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2.小切手

Category『Distance from you』 本編
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「…で、いったい何者なの? この人」
シロンの足の手術が無事に終わり、安堵からぐったりと椅子に座り込んだつくしに、受付係の長谷ミチ子は問うた。彼女は、前院長・斐川伊佐夫が開院した当初からの古株事務員で、つくしにとっては第二の母のような存在だ。
その手の中には、先ほど類が残したメモ用紙がある。

幸いなことに、シロンの怪我はつくしの見立て通り、後ろ足の骨折が2カ所だけだった。下半身をぶつけられたことによる内臓損傷が一番の懸念だったが、現時点では血尿もなく、画像診断でも所見なしだ。シロンは入院中の他の動物達とともに個別のゲージに入れられ、静かに回復を待っている。

「…シロンのことで頭がいっぱいだったから、あまり覚えてないけど、いい人そうに見えました」
「めったに見ないような綺麗な顔立ちでしたよ」
つくしの曖昧な表現に、由紀乃が言い添える。
「…顔? …あぁ、そう言われてみたら、ハンサムだったかなぁ」
「まさか先生、あの美形が印象に残ってないんですか?」
由紀乃の言葉に、つくしは苦笑する。
とてもそんな余裕はなかったのだ。


「で、その人が置いていったのよね。この小切手」
つくし達が処置から戻ると、もちろん類の姿はなかった。
残されたのは、彼の連絡先が書かれたメモ。
…それから、50万円の金額が記された小切手が一枚。 
ミチ子がそれをまじまじと見つめながら言う。
「小切手って初めて見たわぁ。これを換金できるのよね?」
「銀行に持っていけば。…でもダメですよ。私にも過失があるから、そこはちゃんと話し合いたいので」
「相変わらず真面目ねぇ。先方が払うって言ってるんだから、もらっておけばいいのに」
ミチ子はコロコロと笑う。由紀乃も頷いた。
「こんなものをポンと置いていける人だから、相当なボンボンと見たわよ」
「そうですね」
「…でも、この名前、どこかで見たことある気がするのよねぇ…」
ミチ子が考え込むようにしたのを機に、つくしは午後の診療に意識を向けた。

先ほど乗り込んだ彼の車は外車だった。
シロンの血でシートが汚れないかと気を揉んだことを思い出す。
経済的に裕福な人なのだろう、とはつくしも思っていた。

つくしはミチ子からメモと小切手をもらい受けると、デスクの引き出しに入れた。今度類から連絡があったら、小切手は受け取れないと言うつもりだった。


昼休みのほとんどをシロンの処置に充ててしまったつくしは、疲れが取れないまま午後の診察に臨んだ。
予防接種、犬同士の喧嘩による創傷の縫合、猫の避妊手術の相談…と、ひっきりなしに患者は来院し、つくしはそのどれにも丁寧に応対した。
午後5時にパートタイマーのミチ子が、午後6時半に看護師の由紀乃が帰ってしまうと、午後8時までの診療はつくし一人で切り盛りする。
受付から会計まで、彼女は何でもこなす。
午後7時半に最後の患者を帰してしまうと、つくしは病院を閉める準備に取り掛かった。受付は原則的に7時までなので、今夜の仕事はここまでだ。


カララン。


表玄関のベルが鳴り、誰かが入ってきたのが分かった。患者かと思ってつくしが診察室から顔を出すと、受付に立っていたのは昼間の彼だった。
「あっ…花沢さん」
「こんばんは。改めて謝罪に伺いました。今、お時間よろしいですか?」
えぇ、と頷き、つくしは類を診察室に招き入れた。
いま、こうして冷静になって相手の顔を見てみると、由紀乃の言っていたように、確かに相手は稀に見る美しい容貌の男性だった。
色素の薄い柔らかそうな髪と、その色と同じ澄んだ瞳がひどく印象的だ。



『花沢物産 取締役副社長  花沢 類』
改めて差し出された名刺には、彼の肩書がそう記されていた。
花沢物産と言えば、国内だけでなく欧州各地にも多くの事業拠点を有する大手企業だったはずだ。つくしは、自分と同年代に見える目の前の相手が、大層な役職を有していることに素直に驚いた。

「シロンの経過はどうですか?」
診察室の椅子に座った類は最初にそう切り出し、つくしはすっと頭を下げた。
「ご丁寧にありがとうございます。ケガは足の骨折が2ヶ所だけでした。内臓の損傷がないかどうかは経過観察中ですが、今のところ問題なさそうです」
そうですか、と呟き、類は持参した菓子折りをつくしに差し出す。
「この度はご迷惑をおかけして誠に申し訳ございません。心ばかりですが、どうぞお受け取りください」
「いえ、そんな…」
差し出された包みは、つくしでさえ知っている高級名菓店のそれで、彼がいろいろと気遣いをしてくれているのが分かる。だが…。
なかなか受け取ろうとしないつくしに、類は小さく笑んだ。
「…どうぞ?」
「ありがとうございます…」
根負けしたのはつくしの方だった。
柔和に見えるけれど、彼の微笑には押しの強さがある。

つくしは包みを受け取って机の上に置くと、その引き出しから昼間置かれたままになっていた小切手を取り出した。
「花沢さん、申し訳ございませんが、これは受け取れません」
「…なぜです? 足りませんか?」
類がさらりと発した言葉に、つくしは内心ギョッとした。
―足りない? そんな馬鹿な…。

「いえ、その逆です。シロンの治療にかかる費用はおそらく25万円弱です。むしろ多すぎます」
「でしたら、残りは慰謝料としてお受け取りください」
類は小切手の返却を拒む。つしくは言い募った。
「いえ…。シロンをケガさせてしまったのは、私にも過失があるのです。散歩中、うっかりリードを外してしまいました。…やんちゃで飼い主の私の言うこともしっかり聞けないあの子ですから、私がよくよく注意していなければいけなかったんです。ですから、これは受け取れません」
そう言ってつくしが深く頭を下げてしまうと、類が困惑した様子なのが伝わってきた。だが、つくしには自分の過失をなかったことにはできない。先方にとっては取るに足らない額だったとしても、その厚意に甘えることはできなかった。

くすっと小さく笑う声に、つくしは静かに顔を上げた。
「…シロンが全快するまでに、どれくらいの期間がかかりますか?」
今、この場での思いがけない質問に、つくしは目を瞬かせた。
「このまま他の損傷がなければ、1ヶ月半から2ヶ月の見込みです」
「結構かかるんですね」
「人間と違って、全快の判断が難しいんです。不調を教えてはくれませんので」
分かりました、と類は言い、こう提案した。
「補償は20万円とさせていただきます。これ以下は譲りません。シロンが全快するまでときどき様子を窺わせてください。何かあれば都度応じます。それでいかがでしょうか」
「…分かりました」
類は最初の小切手を破り、新しい小切手を切り直して、つくしに手渡した。
「シロンに会っていってもいいですか?」
「えぇ、どうぞ」

つくしは診察室の隣室にある入院部屋に類を通す。
「マスクをお願いします」
自身もマスクをつけながら、つくしは類に同じものを手渡す。
入院部屋には6つのゲージがあった。
うち5つは埋まっていて、犬が2匹、猫が3匹入って身を休めている。
「シロン、お見舞いだよ」
つくしの声を聞くと、シロンはぴくりと反応して、キュウンと小さく鳴いた。
足には創外固定法で止めた金属製のピンが見える。シロンの体への負担を考慮して選んだ治療法だった。
「こんばんは。シロン」
類はそう言って、シロンに話しかける。
話しかけられた方は、誰?というようにつくしを見上げた。
「今日はごめんな。…早く良くなれよ」
それがとても優しい語りかけだったので、彼は動物好きなのだろうかとつくしは思ったが、結局その疑問は口にしなかった。


類はシロンを見舞った後、そのまま帰っていった。
つくしは走り去る車のテールランプを見送りながら、もう十分だと思った。
事故後の彼の対応は満点だった。
これ以上の補償や訪問は必要ないとつくしは思う。

だがこのショッキングな出会いが、この先にずっと続いていく二人の関係の始まりだとは夢にも思わないつくしだった。





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いつも拍手をありがとうございます。
初っ端よりご心配いただきましたシロンは、骨折のみでした(;^_^A
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8 Comments

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2018/11/05 (Mon) 22:24 | REPLY |   

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2018/11/05 (Mon) 22:26 | REPLY |   

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2018/11/05 (Mon) 22:30 | REPLY |   
nainai

nainai  

わ様

こんばんは。いつもコメントありがとうございます。

二次の世界ではつくしが医師になる話もありますが、獣医師は少ないかな?と思ったのがそもそものきっかけでした。彼女の誠実で優しい性格からすると、ぴったりのような気がしてしまって…(*´ω`*)
我が家はアレルギー持ちがいるので動物は飼っておりません。なので友人や同僚の話を基に妄想を膨らませています💦
シュナウザーも芝犬も可愛いですよね! お話に出すのにどの犬種がいいのか、いろいろ迷いました。

動物との関わりを中心に話を進めていきます。
しばらくはゆっくり更新ですが、よろしくお付き合いくださいませ。

2018/11/05 (Mon) 23:35 | REPLY |   
nainai

nainai  

ま様

こんばんは。いつもコメントありがとうございます。

ご心配をおかけしましたが、シロンは骨折したものの大事には至りませんでした。これから彼には、二人のために大いに活躍してもらわないといけないので…(*´ω`*)
シロン以外の動物達も続々と登場します。どうぞお楽しみに♪♪

つくしが30歳になる年なので、類はすでに30歳です。アラサーの二人を描いていきます。
これまでの作品の二人と上手く書き分けができればいいのですが…。
更新、頑張ります!

2018/11/05 (Mon) 23:50 | REPLY |   
nainai

nainai  

m様

こんばんは。いつもコメントありがとうございます。

シロンのケガは骨折のみとしましたが、犬にとっての骨折は人間のそれとはやはり違いますよね。可哀そうな目に遭わせてしまったシロンなのですが、今作ではこれから大いに活躍してくれる予定です。

二人は出会ったときがすでに社会人で、それぞれに立場が確立されています。
“自由が利かない”という重要な部分に着目していただけたようで嬉しいです。これからその辺りを詳細に、複雑に描いていく予定でいます。
更新、頑張ります!

2018/11/06 (Tue) 00:01 | REPLY |   

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2019/12/07 (Sat) 14:32 | REPLY |   
nainai

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ふ様

こんばんは。
ご連絡ありがとうございます(*^-^*)

表記の件、ご指摘の通りです~。さっそく訂正しておきました!
更新前に何度もチェックはしているのですが、どうしても思い込みや見落としが…(;^_^A できるだけ正しい表現を残したいので、「ここは?」と思うところがあればまたご連絡ください。ありがとうございました。

インフルエンザや風邪の流行期ですが、とりあえず我が家は無事です。ふ様もどうぞご自愛くださいませ。

2019/12/07 (Sat) 20:56 | REPLY |   

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