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29.記事

Category『Distance from you』 本編
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夜間の緊急ブザーも鳴らず、久しぶりにぐっすり眠った翌朝の体調はまずまずだった。まだ微熱はあったが、頭痛や倦怠感は治まってきている。
前日に手術をした3匹の容態は良好で、2匹の仔猫達も元気いっぱいだ。
仔猫達に朝の哺乳をしているとメールが届いた。類からだった。
『おはよう。具合はどう?』
1匹目の哺乳を済ませてから、つくしは返信をする。
『昨日はありがとう。だいぶ良くなってる。』
『さすがに今夜は見舞いに行けそうにない。でも土曜日はいつもの時間に行くから。』

つくしはふっと表情を和らげる。
『無理しないで。そっちも大変なんだし。』
そう送ると、
『俺にも休息が必要だから。』
と短く返る。
自分との時間が休息だと意味していることが分かって、つくしはなんだか無性に体の中がむず痒いような感覚に陥る。待っている、と書こうとして、やっぱりそうは書けなくて別の言葉を送った。
『仕事、頑張って。』
『うん。じゃ、土曜日に。』
そうしてメールのやり取りは終わった。



心配性のミチ子がつくしの様子を窺いに訪れたのは、午後になってからだった。
ミチ子の住まいは、病院から車で10分ほどのところにある。
「…花沢さん、夜に来たでしょう」
昨晩は冷蔵庫内になかったはずのゼリーを目ざとく見つけ、ミチ子が追及を始めると、つくしは正直に事の経緯を話した。
「ホームページで休診を確認したみたいで…。心配だから、どうしてもって言われて…」
類がわずか20分の滞在で帰っていった話をすると、ミチ子は驚きながらも、夜間の訪問に対してはあまりいい顔をしなかった。
「彼、どうなの? 先生に優しくしてくれる?」
「はい。…とても」

マスクをしたままのつくしの表情は読み取りづらかったが、長年彼女を見ているミチ子には分かった。つくしが、少しずつだが、類の在り様に惹かれていることが。最初こそ強い警戒心を示したつくしだったが、今では類のことを語る口調にどこか柔らかさすらある。
だからこそ、ミチ子は、つくしには現実を知ってもらうべきだと思った。
引き返すのなら、できるだけ早い段階でそうできるように。
彼女がこれ以上傷つくことがないように。


「先生、…こんな事、聞きたくないかもしれないけど、花沢さんがどういう人なのか、正しく把握できてる?」
「…え?」
つくしは虚を衝かれたように、ミチ子を見つめた。
ミチ子は、自分を凝視するその大きな瞳を、深い慈しみをもって見つめ返した。
「いろいろ調べてみたの。花沢さんのこと。花沢物産という会社のこと。…余計な世話だと思ったけど、私は先生が心配だから…」
そう言って、鞄からA4サイズのクリアファイルを取り出し、つくしへと差し出す。つくしは何も言わずに少し厚みのあるそれを受け取った。

「記事はインターネットで拾ったものよ。経済紙に載るような社会記事から、週刊誌に載るような下世話なゴシップまで、本当にたくさんの記事があったの」
「ミチ子、さん…」
つくしはやや呆然とした様子で、ミチ子の名を呼ぶ。
「最初は気づかなかった。花沢さんの名前には聞き覚えがあったのに。…しばらく経って、ようやく思い出したの。以前巷で騒がれてた、経済界のジュニア世代で有名なF4の一人なんだってこと…」
「F4…?」
耳慣れない略称だ。
「そのことも記事に書いてあるから、後でゆっくり見て。…でも、私が心配してるのはね、その記事が本当かどうかという問題よりも、彼がそれだけ世間の耳目を集める存在だっていうことなのよ」
つくしには、ミチ子の言わんとするところが次第に呑み込めてきた。



「……最近ね、不審な人を見かけたの」
ミチ子は、更に驚きの事実を明らかにする。
「毎週土曜に花沢さんが来るでしょう? その時、彼をつけてきたのか、病院の様子を窺っていたのか、判別はできないけど確かに誰かがいたの」
「…どんな人ですか?」
「痩せ型の中年男性。あまり印象に残らない顔なんだけど、何の用事でここに来たのか気になったのよ。…自慢じゃないけど、人覚えはいいから見間違いじゃないと思う。その人、少なくとも2回、土曜に来たわ」
つくしの胸がドクドクと不穏に鳴る。1回目は11月中のどこかで、2回目は優紀が来てくれた先週のことだった、とミチ子は言った。

「先生を不安にさせたらいけないと思って言い出せなかったんだけど、やっぱり言うわ。…開院日は由紀乃さんが帰ってしまったら、先生一人になるでしょう? それが心配だから、シフトを変える相談をしたいと思ったのよ」
明日にも、由紀乃に提案するつもりだと言う。
ミチ子の勤務を、今の午前9時から午後5時までの早番勤務から、午後1時から閉院までの遅番勤務に変更するということを。
そうなると、午前中は受付が不在になるため、来客や電話の応対にはつくしや由紀乃の手を煩わせることにはなるが、それでも新しく人を雇ったり、つくしが現行体制で業務を続けていったりするよりはいいのではないか、と彼女は言う。


「…でも、ミチ子さんの負担も大きくなりますよ。ご家族との生活時間帯もずれますし…」
「じゃ、先生、開院時間を短縮する? 前院長でさえ、お一人で切り盛りはされてなかったわよ。いつも奥様がいらっしゃったし。…そもそも、今の体制に無理があるのよ!」
ミチ子の語気は強い。
とにかく現行のままでは続行は認められないと言うので、つくしはいったんその件を預かることにし、明朝、由紀乃も交えてもう一度話し合うことにした。
不審者の一件は、次に類がここに来た時に必ず相談することで決着した。


ミチ子がつくしの代わりにシロンの散歩に出てしまうと、再び部屋に沈黙が下りた。つくしはマスクをしたまま3階に上がり、定位置の揺り椅子に腰かけた。サンルームは温度管理されているので、そこまでの寒さを感じない。
すぐにミューが寄ってきて、つくしの膝の上に飛び乗って甘える。カイは揺り椅子の足元でいつものように蹲っている。
そうしてミチ子がプリントアウトした資料の1枚1枚に、つくしは目を通した。


『花沢物産』という大企業の会社概要とその事業内容。
『花沢家』という創業者一族と、『花沢類』という一人の御曹司の、これまでの軌跡と華やかな交友関係。
ミチ子が口にした“F4”という造語の意味もすぐに分かった。
称賛と羨望と。おもねりと侮蔑と。
記事にはライターの抱く様々な感情が浮かび上がる。


つくしの知らない世界が、そこにはあった。


だが、同時に気づいたこともある。
紙面に載る類のどの表情も、自分に見せているものとは全く違うこと。
冷たい横顔はひどく美しいけれど、どこか虚無的で物悲しい。
『彼女と一緒にいるとリラックスできます。素の自分を出せるので。』
優紀の問いに対する類の答えが思い出される。

本当に、言葉通りだったのかもしれない。
彼は自分と一緒にいるとき、いつも楽しそうだ。それに笑顔でいることが多い。
そこには何の気負いも、不自由も、苦しみも存在しなくて…。


―あれが、自然体の彼なんだ。


つくしは、自分の胸の奥で何かが湧き上がるのを感じた。
彼のことが知りたい。…正しく。
初めて、そう思えた。





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いつも拍手をありがとうございます。
最後のつくしの独白は、第8話『過去の片鱗』の最後の一文と対になっています。
…類のことをちゃんと知りたいと思えるようになったのです。
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2 Comments

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2018/12/31 (Mon) 12:33 | REPLY |   
nainai

nainai  

m様

こんにちは。今日もコメントありがとうございます。
2018年も残すところ、あとわずかですね。

ミチ子の気持ちに理解を示してくださってありがとうございます。彼女はただただつくしが心配で仕方ないんですね。なまじ類のことを知っていたために偏った先入観もあるのです。
不審者の登場は、ある意味、今作が転換期に入ってきたというサインでもあります。その素性はおいおい…。

来年はもう少し更新ペースを上げられるように頑張りたいです。
m様もよいお年を。今後ともよろしくお願いいたします<(_ _)>

2018/12/31 (Mon) 17:00 | REPLY |   

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