3-19
眠気を感じ始めたところまでは覚えている。
頬に当たるふわふわの感触からして、たぶん、あたしはベッドサイドに突っ伏して眠っていた。このところ、そうやって
誰かの手が、あたしの頭を撫でている。
優しく、何度も。
「…ん…」
やがて、頬をそっと撫でられて…。
「……し、…つくし」
あたしの名を呼ぶ声。
ふわっと意識が浮上してくる。
―えっ。誰が…っ!?
急速に覚醒し、慌てて顔を上げる。
…ずっと待ち焦がれていた笑顔に、あたしはようやく出会えた。
「つくし…」
心臓が引き攣れる。
あたしに触れ、名を呼んでいたのは類だった。
上体を起こし、優しい微笑を浮かべて。
―類…っ!!
あたしも、彼の名を呼ぼうとして。
だけど、唇が
声にならない。
胸がいっぱいで。
言葉よりも先に、涙が溢れだす。
類の指が、あたしの頬を伝う涙を拭う。
「ごめん…。また、あんたを泣かせてる」
「…る、ぃ…っ」
やっとのことで声を発する。
彼はあたしの腕を掴んで引き寄せた。
ベッドの上に引き上げられ、背に腕を回されて。
そうして、ぎゅっと強く抱きしめられる。
痛いくらいに。
あたしも彼の背に両腕を回して、強く抱きしめ返す。
「…やっと、つくしに逢えた」
「あたしも…逢いたかった…っ」
―夢じゃ、ない。
最初は、都合のいい夢なんじゃないかと思った。
類の笑顔があまりに優しいから。
だけど、彼の温もりが、息ができないほどの抱擁が、これが現実であることをあたしに知らしめる。
別れを決意したあの日から、自分の半身が失われたかのような痛みがあった。
逢いたくて、逢いたくなくて、…でも逢いたくて。
再び、彼を失うかもしれない恐怖に
それでも、彼の回復を信じて待ち続けた。
…今日、この瞬間まで。
嗚咽に身を震わせ、ただ泣くばかりのあたしに、類はそっと告げた。
「このままでいいから聞いて。…先に、謝っておきたいことがある」
あたしは無言のまま頷く。
「少し期待してた。…目が覚めたら、全部思い出せてるんじゃないかって」
静かに、息を呑む。
…類の腕に力がこもった。
「…ごめん。……やっぱり、何も思い出せない」
あたしは目を閉じる。
漠然とだけど、なぜか、そうなるような気がしていた。
あの夜、彼が生還したことこそが、唯一無二の奇跡だったのだ。
そのときのあたしの脳裏を
…あるいは、失意だったか。
「ごめん。…あんたに、思い出だけ残したままで…」
類の声が震えている。
そんな弱々しい彼の声を、あたしは初めて聞いたと思う。
「…独り善がりで、記憶すら不完全で…。俺に、こんなことを言う資格がないことも分かってる。…だけど、言わせてほしい」
うん、とあたしは頷く。
「俺はつくしと生きていきたい。…あんたを、心から愛しているから」
『愛したい』からではなく、『愛している』から。
その言葉に、類の心の変遷を知る。
ほんの少しだけ体を離して、あたしは類と見つめ合う。
かぁっと頬が火照っていくのが分かった。
「…あのね。…話したいことがたくさんあったのに、何から話していいのか、急に分かんなくなっちゃって…」
類は、あたしを急かさず待っていてくれる。
「…類と離れている間、寂しかった。自分から言い出したことなのに。心にぽっかり穴があいたみたいで…」
―喪失の痛みに耐え続けた日々。
「だけど、それと同じくらいホッとしてもいたの。離れてしまえば、…これ以上、類のことを悪く思わずに済むんだって」
初めて類に抱いた怒りを、あたしは今も忘れてはいない。
彼から与えられた悲しみも、何もかも…。
「ちゃんと言葉にして言えばよかった。類ともっと喧嘩すればよかった」
「…俺はあんたにそれをさせなかったよ。…意図的に…」
「うん…。でも、殴ってでもそうしてやればよかったって、今では思うの」
「殴る…?」
つくしが?という目線で彼が問うので、あたしは笑う。
涙がこぼれて、泣き笑いになる。
「覚えてない? あたしが、高校のとき、道明寺をぶん殴ったの」
「…あったね。そう言えば」
類も小さく笑う。
「あたし、類とやり直したい。…そのために、もっとたくさん話したい。あたしのこと、ちゃんと分かってほしいから。…類のことも、たくさん話してほしい。ちゃんと理解したいから」
「…俺でいい? 記憶は…もしかしたら、ずっと戻らないかもしれないよ」
「それでも、いい」
あたしは即答していた。
「記憶がなくたって、類は類だよ。…あたし達は、これからでも変わっていける。きっとより良い方向に」
愛情を育んでいく中で、あたしはまた巡り合えるかもしれない。
かつての類に。
だって、彼は彼だ。
別人などではなく。
これから進む長い道程では、いつしか
多くの
だから、あたしは、その
…いつまででも。
「ずっと傍にいる。…類が、あたしを、信じていてくれる限り」
類は、目を伏せた。
その長い睫毛が小さく震えている。
「…信じる」
彼はあたしの想いに応えた。力強く。
「つくしを信じる。これから、どんなことがあっても」
ゆっくりとその瞳が開かれ、あたしだけを映して煌めいた。
…もう、その言葉だけで十分だった。
どちらからともなく、あたし達は唇を寄せ合う。
啄ばむようなキスを何度も繰り返す。
やがて、類はあたしの頬を両手で挟みこむと、顔中にキスを降らせ始めた。
くすぐったさに、あたしは笑い声を上げる。
彼の小さな笑い声も聞いた。
長い間感じ続けていた、彼とのasymmetry。
齟齬を正しく見つめ、欠けた部分を満たし、あたし達はようやく向き合えた。
大丈夫。
今度こそ、間違えない。
今ここにいる互いの姿だけを見つめて。
…その
そう、信じてる。

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いつも拍手をありがとうございます。この結末は最初から決めていました。
これが私が描きたい世界観そのものでした。