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Category第3章 縒りあうもの
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初めて自分から彼女に連絡を取った。
失った記憶を取り戻す努力がしたい、マンションを訪ねてみたいと言えば、牧野は驚きながらも来訪を受諾してくれた。彼女に拒絶されなかったことに俺は安堵を感じていたが、彼女ならばそうはしないはずだという妙な確信も併せ持っていた。
約束の日を明日の午後に控えながらそれすらも待てなくなり、俺は会食帰りの夜遅く、彼女の住むマンションを訪ねた。折しも外は雨だった。
傘を持たなかったためにスーツは濡れたが、まったく気にならなかった。

マンションの入口に常駐するコンシェルジュは俺の顔を覚えていたから、エントランスのゲートはすんなりと抜けることができた。
部屋の前に立ち、真夜中にも近い時刻にインターフォンを鳴らす。
一度、…二度。
もし嫌なら、インターフォン越しに訪問を断ってくれて構わなかった。
だけど、寝間着姿の牧野が慌てた様子で玄関ドアを開けてくれたとき、…その瞳に驚きと戸惑いの色を浮かべながらも俺を中へと招き入れてくれたとき、帰りたくない、と痛切に思った。



その夜、俺は彼女を抱いた。…今度は許しを得て。
愛してくれるのか、と問いかける漆黒の瞳に惹きつけられるようにして口づけ、彼女が洩らすあえかな吐息さえ自分のものだと言わんばかりに唇を貪った。
自分の中のたがが外れた瞬間だったと思う。
…本当を言ってしまえば、人を愛することがどういうことなのか、その段階でさえよく分かっていなかった。彼女を抱きたいと思うこの強い衝動こそが、それと同義であると思いたかった。

俺の腕の中で甘く啼き、涙をこぼしながら俺の名を呼ぶつくしは、どうしようもなく可愛かった。逆に名を呼べば、その細い両腕が俺を強く抱きしめ返してくれた。
…こんな自分でも彼女には必要とされている、と実感することができた。
あどけなさを残した記憶の中の彼女と、艶めいて乱れる彼女との相違に惑う心もそこにはあったが、俺は彼女と共有する快楽に瞬く間に意識を囚われ、ただ体を繋ぎ合うことに夢中になっていった。
華奢な体を掻き抱き、壊してしまうんじゃないかというほど激しく彼女を求めた。


意識を取り戻した日から今日まで、これほどまでに満たされた日があっただろうか、と思う。心身の充足は、俺に不思議なほどの全能感を味わわせた。
こんなふうに溺れるみたいに互いを求め合うことができるのは、彼女のいう情愛があってこそだと思った。彼女を離したくないと思った。
そしていつか、写真の中に見たような、心から満ち足りた笑顔を浮かべられる日がくるといい。彼女も同じように感じてくれているはずだと、俺は信じて疑わなかった。



俺はそのままつくしとの同棲生活を再開させた。
その意志を母に告げたとき、彼女は驚きながらも、俺が再びつくしと向き合う姿勢を見せたことを喜んでいるようだった。
マンションに帰れば、つくしはいつも俺を優しく迎え入れてくれた。温かい食事を供し、甲斐甲斐しく世話を焼き、俺の一日の労を過不足なく労ってくれる。

その温もりに触れれば、今まで希薄に感じられていた自分の生を、存在意義を、確かなものとして実感することができた。それだけでなく、つくしと共有する一体感こそが今の自分には大きな悦びで、それをいつまでも味わっていたくて、何度となく彼女を求めてしまう夜が続いた。
過去、俺は静だけでなく、他の女性ともそういう関係を結んだ時期があったようだ、と彼女は言っていた。だけど、その記憶はすべて失われ、俺にとってはつくしとの関係が唯一ですべてだった。
そんな彼女に向けてさえ、俺はまだうまく笑えなかったり、心の内のすべてを明かせなかったりもしたけれど、彼女といれば日々の鬱屈を薄らげることができる気になっていた。


気になることがあるとすれば、二つ。


一つは、俺を見つめるつくしの視線の中に、ときに戸惑いが見え隠れすること。
今の俺と相対しながら、かつての俺を想っているのだろうかと思う瞬間が折々にある。…彼女は、とても正直だから。
そんなときは、自分でも驚くほど気持ちが揺らいだ。他の連中と同じように、彼女も在りし日の自分を追い求めているのかと思うと胸が苦しくなる。
他の誰がそう思ってもいい。だけど、つくしだけはそう思ってほしくなかった。
…今ここにいる自分だけを、見てほしかった。
感情の揺れは大きな振れ幅で、彼女への接し方を冷たいものに変えてしまうことがあるほどだった。


もう一つは、彼女がデザイナーになりたがっていること。
つくしが努力を重ね、優秀な成績でここまでの課程を終えてきたことは母から聞いて知っていたし、スケッチブックを見ればそれは一目瞭然だった。学生が描いたものとは思えないような洗練されたデザインに溢れていて、彼女がいかに強くデザイナーになりたいと願っているかが如実に伝わってくる。
過去の自分は、彼女の夢を一心に応援し続けたという。…でも、俺はなぜだか同じようにはできなかった。

実際、つくしは輝いていた。
自分の進むべき道を見定め、生き生きとした表情で夢を語った。
そこにいるのは、俺の記憶に残る16歳の少女ではなく、俺の知らない時間6年を生きた22歳の女性だった。
でも俺は、俺の知らない世界に身を置いている彼女が、ひどく遠くに感じられるようで嫌だった。いつか彼女が、不完全な自分を置いて、この腕の中を飛び出していってしまうような気がして怖かった。
彼女の語る夢は俺にとっての脅威になりうる、と感じていたのだ。
最初は学校のことを話してくれたり、課題を持ち帰って制作に励んだりしていたつくしも、俺の一貫した無関心の姿勢を前に、やがてそういった一切を俺の前に出さないようになっていった。



彼女にそういうふうに接してきたのは自分なのに、ある日、あきらから学校におけるつくしの窮状を知らされたときは、強い怒りと苛立ちを覚えた。それらが誰に、何に対する感情だったかはよく分からなかった。
俺には窮状を訴えない彼女に?
彼女を傷つけたクラスメートに?
…俺より彼女の事情に詳しいあきらに?
自分達二人を気遣う親友の言動の中に、つくしへの恋情を感じ取ると、それがますます俺を苛立たせた。


その夜、つくしの帰りは遅く、そして疲れ切っていた。
だけど俺は追い打ちをかけるように、彼女にデザイナーの道は諦め、花沢に入るようにと告げてしまっていた。ずっと思っていたことだったからだ。
当然ながら彼女は驚き、激しく狼狽した。
…そして、話を切り上げて彼女を抱こうとする俺を、初めて拒んだ。
拒絶は、むしろ、俺の情欲を燃え立たせた。
自分を押し返す手を退けて強引に唇を奪い、彼女の弱い部分から攻めた。最初は抵抗を見せた彼女も、やがていつものように甘い声を上げ、俺の熱情を受け入れた。
昇りつめて意識を飛ばした彼女の体をそっと抱き寄せ、自分の腕の中だけを望む彼女であってほしいと願った。


でもつくしにとって、それらは許容しがたい出来事だったらしい。
次の日の夜、自宅に戻ると彼女の姿がなかった。連絡の一つもなく、待てども待てども戻ってこない。
俺は彼女を捜した。携帯のGPSで追跡すれば居所はすぐに知れた。
俺の求めに応じてすぐ、友人宅から姿を見せた彼女だったけれど、最後は足を竦ませ、迎えに来た俺の方へと寄ってこなかった。彼女の強い葛藤がそこに見て取れた。


その一件があって以降、俺は彼女への見解を改めた。
つくしは、ただ恋情や性愛に従順なだけの女でもなければ、俺の言うことを唯々諾々いいだくだくと受け入れる女でもない。
確かに押しに弱い部分や、雰囲気に流されやすい部分はある。
でも彼女の中には確固とした価値基準があって、多少の譲歩には応じつつも、最終的には自分の意志を貫こうとする女性だった。
―慈愛の深さではなく、信念の強さ。
それこそが彼女の芯を形作る物だと気づかされたのだ。だけど…。


日々を暮らしていきながら、俺はつくしに望むことが増えていくのを感じていた。
俺がつくしに求めるもの。
つくしが俺に求めるもの。
そこには概ね一致する要望もあれば、彼女の卒業後の進路のように真っ向から対立する要望もあった。要望が一致しないのならば譲歩し合い、条件の擦り合わせをすればいい。少なくとも商談相手との交渉の場ではそうだ。
だけど、俺は彼女とのやり取りにおいて、基本的に譲歩案を示さなかった。
彼女の方から折れてくれるのを、ただ、じっと待っていたのだ。




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いつも拍手をありがとうございます!
二人の関係が深まっていくくだりです。この回も非常に苦労しました…。
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