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Category第3章 縒りあうもの
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つくしの弟がマンションを訪ねてきた夜、二人きりになると、思いつめた声で彼女が俺に問うた。
このまま結婚するつもりでいるのか。自分を愛しているのか、と。
いまさら何を問うのかと思いもしたが、確かに俺は、それらを意味するどんな言葉も彼女に伝えてこなかった。問われて初めてそのことに思い至る。
彼女と結婚することは、自分の中ではすでに決定事項だったからだ。

だが、今をもってして、『愛する』とはどういうことかをうまく掴み取ることができない。彼女にとって、俺と抱き合うことはそれと同義でないのだろうか。
つくしを手離すつもりは一切なかったし、彼女のいない人生などもう考えられない。独占欲が愛情を示すバロメーターだというのなら、確かに俺は彼女を『愛して』いるのだろう。
だけど、愛情とはこんなにも重苦しいものなのだろうか、と思いもする。

それに…あの日の写真のことがある。
写真に残る二人の笑顔が、どんどん遠ざかっていくような気がしている。
つくしの笑顔には、いつもどこかかげりがある。
俺自身も、心から笑えているようには感じない。
俺は、自分が思う最善の道を彼女に示しているつもりでいる。
二人にとって一番合理的で、一番苦労の少なく済む道筋を。
…それなのに、なぜうまくいかないのだろう。


彼女が俺への気持ちを改めて打ち明けてくれたとき、俺は胸の内に抱えていたものをこらえきれなくなって言った。
つくしが真に愛しているのは過去の俺ではないか、と。
…まるで、糾弾するかのように。
それを認められてしまえば、今の自分を否定されてしまうことと同じなのに、それでも彼女の口から、『そうではない』という否定の一言を引き出したい一心で口走ってしまっていた。
彼女は震える声で、俺に過去を思い出してほしいと心の奥で願い続けていたことを認めた。…失意は、拭い切れない。
だけど、つくしは自分の非を認めた上で、こう言ってくれた。

『…あたしは、これからも類と生きていきたい。もう過去を見ないで、というのならそうする。内定を辞退してほしい、というのならそうする。…あたしには、類以上に大切な物はないから。…だから、……だから、あたしを信じて。…類を想っている、この気持ちを信じて。……たとえ、それが目に見えないものでも、確かにここに在るんだと…それだけは信じていて…』

涙ながらに切々と訴えかけるつくしの言葉は、俺の胸に強く響くものがあった。
他の何をおいても自分を選ぶ、と彼女が言ってくれたことで、俺はやっと心の安寧を得ることができた。…これでいい、と思えた。
ほどなく彼女が嘔気を訴え、にわかに妊娠の可能性が浮上したとき、彼女の体調を案じる傍らで俺は密やかな喜びを感じてもいた。もしそれが事実なら、つくしが俺から離れていってしまうことはない、と思えたからだ。



翌日、つくしを連れてパーティーに出席した。
元々は両親が出席するはずだったものだ。
コンペティションのリハーサルのために臨時出校した彼女の疲労は大きく、決して万全の体調ではなかったが、つくしが無理を押しても俺に同伴する意志を示してくれたことが嬉しかった。
会場では、俺はつくしを婚約者だと紹介して回った。
驚いた反応を返す相手に、彼女が美しい所作で挨拶をするのを、妙に誇らしい気持ちで眺めていた。


状況が一変したのは、パーティー会場に司が来ているという情報を耳にしたときだった。具合が悪くなった彼女を休ませ、俺は一人、与えられた職務を全うしている最中だった。
かつては恋人同士だったつくしと司…。
司の父である財閥の総帥が亡くなったことをきっかけに、閨閥けいばつ結婚を強いられることになった親友。
その記憶すらも残っていなかったのに、俺の心には、にわかに激しい焦燥が湧き起こった。…二人を会わせたくない、と強く思った。

この数年で司を取り巻く環境は大きく変化した。一時は低迷した道明寺財閥の権勢は、ここにきて再び絶頂期を迎えようとしていた。司が手掛けた新規事業が、絶大な規模を誇るアメリカ市場で成功を収めたためだった。
司とその妻の間には、まだ子供はいない。夫婦仲が冷え切ったものであることは公然と知られていて、離婚協議についてはこれまでに何度も取り沙汰されていた。


俺がつくしの元へ戻るよりも早く、司が彼女の元へと向かったのを俺は遠くから見ていた。つくしには、ホテルの別室で待つように言い置いていたはずなのに、どうしてまだ会場に残っているんだろう、と思う。
向かい合って話しているはずの相手の声が、急速に遠のいていく。
どこにいても司は目立った。…彼の一挙一動を周囲が目で追っているから。
彼の向かう先、…椅子で休むつくしの傍らには、総二郎とあきらの姿も見えた。司は彼らと合流すると、相好をわずかに崩して、あきら達と談笑を始めた。そこには、経済界の君臨者としての彼ではなく、気の置けない友人としての彼が居る。
ほどなく、あいつはつくしに目線を向け、何ごとかを話しかけた。
それに応えて、彼女がうつむきがちだった顔を上げる。
つくしの顔にも、微笑が浮かんで……。


―あれが、司?


俺の記憶にある限り、誰も近づくことを許さない、鋭いナイフのような雰囲気を纏っていた親友…。
その司が、俺の見たことのないような笑顔を浮かべる。つくしもそれに応える。
何を話しているのかはもちろん分からない。だけど数年を経てさえ、親密そうな二人のやり取りに、胸を掻きむしりたくなるほどのもどかしさを覚える。
この渦を巻くような、激しい感情はなんだ。

……嫉妬だ。
俺は今、二人に嫉妬しているんだ…。



―司、そんな笑顔を見せるな。
―つくしのことが大事で仕方ないみたいな、そんな笑顔を向けるなよ。

―微笑まないでよ、つくし。
―心から安堵したみたいな、そんな笑顔を司に向けないで。



これ以上見たくない、と心が叫んでいた。混じり気のない彼女の微笑が、幸せの瞬間を切り取ったあの写真の笑顔と重なっていく。
自分では引き出したくても、引き出せなかった彼女の本当の笑顔。
俺が欲しくてたまらなかったものを、どうしてお前が手にするの、司……。



刹那、カァッと頭に血が上るのが分かった。
気付けば俺は彼らに近づき、話しかけていた。皆への挨拶もそぞろにつくしの傍にいき、彼女の頬に触れれば、真っ青な顔が俺を弱々しく見上げる。体調が悪化したんだとすぐに分かった。
司が非難がましく何かを言っている。俺はそれを切って捨てる。
「俺達が決めたことだから、司には関係ない」
間近からつくしの強い視線を感じる。でもその表情を見たくはなかった。


彼女を連れて足早に会場を出る。
二人きりになれば、途端に押し寄せてくる疑念…。

つくし…。
あんたは、司をどう思ってる? 
以前の二人に戻りたいと思う?
あんたが望めば可能かもしれないよ。
だって、司はあんなにもまだ、つくしのことが好きなんだ。

先ほど見た、彼女の微笑が、司の笑顔が、目に焼き付いて離れない。
―俺とはそうできないのに、司とはあんなふうに笑い合えるんだ?
どうして、と問う自分の声を心で聴く。
―自分を信じてほしいって、あんたが言ったくせに…っ。



俺の疑念は弾けた。…おそらくは最悪な形で。
俺が投げかけた言葉を耳にした瞬間、彼女が大きく震えたのが分かった。
その反応を見ただけで、言った端からもう後悔し始めていた。
なのに、口から飛び出すのは彼女を責める言葉ばかりで…。
つくしが力なくうつむく。彼女をそうまで追い詰めたのは自分なのに、自分こそが傷つけられたような気持ちで、俺は彼女とエレベーターに乗りこみ、階下を目指した。


エレベーターを降りて歩き出した途端、つくしは俺の腕を振り払った。レストルームに行きたい、と言われてしまえば、それ以上彼女に付き添うことはできなかった。
伸ばしかけた手を止め、そのまま下に落とす。
何より今は、彼女の背中が、俺を強く拒んでいる。
俺はつくしを待った。
待っている間に頭は冷えて、具合の悪い彼女にひどい物言いをしてしまったことへの自責の念を感じるようにもなっていた。
つくしが戻ってきたら、最初に謝ろう。
こんなふうに責めるつもりはなかったのだ、と弁解したい。
そう思うのに、彼女はなかなか戻らない。電話をかけて様子を窺うと、ひどく小さな声で、もう少し待ってほしいと返答がある。


焦れながら彼女の戻りを待つ俺に、挨拶を交わした覚えのないスーツ姿の男性が二人、近づいてきた。俺は話すつもりはなかったが、相手がどういった人間か分からない以上は無下にもできない。彼らがにこやかな笑顔でつらつらと前口上を述べるのを、苦々しい気持ちで黙って聞いていた。
その間も、つくしが戻ってこないかと、意識をそらしたつもりはないのに。

…だけど、彼女はそのまま戻らなかった。
フロントから呼び出され、電話でもらったという彼女の伝言を受け取ると、そこにはこう記してあった。
『先に出ます。考える時間がほしいので、しばらくそちらへは帰りません』と。




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いつも拍手をありがとうございます。パーティーの一幕でした。
次の更新は明日9/21の予定です。
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4 Comments

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2018/09/20 (Thu) 23:04 | REPLY |   
nainai

nainai  

ま様

こんばんは。いつもコメントありがとうございます。

類の回想編が進みます。第2章全話をギュギュッと凝縮しています。本当はもう少し触れたいアレコレもありましたが、重要なエピソードだけをピックアップしました。
中でも第4話は別れの原因ともなったパーティーでの一幕で、類は類なりに苦しい想いを抱えていました。ま様の仰る通り、類はつくしに自分の想いのすべてを素直に明かせばよかったのに、肝心な部分は隠したままなんですね。類にとっての『信じる』ことの難しさ、として描いたつもりです。

さて、ここから類には頑張ってもらわないといけませんね。更新、頑張っていきます。最後までよろしくお願いいたします。

2018/09/21 (Fri) 00:17 | REPLY |   

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2018/09/21 (Fri) 13:34 | REPLY |   
nainai

nainai  

わ様

こんばんは。いつもコメントありがとうございます。
返信が遅くなり申し訳ありません。

第3章の冒頭は類の心情のみの描写なのでとにかく骨が折れました…💦 第2章を振り返りながらの作業ですし。プロットは作成してあるのですが、表現方法に悩み続けた部分でした。
わ様のご指摘の通り、類の視野はごく狭い上に、つくしの意志を尊重することができないんですね。その辺りが何に基づいているのかはもう少し紐解いていく予定でいます。

今夜は類の回想編第5話です。そろそろ前に進みたいですよね。
どうぞお楽しみに…。

2018/09/21 (Fri) 19:06 | REPLY |   

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