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22.2匹の闖入者

Category『Distance from you』 本編
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金曜日の夜、最後の患者は、生後2ヶ月のパンダウサギのクロロと、その飼い主である母娘だった。
「食欲がないのはいつからですか?」
「チモシー(牧草の一種)は食べるのですが、今朝からはペレットをほとんど食べません。昨夜もあまり食べていませんでした」
「飼い始めて5日目ですね」
「えぇ、日曜日にペットショップで購入したばかりで…」
つくしはクロロを優しく撫でながら、できるだけゆっくりと診察をする。

ウサギはストレスに弱い動物だ。今、こうして診察台に乗せられていることにもひどく怯えている。さっきからずっと後ろ足がビクビクと動いている。声帯がないため鳴くことがない代わりに、身体のジェスチャーで感情を表すのだ。

ウサギの食欲不振は楽観視できない。食餌によって胃腸の蠕動運動が促進されるため、食べないことはさらなる食欲不振を誘発する。絶食状態が続くと、エネルギー捻出のために肝臓が無理をするため、重篤な状態へと移行しやすい。
だが、身体所見では異常がない。胃腸の膨れもなく、目にも皮膚にも病変がなく、歯の生え方も正常だ。
だとしたら、問題は環境変化によるストレスか…。


そのとき、唐突に、これまで母の傍で黙っていた娘が声を上げた。
「先生っ、ウーちゃんは良くなるよねっ?」
女児の声は甲高く診察室内に響き、つくしも驚いたが、手に触れているクロロもびくりと体を震わせた。
「ウーちゃん? この子はクロロよね?」
「あたしはウーちゃんって呼ぶの! あたしだけの特別な名前!」
つくしはそれに微笑んで、母親の方に質問をする。
「ご家族は何人ですか? 子供さんの年齢も」
「5人です。主人と私、子供は7歳、9歳、12歳の3人です」

「クロロはどの部屋で飼っていますか?」
「子供部屋です」
「呼び名は、『クロロ』もしくは『ウーちゃん』ですか?」
ここで母親は考え込んだ。
「…末っ子も別の名前で呼んでいたかもしれません。名前を決めるとき喧嘩になったんです。自分が名前を付けるんだって。…結局ジャンケンで上の子が挙げた『クロロ』に決まったんですけど、負けた方はすごく不満だったようで…」
「先生っ。だって、いろんな名前があっていいでしょっ。ウサギが飼いたいって最初に言ったのはあたしなのに、名前を決めさせてもらえなかったんだよ?」

つくしにはクロロの不調の原因が見えてきたような気がした。
「あなた、お名前はなんて言うの?」
つくしは優しく語りかける。女児は元気に答えた。
「川田ふみかだよ」
「ふみかちゃんには、あだ名がある?」
「あだ名? えーと、友だちは、『ふぅちゃん』ってよんだり、『ふみちゃん』ってよんだりする」
「たくさん呼び名があっても、ふみかちゃんにはそれが自分の事だって分かるのよね。…でもウサギは、たくさん名前があったら、どれが自分の名前なのか覚えられないことがあるの」
「えっ、そうなの?」
「そうなんですか?」
訊き返してきたのは母親もだった。つくしは頷く。


「まず、みんなでもう一度話し合って、名前は一つに統一してあげてください。…それからゲージをリビングに移せませんか?」
「リビングに、ですか?」
「ウサギは静かな場所を好みますが、生活音に対しては次第に慣れてきます。もちろん大きな音や声はストレスになるのでなるべく控えてください。子供達がクロロに接するときも、囁き声を意識してもらうといいでしょう」
目に見えないウサギの毛やフケなどの衛生面の問題からも、ゲージの設置場所は子供部屋よりリビングの方がよりよいとつくしは判断した。
「今日はこれからお腹の動きをよくする注射を打ちます。飲み薬も出しておきます。ペレットは少し柔らかめにして与えて、様子をみてください。それでも状態が改善しないときは明日もう一度診せにきてくださいね」




クロロを入れたゲージを抱えた母親と、手を振るふみかが帰路につくのを見送って、つくしが病院を閉めようとした時だった。
「…ミュウ…」
そのか細い鳴き声だけで分かる。まだ月齢の小さな仔猫の声だ。
「まさか…」
前院長が健在のときも、代替わりをしてからも、何度かこういうことがあった。育てられない動物を、保健所では可哀そうだと病院の前に置き去りにする誰かがいるのだ。声のする方へ行ってみると、案の定だった。
病院脇の通路に置かれた段ボールの中に、2匹の仔猫。午後6時半にここを通る由紀乃が気づかなかったのなら、置き去りにした誰かは、それより以降にここに来たことになる。
「…あぁ…またかぁ」

つくしは仔猫の1匹を抱き上げて確かめる。生後3~4日というところだろうか。仔猫は手の中でジタバタともがき、つくしから逃れようとする。もう一匹も元気に鳴いていた。
季節は初冬。夜の冷え込みはきつくなってきている。
「…寒かったね。うちに入ろっか」
つくしは段ボール箱ごと仔猫達を裏口に入れた。診察台に2匹を乗せ、1匹ずつ丁寧に診察してみると、健康状態は悪くない。身体の特徴から雑種のようだ。

目もほとんど開かないのに、つくしの指先をしきりに舐める仕草から、どちらもひどくお腹を空かせていることが分かる。つくしは常備してある低月齢用のミルクを準備して、1匹ずつ哺乳した。
「ふふっ、可愛い…」
仔猫は必死にミルクを吸う。
その愛らしい様子に、つい疲れも忘れて笑顔がこぼれる。
「ちゃんと、お前達の引き取り手を探してあげるからね…」


一晩様子を見るために入院用ゲージに仔猫をそれぞれ分けて入れ、呼吸センサーをセットして、つくしは2階に上がる。気付けば時刻は9時になっていた。空腹は感じていたがピークを越え、それよりも疲れの方が強まってきていた。
改めて調理をする気にはなれず、簡単にお茶漬けと常備菜を準備して食べていると、携帯電話が着信を知らせた。
相手は類だった。
つくしは鳴り続ける電話を、箸先を口に入れたままじっと見つめた。

―どうする? 出る?

逡巡している間にも時間は経ち、結局コールは鳴り止んでしまった。
先日の日曜日以来、類とは話をしていない。
…何を話していいのか、分からないからだ。
つくしが電話に出ないことが分かると、彼はメールを送ってきた。

『仕事お疲れ様。明日、いつもの時間に会いに行くね。』

ドクドクと胸が不穏に鳴る。
…明日、また彼に会うんだ…。


つくしは夕食を食べ終え、入浴を終えてから、やっとメールの返信をした。
『電話に出られなくてごめんなさい。明日、私の親友と会ってもらえますか?』
文面にいろいろ悩んだ挙句、短くそう書いて送ると、ほどなく返信があった。
『もちろん。しっかり品定めしてくれて構わないよ。』
その内容に思わず吹き出しそうになる。

―品定めって、どういう表現なのよ。





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いつも拍手をありがとうございます。
本筋と無関係な話のようですが、それなりに意味があるつもりです(^^;)
頭の片隅にでも覚えておいていただけると…。類の再登場は次話です。
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