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Category第3章 縒りあうもの
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―あぁ、そうか。ここは美作さんのうちだ。

朝、目覚める度に、見慣れぬ天井をぼんやりと眺めながら思うこと。
自分を抱きしめる温もりが傍にないことには慣れてきたのに、いつまで経ってもこの場所に馴染めない自分に笑えてしまう。

類に別れを告げてから、すでに4日が経っていた。
パーティーに出席したのがちょうど1週間前の土曜日。
最後に類の姿を見たのもそのときだった。
あれほどまで自分を苦しめた胃の不調は、服薬と病状に配慮された食事によってほぼ消失していた。
…もしかしたら類と離れたことも、病状回復にいい方向に働いたのかもしれない。
そう思うと、どうにも切なかった。


電話の後、泣き崩れたあたしを抱きしめ、ずっと傍にいてくれた美作さんとも、それ以来会っていない。
あたしは離れの家屋を借りていたし、彼が意志を持ってこちらに来なければ、たぶん同じ敷地内にいたとしても会うことはないのだろう。
あのときの彼は、本当に優しかった。
あたしのためにこれほど心を砕いてくれるのに、何の見返りも求めないその姿勢は、在りし日の類の姿を彷彿とさせた。

正直なところ、美作さんと顔を合わせるのはどうにも気恥ずかしかった。
類の意識が戻り、記憶喪失が判明したあの日、失意に沈むあたしに美作さんは秘めた想いを伝えてくれた。
あたしのこれからを見守る、と。あたしが類のために頑張ることに疲れてしまったら、自分のところに来い、とまで言ってくれたのだ。
その想いには応えることができないのだから、彼を頼ることはするまい、その厚意に甘えるようなズルいことはするまい、とずっと思ってきた。
ホテルを抜け出すときにまず西門さんを頼ったのも、その理由からだった。


でも、結局は美作さんを頼ることになり、夢乃さんを頼ることになり、こうして療養さえさせてもらっている。本来ならば、療養は自分の親元でするべきことだ。
なのに、夢乃さんはニコニコと微笑み、いつまでもここにいたらいいのよ、などと仰ってくれる。その笑顔に、早くここを出るべきだという思いを挫かれ、ずるずると滞在を延ばしてしまっている。



木曜日から学校に戻ったあたしに、菜々美さんと羽純ちゃんは今度こそ手加減してくれなかった。退院してからわずかに2日。顔色の悪さはメイクでも隠せなかった。
あたしが心配なのだと、何にそんなに苦しんでいるのかと、二人はあたしに詰め寄った。菜々美さんは、あたしが類と上手くいっていないことを、もう羽純ちゃんに話してしまっていたらしかった。
2対1なら、あたしは勝てない。とくに自分を慕ってくれる羽純ちゃんには…。
…結局、話せることだけを彼女達に話した。
もう感覚のどこかが麻痺してしまっているのか、涙は出てこなかった。

事故後、類との関係が徐々に悪化していったこと。
おそらくはそのことが主因となり、胃潰瘍を発症してしまったこと。
自分から類に距離を置きたいと告げたこと…。

どうして、と最初に羽純ちゃんが言った。
あんなに仲が良かった二人なのにどうして、と。
彼女は意図しなかっただろうけれど、その言葉はあたしの心を奥深くまでえぐった。
社外秘である類の記憶障害のことは、二人には話せない。
だからこそ余計に理解できなかっただろう。


きっかけは、もちろんあの事故だ。
類にも、運転手の宮本さんにも、何の落ち度もなかった。
だけど、彼が事故に遭った要因には、自分が関与してしまった気がする。
あの日の朝、あたしは不吉な予感に慄いて類に追い縋り、彼に早く帰宅するように仕向けてしまった。あたしがあんなふうに不安を訴えなければ、…あの時間にあの場所を通ることがなければ、彼は日常を失わずに済んだかもしれないのに。
悔いて、悔いて、悔やみ続けて…。
だけどどんなに悔いても、それだけは悔やみきれない。


仕方ないの、と小さく笑ったあたしの顔を、二人が驚いたように見つめていた。
自分でも、どうしてこの場で笑えるんだろうと思う。
菜々美さんが言う。
「…でも、指輪は外していないのね」
あたしの右手の薬指には、いまもプラチナリングが光っている。
あの部屋にはどうしても置いてくることができなかった、それ。
「これを外してしまったら、類との関係が完全に断ち切られてしまうようで嫌なんです」
「…やり直したいと思ってるんですか?」
羽純ちゃんの問い。
「うん」
あたしは即答する。
「あたしはそう思ってる。…あとは類がどうしたいと思うのか、それだけ…」


自分にできることは精一杯やってきたつもりだ。
類には想いを告げた。あたしができることのすべてを彼の前に示した。
もう、それ以上のことはできないというところまで。
だけど、彼が返してくれたものは、あたしの望むものとは違っていた。…だから。
あたしは自分の道を進もうと思う。
その方が後悔が少なくて済むと思えるから。二人の道が再び交錯し合う時が来るとしたら、それは類から歩み寄ってくれた時だろう。



木曜日のやり取りを思い出して物思いに耽っていると、ふいに携帯電話が鳴った。
この番号を知っているのはごくわずかだ。
得てして、相手は夢乃さんだった。
「おはよう、つくしちゃん。体調はいかが?」
「おはようございます。大丈夫です。落ち着いています」
そのまま礼を述べたあたしに、夢乃さんが問う。
「今日は何か予定があるかしら?」
「学校を休んでいる間にたまった課題を仕上げるつもりでいます」
コンペが近いこともあって、課題の量は少なくなっていたが、それでも期日の迫るものがいくつかある。今回の課題は、パソコンがあればできるものだった。
「午後から母がここに来ると言ってるの。つくしちゃんに会いたいって。…会ってもらえるかしら?」
「もちろんです」
あたしの答えは淀みなかった。


八千代先生にお会いするのは本当に久しぶりだった。
最後は先生が類の病室を二度目に見舞ってくださったときで、それが7月下旬のことだった。それ以後は、あたしの就職活動や学校での告発騒動などがあって、先生のアトリエを訪ねる機会をずっと逸してしまっていた。
先生は約束の時間になると、離れの方まで自ら足を運んでくださった。
「おひさしぶり。つくしさん」
「ご無沙汰しております。先生」
「大変だったわね。…お体はもういいの?」
八千代先生はそう声をかけ、いつもと同じようにあたしに微笑んでくださった。
―初めてお会いした時と変わらない、優美な微笑みで。
はい、と答え、あたしもいつものように頭を下げ…、そこで動きを止めた。

下を向いた途端、堰を切って溢れ出した涙がパタパタと床に落ちる。
「あ…」
自分でも予想外の出来事に動揺していると、あたしの両肩に先生の手が触れた。
柔らかく、温かい手が。
「…せ…先生…っ」
泣いたって、何も変わるわけじゃない。それも分かってる。
類だけが悪いんじゃない。被害者面がしたいわけじゃない。
だけど、涙腺は崩壊したみたいになって、まったく制御が利かなかった。
あたしは先生の前で泣きじゃくった。まるで小さな子供のように。
促されるままに並んでソファに座り、先生に優しく肩を抱かれながら、自分の悲しみに折り合いを付けることができる時が来るのを待った。




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いつも拍手をありがとうございます。
誰にも本当のことを打ち明けられない、という苦しみがここにあります。
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2 Comments

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2018/09/23 (Sun) 22:39 | REPLY |   
nainai

nainai  

み様

こんばんは。いつもコメントありがとうございます。

つくしには大きなジレンマがあるんですね。自分の胸の内をすべて明かしてしまいたいけれど、類のことを周囲に悪く思われたくないという心理もそこには存在するのです。つくしには、例の事故に対する自責の念すらあって、類が悪いわけではないという強い思いがあります。だけど、現実問題は…というところなのです。…つらいですよね。

類の頭痛については今後の布石なので多くは言えませんが、もちろん意味のあることです。それがどう繋がっていくのか、予想をしながらついてきていただけると嬉しいです。

2018/09/24 (Mon) 00:21 | REPLY |   

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