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Category第3章 縒りあうもの
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3月30日。
類の24回目の誕生日は、あたし達にとっては人生の節目となる一日になった。

「明日は先勝せんしょうでございます。吉事は午前中に速やかに行う方がよいとされています!」
前日のうちに、康江さんから六曜についての知識を得ていたあたし達は、いつもよりも早く目覚めた。本来なら仕事のある類も、今日ばかりは休みをもらえたらしい。
外は桜の開花も早まりそうなほどの陽気さで、幸先のいいスタートを予感させた。支度を整えてすぐに向かった最寄りの区役所で、あたし達は揃って婚姻届を提出する。
「確かに受理いたしました。おめでとうございます」
職員が届けの内容を検め、書類上の不備がないことを確かめてそう言ってくれたとき、あぁ、こんなにもあっさりとあたし達の婚姻は認められてしまったのだ、と、妙に落ち着かない気持ちがした。

あたし達が出会ってから、もうすぐ7年。
…本当に長かった。とくに、この1年は。
ようやく迎えることのできた今日が、嬉しくてたまらなくなって、あたしは類の手を握る。ぎゅっと強く。それに気づいた類も同じように握り返してくれながら、美しいその瞳であたしを見つめ、微笑んでくれた。
心から、幸せだと思った。



「若奥様のご希望により、これから、お二人のご成婚を記して植樹式を行います」
花沢邸の庭の一角に皆で集まると、執事の磐田さんがそう言って植樹の儀を始めようとする。あたしは慌てふためいた。
「あのっ、磐田さん?」
「いかがされましたか」
「わ、若奥様って…」
つい今朝方まで、あたしの呼称は“つくし様”だったのに…。
気恥ずかしさも相まって、頬が熱くなるのを感じた。
「類様とのご入籍に至りました故、今後はこのようにお呼びいたします」
「……照れてるの?」
横にいた類が、ひょいっとあたしの顔を覗き込む。

…ちょっと、距離が近いんだけど。
皆の前だし、余計照れるじゃないっ!

「婚姻届を出したら、いろいろ変わることがある。…つくしの姓が変わる。周囲からの呼称が変わる」
類は美しく口角を上げる。
「あんたも変えないといけないよ。…今後は、両親のことをお義父さん、お義母さんで呼んでやって」
「…あっ」
「最初に母に言われたんだろ? 名前の方で呼ぶようにって」
あたしは頷く。
ご両親と初めて顔を合わせたあの日、彼らになんと呼び掛けていいか迷っていたあたしに、真悠子さんはそう言ってくれたのだ。まだお義父さん、お義母さんと呼ばれるのは照れるから、名前の方で呼んでくださいね、と。
その真悠子さんは、2月末に暁さんのいるフランスへと渡ってしまった。
次に会うのは結婚式の当日になるだろう。
「少しずつ慣れていこう? 時間はあるんだから」
「うん…。分かった」

「……よろしいですかな?」
つい二人の世界に入り込んでしまいそうだったのを、笑いを含んだ蓑井さんの声にハッとさせられ、あたしは慌てて前を向いた。
「この樹は金木犀の苗木です。開花時期は秋、開花期間は3~4日と非常に短い花ですが、その芳香はご存知の通り強く甘いです」
蓑井さんは、若い苗木を2本、あたし達の前に差し出す。
「花言葉は、『謙虚』、『気高い人』、『真実』、『初恋』、『陶酔』です。…どれも素敵な言葉でしょう?」
あたしは蓑井さんを見つめ、何度も頷く。彼なりの祝辞を込めて選んでくれただろう樹木の、その花言葉をそっと胸にしまい込む。

…あたしの初恋は、類だった。
改めて、そのことを思い出す。

蓑井さんの主導の元、あたし達は苗木を植樹した。
金木犀の香りが開花を知らせてくれるたびに、あたし達は思い出すだろう。
素晴らしい今日の日のことを。
「花に因んだ金婚式を迎えられるまで、きっとこの樹も元気でいるでしょう。どうぞ、末永くお幸せに」
「…ありがとう、ございます」
あたし達を見守っていた磐田さん、康江さん、いまは退職された宮本さん、小野寺さん、今井さん…。他にも花沢邸で働く人々から口々に告げられる祝辞に、あたしはこらえきれなくなって涙をこぼした。
うつむいたあたしの肩を、類が優しく抱き寄せてくれる。
幸せで、幸せで…。
皆の温かさに触れて胸がいっぱいになり、あたしは涙を止められなかった。



植樹式が終わるとあたし達は昼食を摂り、すぐ次の目的地へと向かった。
類が、逗子市葉山町にある別荘へ行きたいと言ったのだ。
彼と一緒にその地へ赴くのは、2年前、彼からプロポーズを受けて以来のことだった。道程にして片道約1時間半のドライブは、今井さんに運転をお願いした。

類が慢性硬膜下血腫の手術を受けてから4ケ月。
定期的な受診はもちろん欠かしていない。今後も脳外科でのフォローは続く。
現時点では再発の兆候はなく、また記憶の変性も見られない。
そのことに安堵しながらも、類はわずかな懸念を捨て去らず、宣言通りに自分の記憶を残す作業を実践に移した。
いわば自分史のようなそれはきちんと時系列に整理されて、彼という一人の人間が、どんなふうにして成長してきたのかを克明に記してあった。
類は元より写真を撮られるのが嫌いだった。だけど、最近では事ある毎に二人の写真を残そうとしてくれる。宝物だったあの一枚は、いまや十数枚に増えていて、きっとこれからもどんどん増えていくだろう。


「あぁ、変わってない…」
凝った作りの平屋建ての別荘の前にすると、そんな言葉が口をついて出た。
2年前、同じ場所に降り立ち、管理人夫妻に温かく出迎えられたことを思い出す。今日は邸内に入る予定がなかったので、夫妻の姿はここになかった。
「行こうか」
「うん」
類から差し出された手を握り、その指先へとそっと指を絡める。
あたし達は建物の裏にある遊歩道へと足を向け、相変わらず美しく整備されているその道を奥へと進んだ。

―あぁ、森の匂いがする。

この匂いを好きだといった類を思い出す。
あの日、ここで彼がそう言ったことを憶えているのはあたししかいない。
だから、ずっと、それを忘れないでいようと思う。

「…ひんやりして気持ちいいね」
「うん。寒くない?」
「平気」
「…森の匂い、俺、好きなんだ」
類が頭上を覆う深緑の枝葉を仰ぎ見て、そう呟く。
―知ってるよ。
あたしは、心の中でそっとそれに応えた。



「綺麗…」
開けた視界に飛び込んでくる青、青、青。
淡く澄んだ春の空。穏やかな陽光に煌めく海。
変わっていない。ここからの景色は。
2年前と何も…。
「つくし」
絶景に魅入るあたしを彼が呼ぶ。
「俺、ここで、あんたにプロポーズしたんだよね」
「交際を申し込む手順を飛び越して、いきなりプロポーズしてくれたよ」
「…あんたが俺のことを好きだって、よほど自信があったんだろうね。俺は」
「たぶん、そう」
あたしは笑う。
「ずっと、類が好きだった…。でも、あたしは、そのことに無自覚だったから…」


「両親も俺も此処でプロポーズしてるし、二番煎じならぬ、三番煎じかもしれないけど…」
そう言って、類はあたしに向き直り、そっと両手を包み込む。
「…人生の伴侶に、俺を選んでくれてありがとう」
口を開きかけたあたしを、類は目で制する。
「至らないところもある俺だけど、自分にできる精一杯で、あんたを大事にするつもりでいる」
彼の言葉がじんわりと胸に染み入る。
「思うことがあれば言って。受け止めるから。…もう絶対に悲しい想いをさせたくないから」


「…もう一度、あたしを愛してくれてありがとう」
あたしも応える。彼の想いに。
「類が記憶を失くしたとき、あたし、ひどく臆病だった。自分に自信がなくて。類に拒絶されることが怖くて」
彼の婚約者であることを隠した自分。
だけど、今は思う。
そうするべきではなかったのだと。
疎んじられても、拒絶されても、類の傍を離れるべきではなかった。
「…もし、類がまた、あたしを忘れてしまうことがあっても、今度は自信を持って言う。『私があなたの妻です』って。…ずっと傍にいるから」

類が身を屈めて、あたしにキスをする。
繋いだ手を解いて、強く、強く抱きあう。



生きよう。類。
あたし達の未来を。

この先にどんなことが待ち受けているのかは、誰にも分からない。
人生という長い旅路には、岐路はつきものだから。
だけど、自分達の絆を過信せず、互いへの感謝を忘れずに日々を暮らしていけば、あたし達の道は必ず重なり合う。

だから、ずっと一緒に歩いていこう。





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