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Category第3章 縒りあうもの
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卒業コンペを明後日に控え、校内の雰囲気は浮足立ったものに変わっていた。
昨年までなら楽しみで仕方なかったイベントを、…集大成としての発表の場を、こんな複雑な気持ちで迎えることになるとは思わなかった。
「じゃあね、つくしちゃん」
「はい。また明日」
晩秋の夕は暮れるのが早い。校舎を出たところで菜々美さんと別れると、夜の訪れを空の藍の深さで確かめながら、あたしは帰路を急いだ。
あたしはまだ美作邸の離れに身を寄せている。コンペが終わったらすぐ住まいを移す予定になっていた。

胃潰瘍の診断から10日以上が過ぎ、あたしの体調は元通りになりつつあった。まだ薬は続けているけれど、もらっている薬を飲み切って体調の悪化がなければ再診しなくていいと言われている。
だけど、心にはぽっかりと大きな穴が開いたままで、その虚無に呑み込まれないように、あたしは目の前の現実にだけ意識を向けるようにしていた。

ヒュウウゥゥッ

正面から吹く風は乾いて冷たく、あたしの髪を吹き上げて千々に乱す。
あたしはその冷たさにきゅっと首を竦ませた。まだ体力的には自信がない。
―早く帰って体を温めないと。いま風邪をひけないし…。
そう思いながら、足早に歩を進めていた時だった。
「…つくし様っ」
あたしの背に追い縋るようにして、後ろから声がかけられた。
それは、よく聞き慣れた声で…。
「……康江さん?」
振り返ったあたしの前に、私服姿の康江さんが息を切らしながら近づいてきた。
―こんな時刻に、どうしてここに…。
「ご無沙汰しております。…お忙しいところを恐縮なのですが、どうか私共のために少しお時間を頂けないでしょうか」
彼女は深々と頭を下げ、懇願するようにして言葉を紡いだ。


康江さんは、ご主人と共に、あたしが校舎から出てくるのをずっと車中で待っていたという。あたし達は近隣の喫茶店に入った。テーブルを挟んで、改めて宮本夫妻と向き合う。
飲み物を注文し終えると、あたし達の間には沈黙が下りた。
「……宮本さん、その後、リハビリの経過はいかがですか?」
あたしは先んじて話題を振る。
宮本さんは背を正し、恐縮したようにあたしに頭を下げた。
「はいっ。お陰様で、日常生活にはほとんど支障がなくなってまいりました」
「よかったです。…職を辞されたとお聞きしました。これまでのお勤め、本当にお疲れ様でした」
あたしに他意はなかった。
心からそう思うから、労いの言葉をかけたつもりだった。

だけど、宮本さんはくしゃりと表情を歪ませると、こらえきれないというふうに涙を浮かべてうつむいた。
「…私は、つくし様にそのように仰っていただける立場にありません。…あの日、私が細心の注意を払って運転していれば、防げた事故だったかもしれないのです。それさえなければ、類様を、つくし様をこんなふうに苦しめることにはならなかったのに…」
―あの日、あの時…。
何度も、何度も思った。
…ああだったら、…こうであれば。
でも、いくら仮定の話を考え連ねてみても、結局は結果論であり、そこにはきっと正解はない。
「お見舞いに伺ったときにも申し上げましたよね? 宮本さんが悪いわけではないと思っています。だから、そんなふうに思いつめて、苦しまないでください」

康江さんが、うつむいて口をつぐんでしまった宮本さんの言葉を継ぐ。
「今日こちらに参りましたのは、私の一存です。…花沢家のどなたからも言いつかったものではございませんので、どうぞその点はご理解くださいませ」
「はい」
「類様と婚約を解消されたとお聞きしました」
「はい」
「それは類様の記憶が戻らないことが原因なのですか?」
「…少し、違います」
あたしは言い淀む。
これ以上、それに触れてしまっていいのかを迷う。
だけど、康江さんがひどく思いつめた、沈痛な面持ちであたしを見つめるので、言葉を選びながら説明しようとした。

―宮本さん達は、責任を感じているんだ…。

そこで注文の品が運ばれてきたので、会話はいったん中断された。
その間に、あたしは話すべき内容を整理していく。
立ち上る紅茶の香りに気持ちを落ち着かせながら、あたしはおもむろに口を開いた。

「…大変な事故だったと、今、振り返っても思うんです。それでも、彼が九死に一生を得て、こうして日常生活を送れるまでに回復できたことは、本当に……本当に、奇跡的なことだと思います」
「はい」
「私は、類さんを、愛していました。…彼が記憶を失って、私との思い出のほとんどを失ってしまったことはつらく悲しいことですが、それが彼が生還するための代償であったなら、受け入れようと思ってきました」
互いを慈しみ、愛し、愛された日々は遠い。
「…でも、新しい関係を構築する過程において、類さんと私は、信頼関係を結ぶことができませんでした。それは私達の間の問題であって、他の誰も責任を負うものではないんです」



「私自身、ひどく悔やんでいることがあります」
あたしは告げる。
今もうつむいたままの宮本さんに向けて。
薄っすらと涙を浮かべている康江さんに向けて。
「事故のあった日の朝、類さんを見送るとき、私は不吉な予感に襲われて彼を長く引き留めました。類さんは私に、できるだけ早く帰るから、と約束してくれました」
あの朝、マンションに迎えに来たのも宮本さんだったはずだ。
そのことを、覚えているだろうか。
「だから、類さんは予定を切り上げて、早く帰ろうとなさったんじゃないですか? それで…事故に…」

「………いえ、つくし様。…そうではないんです」
あたしの声を宮本さんが遮る。彼はゆるゆると顔を上げる。
「あの日、元々あった予定は変更になっていたんです」
―えっ?
あたしはその言葉に目を見開いた。
「あの夜、会食は代官山の料亭で行われる予定でした。ですが、相手側の急な都合でその予定はキャンセルされたんです。類様は、別件の仕事のために品川に向かわれました。仕事は予定通りに終了しました。その帰りに事故に…。ですから、つくし様が悔やまれることは何一つないんです…」



あたし達はそれからしばらくして店を出た。
結局、紅茶にはほとんど手を付けることができなかった。
現在の住まいまで送るという申し出を断って、あたしは夫妻に別れを告げる。
車の運転席には、宮本さんではなく康江さんが座った。
二人を見送ってから、あたしも帰路につく。
『類様は邸にお戻りになっています。奥様が命じられたそうで』
康江さんの言葉が脳裏をよぎる。
『ずっと、塞ぎ込んでおられます。食も細る一方で…』
『一度、問われました。過去の自分はどんな人間だったか、つくし様とはどういう関係だったかと…』
今の類の様子を聞くと、胸が捩れそうに痛んだ。
『…どうしても、無理なのですか? もう一度だけ、類様と向き合ってはいただけませんか?』

時機が来れば、と、あたしは答えた。
夫妻が明瞭な回答を期待していると分かっていながら、それ以上の答えを、今のあたしは用意できなかった。



『12月1日のコンペを見に来てくれないかな』
『あたしの最後の発表会だから、できたら、類にも見届けてほしいの』

分かった、見に行くよ、と彼は答えた。
あの日、パーティー会場に着く前にあたしと交わした約束を、類はまだ覚えているだろうか。…たぶん、覚えていないだろう。
あたしがこの道に進むことに、難色を示し続けていた彼だから。

…もう、あたしのことなど、必要としていないかもしれない彼だから。




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いつも拍手をありがとうございます。いよいよ佳境に入っていきます。
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2 Comments

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2018/09/27 (Thu) 22:33 | REPLY |   
nainai

nainai  

カ様

おはようございます。コメントありがとうございます。
夜のうちに返信するつもりが、うっかり寝落ちしてしまいました💦
ご褒美と言っていただけて嬉しいです(*´ω`*)

第3章前半は類の心情を丁寧に辿ってみたのですが、うまく伝わっているようで良かったです。今の類は、“自分”という存在を確固たるものとして確立することに必死なんですね。そのためにつくしは必要不可欠なピースで。
総二郎が指摘したように、類が悪かった部分というのは、その心情をきちんと打ち明けなかったことだと思います。でも、それだけでは不十分で、相手の立場を思いやることの必要もそこにはありました。

(『七夕』の総二郎を褒めていただきありがとうございました~。照れます(*ノωノ))

物語は後半へと移ります。更新頑張っていきますね! 最後までよろしくお願いします。

2018/09/28 (Fri) 06:38 | REPLY |   

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