とまず思う。
どこへ、と自問しても答えは分からない。

―帰らなければ、一刻も早く、………の元に。

心のどこかには、失われたときを生きていた自分の思念の残滓ざんしがあったのかもしれない。その感情は無視できないほどに強く、大きく、それに振り回される自分を、俺は常々疎ましく思った。欠けた記憶を補完すれば、問いの答えは得られただろうけれど、いまは聞く気がしない。
誰の元へ、そんなに帰りたいと願っているのだろう。
その相手が静ではないことはもう判っていた。
数年も前に彼女が伴侶を得て、つい先頃子供を産んだことは、総二郎からすでに聞いて知っていた。…過去、自分が静への想いを成就させられなかったことも。
大きな喪失感が身を包む。
彼女以外に、俺が大事に想うような人間がいるとは思えなかった。
もしそうならば、家の者なり、総二郎達なりが言及したはずだ。



だが、事故時の荷物の整理をしているときに、俺はその答えとなる物を見つけた。
手帳のカバーの裏に、大切そうに挟んであった写真。
それを見たとき、俺はまた大きな衝撃を受けることになった。

…この上なく幸せそうに微笑んでいる、自分と牧野の姿。

日付は昨年11月末。何かのパーティーに出席しているのだろうか。
シックなイブニングドレスを身に纏い、左手の薬指に光る指輪を掲げて見せ、頬を染める牧野は本当に嬉しそうだった。その彼女を引き寄せ、満ち足りた微笑を浮かべた自分にも驚く。


―これが、俺?

―俺は、こんなふうに笑える人間だった?



自分が彼女と婚約関係にあったことは疑いようがなかった。
帰りたいと願ったのは、牧野の元に、だったのだろう。
深い関係でありながらすべてを忘れた自分を、それでも優しく気遣ってくれた彼女に、これまで冷たく無感情に接してきたことを思い出し、俺はにわかに居たたまれなさを覚える。

―なぜ、そのことを誰も俺に教えなかったのだろう。…牧野本人でさえ。

彼女は俺に訴えかけるように見つめはしたが、決して俺に何かを思い出させようと強いることをしなかった。その瞳がいつも悲し気に揺れていたのは、俺の酷薄な態度もさることながら、何も思い出さない俺を見る度に、深い失望を抱いていたからなのだろう。




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いつも拍手をありがとうございます! 類の回想編スタートです。
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6 Comments

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2018/09/15 (Sat) 22:21 | REPLY |   

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2018/09/15 (Sat) 23:00 | REPLY |   
nainai

nainai  

22:21にコメントくださった方へ

こんばんは。コメントありがとうございます♪
今回お名前のご入力がなかったので、もしよかったら、また後でお名前を教えてください<(_ _)>

第3章は類の回想編から始まりました。しばらくはこのまま彼の独白が続いていきます。類も類なりに相当な苦しみを感じているんですね。
もしかしたら第3章で一番難解な場面かもしれない…と思いながら、必死に彼の心情を綴っています。よろしくお付き合いくださいませ。

2018/09/16 (Sun) 00:05 | REPLY |   
nainai

nainai  

ミ様

こんばんは。コメントありがとうございます♪

第3章は類の回想編からスタートです。類のつくしへの感情が変遷していく過程を綴っていくつもりです。最初はこの通り、まったくの無関心なんですね…。
つくしが類との別離を決意したのは、やはりあの一言が原因です。二人が絆を取り戻すには、それ以上の何かがなければ難しいですよね。何が起こるのかを予想しつつ、見守っていてくださいね。
ミ様に満足いただける出来になっているか…。ここは本当にドキドキなのですが、更新頑張っていきます!

2018/09/16 (Sun) 00:17 | REPLY |   

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2018/09/16 (Sun) 11:49 | REPLY |   
nainai

nainai  

わ様

こんばんは。コメントが遅くなりました。
あのコメントは、たぶん、わ様かなぁと思ったのですが、一応確認してしまいました^_^
ご連絡ありがとうございました。

類視点で見ていけば、つくしがこうすればよかったのに、という点もいろいろ見えてくると思います。ご指摘部分も然りです。
ここから難題続きですが、次は今夜いつもの時刻にupしますね。宜しくお願いします。

2018/09/17 (Mon) 00:20 | REPLY |   

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