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9.バスオイル

Category『Distance from you』 本編
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つくしの元に訪れるのは、回復見込みのある動物ばかりではない。時には重度の病態に陥り、つくしにも手の施しようのない状態で運び込まれる動物もいる。
その日は、血相を変えた飼い主が、ピクピクと痙攣をしながら泡を吹いているチワワを連れて病院に飛び込んできた日だった。一目見ただけで、その子が死に瀕している状態なのがつくしには分かった。
「何か誤飲をしませんでしたか? 中毒症状を起こしています」
飼い主の女性はパニック状態に陥っていて、なかなか正確な情報が聞き出せない。
―殺虫剤だろう。痙攣が強い。間に合わないかも…。
つくしの処置の甲斐なく、チワワはあっという間に病態が悪化し、そのまま短い生涯を閉じた。

愛犬の亡骸に縋り、わっと泣き伏す女性には、正直かける言葉が見つからなかった。ましてや、その死が飼い主側の注意により回避できるものだったのなら尚更、悲しみは深いだろう。
由紀乃にその女性のフォローを頼みつつ、つくしは次の患者の診察にあたる。
この仕事に就いて何年経とうとも、救えなかった命に対しては申し訳ない気持ちが胸に渦巻く。
―救えなくてごめんね。…苦しませてごめんね。
だが、その悔恨を引き摺らないように、つくしは心の声を一時的に遮断し、無理やりにでも前を向く。


「…先生、どうしたの」
あれからも類は、毎週土曜日に顔を出す。
午前の診察が終わって昼食を摂り、散歩のためにシロンを3階から連れて下りると、いつもの場所で類が待っていた。
つくしの表情が暗いのが分かったのだろう。類は顔を合わせるなり、そう言った。

散歩友達として、彼と公園に出かけるのは今日で4回目。
シロンの事故の日から数えると、二人が出会ってすでに2ケ月以上が経っていた。
その頃になると、互いの口調はすっかり砕け、敬語を使わなくなった。
類は、つくしを、『先生』あるいは『あんた』と呼んだ。
…つくしの方は、相変わらず苗字の敬称付きだったが。

類は最初に見せていた余所行きの笑顔をやめ、感じたことをそのまま表情に出し、思ったことを素直に口にするようになった。時にシニカルに感じる言動も、つくしは何の気遣いもせずそのまま受け止めた。
つくしの方も、話せば話すほど類に心安さを感じるようになってはいた。最初に感じていた価値観の相違は、確かに存在はするが想定を超えるものでも、規定を外れるものでもない。つまり、思っていたほど、相手は金持ち然とした嫌な人種ではないようだった。
だが、彼女はまだ、類に対して懐疑的な姿勢を崩さなかった。



「なんか、嫌なことでもあった?」
類に問われてつくしは返答につまったが、やがてぽつりと事情を明かした。
「…嫌なことじゃない。…殺虫剤を誤飲した子を助けられなかった。搬送がもう少し早かったら、何とかできたかもしれないのに…」
中毒症状はかなり進行していた。飼い主はチワワの異常に気付くのが遅かったのだろう。それでも、どうにかして救ってあげたかった。
「いつも通り、精一杯やったんだろ」
「えぇ」
「…なら、しょうがないじゃん。あんたは神様じゃないんだし、力が及ばないこともあるよ」
類の言うことは尤もだ。
卒業後にお世話になった病院でも、先輩の獣医師に同じようなことを言われた。

―牧野。ひとつ、ひとつの死に囚われていちゃダメだよ。
―反省はしても、後悔はしないように。
―その後悔をしないで済むように、目の前の今を精一杯やるしかないんだよ。

「…でも」
つくしが洩らした呟きに、類は耳を傾ける。
「今は喪に服してあげたい。…所詮は、自己満足だけど」
「OK」
類はそう言って口を閉ざした。それから公園に向かう間、二人はずっと無言だったが、だからと言って気づまりは感じなかった。


公園に着くとすぐ、類はシロンとフリスビー遊びに興じ始め、つくしはベンチに座ってぼんやりとそのやり取りを眺めた。シロンの後ろ足はすっかり元通りだ。ジャンプ力も以前と遜色ない。
シロンは、類と強いリレーションシップを結んでいる。その証拠にシロンは類の出す命令に従順だった。飼い主であるつくしにも難しいことを、類があっさりと熟してしまうのにはいくぶん嫉妬を覚える。
シロン達に愛着を感じる、と言った類の言葉をつくしは最初信じていなかった。
リップサービスのようなものか、と。
だが、現状を見る限り、そこに嘘はないように思えた。


ややもすると、シロンがフリスビーを咥えたまま、類の元へは戻らず、つくしの元へと走ってきた。大きな黒目がつくしを見上げ、盛んに振られる尾が遊んでほしいという素直な欲求を一心に伝えている。
「よし。行こうか、シロン!」
入れ替わりに類がベンチに休憩にやってくる。
「…ありがとう。これ、お茶」
「うん」
類はふわりと笑み、つくしからペットボトルを受け取った。
いつの間にか、彼のいる光景が、自分に馴染んでしまっている。
つくしは、そのことに戸惑いを覚えた。



その夜、午後の診察を終えて病院を閉めて2階に上がろうとすると、彼からメールが入っていた。受信時刻は午後7時。看護師の由紀乃が帰った後のことだ。
『診察が終わったら、裏口を見て』
指示通りつくしが裏口を開けると、外のドアノブに何かが引っ掛けてある。
…紙袋?

つくしは紙袋を部屋に入れ、2階で中身を確認した。
『リラックスタイムにどうぞ』
メッセージカードには彼の字で一言そう添えられ、箱の中にはいい香りのするバスオイルの小瓶が4つ。
「のんびり風呂でも入れって?」
無意識のうちに、小さな笑みがこぼれていた。

―あの人、いつここに来たんだろう。
―由紀乃さんが帰った後に、わざわざもう一度?



古いバスタブにたっぷりとぬるめの湯を張る。
そこにオイルを垂らすと、浴室内が柑橘系の爽やかな香りで満たされた。
「…いい香り」
今日一日のあれこれがすぅっと遠ざかり、つくしは穏やかな心でゆっくりとバスタイムを楽しんだ。

『バスオイルをありがとう。とてもいい香りだった。』
入浴後、遅い時刻ではあったが、つくしは類に短いメールを送った。
ほどなく返信がある。
『気に入ってもらえたならよかった。おやすみ。』
『おやすみなさい。』
つくしは、心が揺れ動くのを感じていた。
そういう温かさに触れると、強い自分を保っていられなくなりそうで……怖かった。






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いつも拍手をありがとうございます。
明日もいつもの時刻にちょっとしたUPをします。
懲りずに、Illustration 第二弾です…(*ノωノ)
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4 Comments

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2018/11/19 (Mon) 22:18 | REPLY |   
nainai

nainai  

m様

こんばんは。今夜もコメントありがとうございます(*´ω`*)

獣医師は人よりも寿命の短い動物達に向き合う仕事なので、その死に直面する機会も非常に多いと思います。つくしはすでに経験豊富な獣医師であり、抱えている患者も多いですから、おいそれと立ち止まってはいられません。オン・オフを上手く使いこなしつつも、少しの時間は喪に服したいという部分が彼女らしさだろうと思います。

散歩友達になった類はそうした彼女の日常に触れながら、つかず離れずの距離で彼女の傍にいます。その辺りの距離の取り方はきっとうまいはず…(^^;) 今後の展開をお楽しみくださいね。

2018/11/20 (Tue) 00:17 | REPLY |   

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2018/11/20 (Tue) 09:42 | REPLY |   
nainai

nainai  

み様

こんばんは。返信が遅くなりました。

お祝いコメントありがとうございます~(*´ω`*) 50,000という数字は大きな区切りになったと思います。とても嬉しいです。二次作家としてはまだまだ駆け出しですが、次は60,000、ゆくゆくは100,000を目指して地道に頑張っていきたいです♪

さて本編ですが、ちょっとずつ二人の距離が近づきつつあります。それぞれが抱える過去もいずれ明らかになっていきます。その過程を丁寧に描いていけたら、と思っています。

今夜のUPはIllustrationです。よかったら見に来てくださいませ。

2018/11/20 (Tue) 20:40 | REPLY |   

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