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Category第3章 縒りあうもの
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マンションに戻っても室内は暗いままで、そこにつくしの姿はなかった。
もしかしたら先に戻っているんじゃないかという、あえかな期待を裏切られ、俺は静かに嘆息する。
携帯電話はもう通じなくなっていた。だからGPSでその居場所は探れない。
最後に見たつくしの小さな背中が思い出される。
…その足取りは軽くふらついていた。
―今どこにいる? 明日には帰る? 
―病院に行かなくちゃいけないだろ?
ネクタイを緩めながらソファに沈み込み、心で彼女に問いかける。
―あんなふうに言って、悪かったと思ってる。
―だから、戻ってきてよ。


このときの俺はまだ知らなかった。
今夜のあの感情的なやり取りが、彼女が守りたかったものを決定的に損ない、彼女にある決意を抱かせてしまっていたことを…。


翌日は日曜日だったが、俺は本社に出勤した。
迎えの車はいつも通りの時刻にマンションにやって来た。事故で負傷して職を辞した宮本に代わり、専属になった運転手の名前は今井と言う。
携帯電話を何度確認しても、つくしからの連絡はない。朝になっても電源は落とされたままで、こちらからは連絡の取りようがなかった。
彼女の行方を知っていそうなのは誰だろうと考え、ふと思い至る。

俺は、彼女の関係者の連絡先を知らない。…誰一人として。
つくしの両親と弟が千葉に住んでいることは知っている。
でも、その住所も連絡先も知らない。
いまの学校に親しい友人がいるのも知っている。
でも、その名前も覚えていないし、連絡先も知らない。
…そもそも、彼女は何という名の専門学校に通っていただろうか。
あれほど近くにいた彼女の基本的な情報を、何一つ正確に把握できていないことに俺は愕然とする。

母に聞けば、彼女のそうした情報のあれこれはすぐ手に入るだろう。
だけど、そうはしたくなかった。
自分達の間に深刻な亀裂が生じ、彼女が行く先を知らせずに飛び出していってしまったなど、その原因からしてとても話せる内容ではなかったから。
結局、つくしの行方に関しては何の収穫もないまま一日が過ぎ、再び夜を迎えた。ベッドに入ると、いつもそこに在ったはずの温もりがないことに、ひどい喪失感を覚える。
退院後に感じていた例の焦燥感はもう起きなかったが、代わりに、妄執にも似たつくしへの想いがただただ募って俺自身を深く苛み、眠りを遠ざけた。

『類、お帰りなさい』
自分を迎えるつくしの声を脳裏でリプレイする。彼女がここにいないのなら、俺がここに戻ってくる理由もないことにようやく気付く。
『大変だったね。お疲れ様』
俺がふと洩らしたため息に、多くを語らない一言に、つくしはいつも労いの言葉をかけてくれた。俺がそうはしないのに、彼女は毎日顔を合わせれば挨拶をし、優しく微笑んでくれた。たったそれだけのやり取りがどれほど意義深いものだったのかを思い知る。

ふいに、ズキンと目の奥に痛みを覚えた。
それは、このところ頻繁に感じていた痛みだった…。




11月20日火曜日の夕刻。
携帯が非通知番号からの着信を知らせる。
普段なら素性の分からない相手の電話に出ることはしないが、妙な確信があって俺はそれに応じた。得てして、電話の相手はつくしだった。
「…あんた、どこにいるんだよ。…こっちが、どれほど心配したと思う?」
彼女が姿をくらませてもう3日が経っていた。抱き続けた不安と怒りとで自然と声が震える。
でも、彼女はひどく冷静だった。体調不良が妊娠によるものではなく、胃潰瘍の症状だったことを淡々と告げたあとでこう言った。
「…類。…あたし達、少し距離を置こうか」


彼女は一方的に自分の用件を伝えたのち、通話を切った。
本当に俺達はこれで終わりなのか、と問いたくなるほどのあっけなさだった。弁解をする間も、彼女を思い止まらせようと思慮する間も与えてはもらえなかった。
聞けば、双方の両親は婚約解消に同意し、マンションからは私物を持ち出した後だという。彼女の一連の行動には、誰か協力者がいるとしか思えなかった。
それはいつから? 
ホテルを抜け出したところから?
それに何より、婚約解消が当人の預かり知らぬところで行われていいはずがない。


苛立ちを隠せぬままに与えられた仕事を終え、先に邸に戻っているという母の元へと向かう。ずっとフランスにいる父がこの件に深く関与しているとは思えなかった。
つくしと婚約解消の話をしたとすれば、それは母でしかありえない。
「…話があります」
邸に戻ってすぐ、母の自室へと向かう。入室した俺を彼女は振り返り、愁いを含んだ瞳でじっとこちらを見た。自分とよく似た、その瞳で。
「類、私もよ。あなたに話があります」
座りなさい、と高圧的に指示され、不穏な気持ちを押し殺しながらテーブルを挟んで母と向き合った。


「つくしの居場所をご存知ですね?」
確信を持って聞く。母は数秒の間を置いた後、ゆっくりと頷いた。
「つくしさんは、土曜日の夜から入院していました」
「入院…」
彼女は言っていた。不調は胃潰瘍によるものだったのだと。嘔気に喘ぐ辛そうな表情や、血の気を失った顔色を思い出して、彼女の病状を案じる。
どれほど苦しかったのだろう、と胸がざわつくのを抑えられなかった。
「胃潰瘍だったと聞きました。…病状は重いんですか?」
「今はもう退院なさっています。治療の経過もいいようですよ」
その言葉にわずかに安堵する。
母の口調は柔和ではあったが、悲しみに満ちてもいた。

「さきほど彼女から電話で婚約解消を切り出されました。それについては、双方の両親がすでに承諾済みだと。…でも、俺自身は納得できません」
俺は感情的にならないように、できるだけ抑えた声で主張する。
「…彼女を見舞って、直接話をしたのよ」
「つくしはなんと言っていましたか? 俺の何が悪いと…」
母はゆるゆると首を振る。
「…悪いと思うことがあるのなら、それは自分で考えなさい、類。…彼女は、あなたには全部話したと言っていたわ」
最後の電話でも、つくしはそう言って明言を避けた。
『…その理由は、もう類に伝えてあると思う…』


実際、つくしは俺に様々なことを折々に訴えかけてきた。彼女が何をどう感じているかということ、俺にどうしてほしいと思っているかということを。
一つ一つは、決して過大な望みではなかった。それは分かっている。
でも、それを聞く度、彼女が自分とは異なる感性を持つ人間なのだと改めて認識し、軽い失望を覚えた。
俺達がそれぞれ別の個体である限り、それは至極当たり前のことなのに、彼女との相違を知る度に、過去の自分との相違を、今の自分の落ち度を突きつけられているような気がして嫌だった。


「…つくしさんはね、あなたを非難するようなことは何一つ言わなかったわ。あくまでもこれは、自分とあなたとの間での問題なんだと。…だから実際のところ、あなた達の間に何が起きてこういう結末へと至ったのか、私は詳細を把握していません」
「それなのに、婚約解消には同意されたんですか?」
俺の声には、非難の色が混じる。
「体を壊してしまうほど彼女が悩み抜いて出した結論だったから、その意志を尊重することにしたのです。このまま関係を継続することは、決してプラスには働かないと判断したのでしょう。だからこそ、意志も固かったのよ」
母は俺を見つめる。

「つくしさんとやり直したいという意志が、あなたにはあるの?」
「…あります」
「でも、いまは何が悪かったのか、何がつくしさんをここまで苦しめたのかが、判っていないのでしょう? それを正しく理解しなければ、結局はまた同じことを繰り返してしまうわ」
俺には返す言葉がない。
「…戻ってきなさい、類」
彼女は言う。
「マンションを出てここに戻りなさい。…それから、つくしさんの事前の承諾なしに、彼女に会いに行くことを禁じます。護衛の担当者にもその旨を伝えておくので、そのつもりで」


明日までにマンションの私物を纏めておくようにと言い置かれ、母との話は終わった。結局、つくしの居場所や連絡先に関する情報は与えてもらえなかった。母の口ぶりから、夢乃さんの元にいるだろうことが薄々窺えたから、少なくとも彼女が日常生活に困窮するようなことはないと判断し、それ以上は追及しなかった。

マンションに戻るとやはり部屋は暗いままで、その上、いつもの風景とどこかが違っていた。…彼女の私物がなくなっているのだ。
最初に、彼女が使っていた部屋に入る。
クローゼットを開けると、そこにはまだたくさんの服が吊るされていた。だけど、そうした種類の衣類を彼女が好んで持ち出すとは思えなかったから、これはあえて置いていったものなのだろう。
普段着や学校の教材などの身の回りの物は、その一切がなくなっていた。
ダイニングテーブルの上には、この部屋のカードキーと、パーティーの夜に彼女が嵌めていた婚約指輪が箱に納められたまま置かれていた。
彼女からの伝言はなく、ただ、決別の意志だけがそこに残されている。

―こんなことになるなんて、思わなかった。
俺は息を吐き、天井を仰ぐ。
つくしはいつだって俺に寄り添おうとしてくれたし、これからもずっとそうなのだと当然のごとく思い込んでいた。いつかの夜はここを飛び出していき、俺にサインを出してくれていたのに。
それでも、自分がどんな傲慢な態度をとったとしても、謝りさえすれば彼女は許してくれるものと思っていた。
…誰よりも優しい彼女だから。


つくしがあえて置いていった物を除いて、部屋は綺麗に片付けられていた。だけど、どこを探しても、彼女がいつも身に着けていたペアリングは見つけられなかった。
俺はそのことに微かな希望を見出す。

―つくし。
―それは今も、あんたが持ってくれてるんだよね?

彼女は「距離を置こう」と言った。「別れよう」ではなく。
それはまだ、関係を修復する余地があるということに思えて、俺は喪失の痛みにじっと耐える。

―見つめ直してみる。俺達のこれまでを。
―距離を置く理由が、一つや二つではないことくらいはもう分かってる。
―だけど、それを改めることができたら、あんたはもう一度戻ってきてくれる…?


ズキッ… ズキン…
また頭痛がする。このところ事ある毎に頭痛が起きている気がする。
…睡眠不足のせいだろう。
つくしがいなくなってから、ずっと眠れない夜が続いている。
俺は鞄から痛み止めを取り出すと、それを飲んだ。
そうして、明日には持ち出されることになっている私物の整理を始めた。




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いつも拍手をありがとうございます。ここで類の回想編は終了です。
次の更新は明後日9/23の予定です。
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2 Comments

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2018/09/22 (Sat) 13:20 | REPLY |   
nainai

nainai  

わ様

こんにちは。いつもコメントありがとうございます。

第5話で類の回想編が終了し、やっと時間軸がプロローグ以後へと移っていきます。類の頭痛はこの先の話の布石なので、今は触れずにおきますね(^^♪

さて、ご質問の曲なのですが…。お話を書くのは基本的に夜なので、眠気防止のために音楽をかけています。この話のイメージソングとしてはちょっとイコールしませんが、BENI(安良城紅)の『Miracle』(2005年2月発売)をよく聴いています。これからの二人への応援ソングともとれるかも? ぜひ歌詞検索してみてくださいませ♪

2018/09/22 (Sat) 16:51 | REPLY |   

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