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Category第3章 縒りあうもの
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「…いい香り」
季節は仲秋。
窓を開け放った途端、金木犀の淡い芳香が部屋を満たし、今年もその時節が訪れたのだと知らせてくれる。
「類、今年も私達の金木犀が咲いたよ」
『もうそんな時期か。…そろそろ帰国したいな』
パソコン画面の向こうで、スーツ姿の類が苦笑いをする。
もう不惑を迎えたとは思えないほど、彼の容姿は美しいまま変わらない。

「お父さん、今度はいつ帰るの?」
中学生になった長女の志緒が、私の横からすっと顔を前に出して類に問う。
『月末までには帰国する予定。…変更がなければ』
「この間みたいなのは嫌ですからね。せっかく帰国したのにお仕事ばっかり…」
『善処はするけど、それは社長にも直訴しておいて?』
類は苦笑する。
もうっ、とむくれる娘は、年を追うごとにその表情が自分に似てきたと思う。

『あぁ、もう行かなきゃ。…たくみはいる?』
「いるよ」
「お父さぁん、おはよっ」
カードで遊んでいた小学3年生の長男は、類に呼ばれた途端にこちらに駆け寄ってきた。じゃれつくようにして私の膝の上に乗り、画面の向こうの類に手を振る。
「お仕事、頑張ってね~」
『お前は稽古事を頑張るように。…先生から、いろいろ報告は聞いてるからね』
「あ~。…うん」
匡は興味の有無がはっきりしている。
数学には教師も舌を巻くほどの集中力を発揮するが、社会学になると途端に居眠りを始める。バイオリンは少しも上達しないけれど、ピアノは志緒よりも上手だったりして…。それに心情表現がとても豊かだ。絵を描かせると、驚くような作品を仕上げてくれる。

「頑張るからさぁ、その代わり、今度はいっぱい遊んで」
『…分かった。約束するよ。…じゃ、行ってきます』
類はそう請け負うと、軽く手を振って画面を暗くした。
フランスの現地時刻は午前7時。副社長の類に課せられる責務は重く、また多岐にわたっている。今日も夜遅くまで働くのだろう。



―遡ること、約17年前。

入籍の2日後、『fairy』の入社式が行われ、兼ねてからの希望通りに私は社会人になった。今坂友麻社長は冒頭の挨拶を述べた後で自ら壇上を下り、新入社員一人ひとりの手を固く握って激励し、ともに会社を盛り立ててほしいと強く訴えた。快活な女社長は、こうして人の心を掌握するのだと改めて感じ入った瞬間だった。

『fairy』には基本カラーが4色ある。
純白を意味する『pw (pure white)』、空色を意味する『sb (sky blue)』、深紅を意味する『dr (deep red)』、そして、漆黒を意味する『jb (jet black)』。それぞれの部門にチームが結成されており、イメージカラーごとに独自のデザインが展開されている。

私は『pw』部門へと配属され、新人デザイナーとして様々な仕事をこなし続けた。上司や先輩方の指導は厳しく、自分の技量不足に落ち込むことも多々あったけれど、チームの結束力に掬い上げられる形で徐々にだが成長していった。
そこで下積みをすること2年半。『fairy』の5色目、『vv(violet&violet)』部門が新規に立ち上げられることになり、私はその初期メンバーに選出された。チーム内では最年少、まさに大抜擢という形だった。
仕事は本当に楽しかった。皆で作り上げた作品は私に新しい流行の到来を予感させ、次なるビジョンを、新たなインスピレーションを与え続けてくれた。


類は類で、入籍から2年後、他社とのある共同事業において非常に大きな成果を収めて会社に貢献し、その評価を一気に高めた。意欲的に仕事に取り組む一方で、彼は社員の働き方を全般的に見直し、キャリアの女性を育成する方針を打ち立て、それに尽力し続けた。
圧倒的な男性社会の中、幹部役員として働く母の真悠子さんを後押しする狙いもあっただろうけれど、兼ねてより国が推進している女性のキャリア育成を実践に移すものであっただろう。
上層部の反発は根強かったと聞く。それでも若い世代の社員達の絶大な支持を集め、類は社内改革を推し進めていった。その結果、離職率が低く、女性が働きやすい職場として花沢物産は名を馳せ、より多くの優秀な人材を集めることに成功していく。


それぞれが自分の仕事に没頭するあまり、私達の間には少し距離が生まれた時期があった。生活時間帯のズレは、穏やかに触れ合う時間を日常から奪う。類の出張などもあり、すれ違いの生活が1ヶ月近くに及んだとき、私の中で寂しさが弾けた。
類の遅い帰りを待ち、彼と向き合って私は言った。
私は寂しい。類と話したい。触れ合いたい、と。
類も言った。
自分も寂しい。お互いに働きすぎだね、と。
久しぶりに熱く求め合って満たされ、私達は夫婦の在り方を見つめ直すに至った。それは夫婦がともに働くのであれば、必ず突き当たる壁だったように思う。
子供のことを強く意識し始めたのはその頃からだった。

それから3ヶ月後、私は第一子となる長女・志緒を身ごもった。
類や周囲に心配されながらも、会社規定の産前6週まで仕事を続け、27歳の冬、私は初めての出産に臨んだ。出産には類も立ち会ってくれた。
初産にしては比較的スムーズにお産は進み、病院に運び込まれて2時間後、私達はかけがえのない我が子との対面を果たした。


29歳の春。30歳という若さで副社長に就任した類のフランス行きが確定したとき、彼とともに渡仏するかどうかでは大いに悩んだ。それを上司に相談すると、フランス支店でショービジネスの修行をしてくるのはどうか、と提案された。
『vv』部門での新しい仕事が軌道に乗り始めた矢先のことだったので、幾分か心残りはあったものの、意を決し転属を希望して、私は『fairy』のフランス支店の一員となった。ファッションの流行の先端を競い合うショービジネスの世界は、私に新たな見地けんちを与えてくれた。

その1年半後の秋、私達は揃って帰国した。
それと入れ替わるようにして、暁さんと真悠子さんが渡仏した。仕事の関係上、私達はご両親と一緒に暮らしたことがなかった。
31歳の冬には、第二子となる長男・匡を出産した。
志緒のときとは違い、匡の出産には、経産婦でありながら思ったよりも分娩に時間がかかった。類はこの時も立ち会ってくれ、お産の痛みに苦しむ私を傍で支え続けてくれた。


『fairy』は、出産のために二度、仕事を離れた私にも等しくキャリアを積むチャンスを与えてくれた。34歳の夏、東京で行われたファッションショーでは、チームの牽引役としての役目を振られ、フランスで培ってきた選定眼を武器にショーを成功へと導いた。
西門さんの従姉である大宮史月さんと再会したのはその頃だった。
同じくショーに参加していた彼女は、私にある提案を持ち掛けた。いわく、デザインのコラボレーションをしてみないかという内容だった。
和洋美の融合という、これまでの『fairy』にない試みについては、社内でも大きく意見が割れた。最終的には多数決になり、僅差でコラボレーション企画にGOサインが出た。もちろんチーム筆頭は企画書を提出した私で、一時的に発足したチームは通称で『j(Japonism)』と呼ばれた。

再び、類の欧州行きが決まったのは、私が38歳の春のことだった。私の仕事のこと、子供達の学校のこともあり、二人でよく話し合った結果、家族は渡仏しないことを決めた。類と離れて暮らすのは、結婚して以来、初めてのことだった。
欧州に渡った類と入れ替わるようにして東京に戻ってきたご両親と、子供達とともに花沢邸で暮らす日々が始まった。

今年の春、私は念願だった『sb』部門に配属された。ファッションイベント時に結成される『j』チームの共同活動も本当に楽しかった。

―そうして、今に至る。



「お母さんは、寂しくないの? お父さんとずっと離れて暮らして…」
志緒が、暗くなったパソコンの画面をその白い指先でなぞる。
「寂しいよ。すごく。…だけど、お母さんにも、お父さんにも、それぞれにやるべきことがあるから、こうして頑張っているんだよ」
仕方ない、という言い方はしない。
私達は、自分達の意志でもって、そうすることを選んでいるのだから。
「…早く帰国できたらいいのにね」
「本当にね。また一緒に暮らしたいね」
私がノートパソコンを閉じると、志緒は微笑みを残し、スカートを翻して部屋を出ていった。彼女にはこれから日本舞踊の練習がある。匡も勉強の時間だった。

「若奥様、これからお出かけですか?」
70歳を機に職を辞した康江さんに代わって、使用人頭となった小野寺さんが駆け寄ってくる。
「えぇ。アトリエで少し仕事をしてこようと思います。今井さんを呼んでもらえますか?」
「畏まりました」
志緒と匡の稽古が終わるまでには帰宅するつもりで自宅を出た。
車に乗る直前、金木犀の香りがかすかに鼻を掠めた。
蓑井さんの世話する記念樹は、今年も美しく咲き誇ってくれるだろう。

―逢いたいな。

私は、遠い空の下にいる最愛の人を静かに想った。





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いつも拍手をありがとうございます。
時は流れて17年。いよいよ明日のエピローグを残すのみとなりました。
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2 Comments

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2018/10/26 (Fri) 12:05 | REPLY |   
nainai

nainai  

わ様

こんばんは。いつもコメントありがとうございます。
体調はもうよろしいのでしょうか。不調が長引いたようで大変でしたね。

17年が経過してしまいました。不惑を迎えても類は類なんだろうな~と思いながらでした。その間のことをこんなに短縮して書いていいものだろうかと思いましたが、エピローグなので駆け足です。
あきらには損な役回りをさせてしまいました…(;^_^A でも気遣いに長け、お兄さん気質な彼らしいなと私は思っています。
今夜、いよいよ最終回です。どうぞ最後までよろしくお願いいたします。

ハイテク化についてですが、追いつけていないのは私も同じです。とにかくインターネット様々ですw
作家様達には横のネットワークがあるので、先輩に習いながらIT技術を身につけていくようですよ(*´ω`*)

2018/10/26 (Fri) 19:02 | REPLY |   

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