FC2ブログ

20.つくしの過去

Category『Distance from you』 本編
 2
「…初めて、心から好きになった人だった」
つくしは語る。
これまで親友の優紀にしか明かしたことのない、彼女の過去を。
「学生ながらに研究者としてとても優秀な人でね、ずっと尊敬してた。…だから、彼と知り合えたときは嬉しくて、夢中になって論文の話をしたの」

類に明かすことはないが、相手の名は志摩しま久志ひさし
当時、大学院博士課程2年生。つくしとは7学年の差がある。
家畜感染症のウイルス学研究室に在籍し、非常に優秀な成果を上げたことで学内でも一目置かれる存在だった。いつも自信に満ち、新しい物事へ挑戦する気概に溢れ、周囲の人間の関心を惹きつけてやまない。…それが彼だった。

「経緯は端折るけど、彼の方からのアプローチがあって、私達は付き合うようになった。…すぐ深い関係にもなった。私は彼に憧れていたから、そうなれたことが本当に嬉しかった」
つくしは机に乗せた自分の両手をじっと見つめて微動だにせず、類の方を見ようとしない。無表情になってしまったその口元だけが、わずかに動いて言葉を紡ぐ。
「私達の交際は周りにはオープンにしてなかった。学年も離れていたし。でも、だからこそ気づくのが遅れたんだけど、彼には………。彼にはね、離れて暮らす奥さんがいたの」

博士課程へ進学する学生の中に、大学卒業のタイミングで結婚する人がいることは知っていた。志摩もその中の一人だった。


―不倫。
―自分達の関係は不義に基づいている。


それを知ったときの衝撃は忘れられない。
彼に事実を伏せられた怒りと悲しみ。
彼の妻へと向かう嫉妬心と罪悪感。
自身に向けての嫌悪感と激しい後悔の念…。
様々な感情が混在しながら身を刺し貫き、つくしは深く苦悩した。


「…事実を知ってすぐ別れを切り出したんだけど、彼は応じてくれなかった。私も彼が好きで、どうしても離れがたくて。……そのまま、ずるずると不毛な関係を続けてしまった。…自分でも本当に莫迦だったと思う」
志摩との未来がないことは分かっていた。彼には妻と別れる気がなかったし、つくしもまたそうして欲しいと乞わなかった。
―狡い、不誠実な男。
そう思うのに、つくしの心は深い部分まで彼に囚われてしまっていた。


そんな二人の関係も、やがて終わりを迎える。
通常、博士課程修了までには4年を要する。だが、志摩はその功績により、大学側から修了要件を満たしているとみなされ、3年で博士号を取得し、大学を去ることになったのだ。
「…次の冬、彼の就職が他県の大学に決まって、奥さんの元に戻ることが分かった。そのとき、私からもう一度別れを切り出して、ようやく……彼との関係を絶ったの。結局、私達の関係は誰からも追及されることがなかった。当の奥さんにもね。……最後に会ってからもう10年になるけど、その間、一度も再会はしていない」

つくしは回想することの痛みにじっと耐える。
グラグラと強いめまいがする。
彼と最後に会ったときのことは、類には言えない。

志摩は言った。
お前を愛している、と。
俺を忘れられなくさせてやる、と。
その言葉が今も呪縛のように、つくしの心に残っている。

それまでに何度もそうしてきたように、志摩は彼女を激しく抱いた。
つくしの体にその唇を押し付け、歪んだ愛情を深く刻みつけるようにして。
それを厭う心がありながらも、相手に教え込まれた快楽の中でつくしは堕ちた。
そして、この一夜の記憶が、後々になってもつくしを苛むことになる。


「彼と別れて1年くらい経った頃かな。別の人と付き合うようになったとき、自分の中のトラウマに気付いた。…体に触れられると、彼とのことを思い出すの。激しい嫌悪感が湧き起こって、どうしても相手を受け入れられなかった」
どうして、と相手は言った。
拒絶されたことへのショックを隠し切れずに。
自分を好きなら受け入れられるはずだろう、と。
「付き合うことは体の関係ありき、なのよね。男の人の性衝動は理解しているつもり。…事情を話して、相手に我慢してもらって。…だけど、私がいつまでも、何も変われないことが分かると相手は離れていった。仕方のないことだと思う」

トラウマの影響は広範囲に及んだ。
日常生活においても、男性に対する拒否感が強まっていく。
つくしは思った。
これが代償であり、自分に与えられた罰だ。
自分の未来をもって不義の罪を贖えというのなら、そうする他はないのだ。
そうして、過去を克服することの困難を抱えたまま、現在に至る―。



「…でもね、10年経っても変われないみたい。あなたはあの人とは違うんだし、男の人が皆、そういう狡猾さを持っているわけじゃないことも、頭では理解しているつもりなの。…だけど、どうしても嫌悪感や恐怖心を克服できない」
瞬きをすると、涙がこぼれた。
話をしている間、つくしは一度も目線を上げなかった。だから類がどんな表情で話を聞き、つくしを見つめていたのかを知ることはなかった。

「私はあなたが思うような清廉潔白な人間じゃないよ。ひどく利己的で、浅ましい一面を持ってる。…もう分かってもらえたよね? あなたの気持ちには応えてあげられない理由は…」
つくしとしては、これで今度こそ終わりだと思った。軽蔑されることを覚悟で、優紀以外には明かさなかった過去をこうして明かした。

…それなのに。



「…あのさ」
重い沈黙を破るように発された類の声。
「それって先生が過去を克服することができれば、俺と向き合ってくれるっていう解釈でいいかな」
「……はっ?」
つくしは唖然とする。
今まで彼は何を聞いていたのか。そのような説明をしたつもりはない。

「だって、そうじゃない? あんたは俺の過去を聞いてもそれ自体は否定しなかったし、俺の苦しみに理解も示してくれたよね。あくまでも、先生側の事情で関係の継続は無理だって言ってるんだろ」
「だって…。私は、人のことを否定できるような人間じゃないから…」
「先生の事情はよく分かった。でも10年間も苦しんだんだろ。相手の奥さんにはもう謝れないんだし、みそぎは済んだものとして自分を許してやりなよ」

つくしは唇を噛む。
かつては優紀も同じことをつくしに言った。

「俺のこと、嫌い? もしくは嫌いになった?」
「………………」
「俺を試したって言ったよね。克服したいって気持ちがちゃんとあるからだよね」
「………………」

―ダメだ。これじゃ、また彼のペースだ。

つくしは手の甲で涙を拭い、キッと類を睨みつけた。
「あのね! どうして、あなたはそこでポジティブ思考になれるの!? 私、全然前向きな発言はしてないじゃないっ!」
つくしが声を荒げたのは、出会ってから初めてのことだった。
類は端麗な顔にこれ以上はない微笑をたたえて、つくしを見つめる。

「つらいこと、話してくれてありがとう。でも、俺の気持ちは変わらないよ。…確かに驚きはしたけど、だからって嫌いになったりはしない。短期間ではあったけど、自分が見つめてきた先生の姿もまた真実で、確かなものだと信じてるから」
「………………」
つくしの心は揺れ動く。
「俺、自信あるよ。あんたへの気持ちがこれから先も絶対に変わらないって。…どんなに時間がかかってもいいよ。いくらでも待てるから。俺達の間にはまだいろんな問題があるけど、一緒に克服していこうよ。…ね?」





ブログ村のランキングに参加しています。ポチッとお願いします☆

いつも拍手をありがとうございます。
過去20話の中では一番手直しの多かったつくしの過去編でした(;^_^A
関連記事
スポンサーサイト



2 Comments

-  

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2018/12/11 (Tue) 22:46 | REPLY |   
nainai

nainai  

m様

おはようございます。いつもコメントありがとうございます。
嬉しいです(^^♪
昨晩はうっかり寝落ちしてしまいました💦

さて、つくしの元交際相手は既婚者だった…という展開です。自分のお話の中では初めてのパターンでした。
彼女の苦悩が深いのは、志摩が既婚者と知った以降も関係を続けてしまったことに、ひどい自己嫌悪を感じているからです。この時点でつくしは19~20歳ですし、初めての恋愛である分、のめり込み方もひどかっただろうと思います。前提として、志摩が悪いことは分かっているのですが、自分も同罪だ…と彼女はずっと思っています。

類には頑張ってもらいました。というより、今作は類が頑張らないと始まらないストーリーでした。前半の大きなヤマだったかな、と思います。
これからの二人を見守っていてくださいね。更新頑張ります!

2018/12/12 (Wed) 05:59 | REPLY |   

Post a comment