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33.安楽死

Category『Distance from you』 本編
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その電話が入ったのは、12月18日火曜日の夕方。
朝から雪予報が出るほど冷え込んだ、真冬日のことだった。
「先生。桐生さんからお電話です」
「はい。こっちで取ります」

桐生テルは、ひかわ動物病院の近くに住む一人暮らしの高齢女性で、1年ほど前から肝臓癌を患っている。その病状は末期だ。
彼女は雑種の老犬を1匹飼っていて、犬の方も重い腎臓病を患っている。
テルの愛犬の名は“リン”。
余命わずかな老女と老犬は、互いの存在を支えに生きていた。
彼女から電話があるのはそのリンが不調のときで、つくしは求めに応じてテルの家に往診をしている。テルが前院長時代からの顧客だったからだ。


「もしもし、テルさん。どうなさいましたか?」
「お世話になります。先生。……いよいよ、例のお願いをすることになりそうです」
テルは最初から本題に触れた。つくしは小さく息を呑む。
「…病状が悪化したんですか?」
「えぇ。もうどうにも食べられなくて、痛みもひどくてね。…週末には入院することになりました。家はそのまま処分します」
「それじゃ、リンは…」
「親戚に頼んでみたけれど、誰も引き取り手がいなくて。あの子の世話も大変だから。…私が生きている間に看取れたら良かったけれどねぇ…」
つくしはぎゅっと唇を噛んだ。
「だから先生、お願いします。…誰にも、頼めないんです」
「…いつ、お伺いしましょうか」
「急なことだけれど、今夜、お願いできないかしら」

―今夜…。

だが、躊躇している暇はない。テルに残された時間は少ない。
「…まだ1件、オペが入っているんです。伺うのが遅くなってもいいでしょうか。ここを出る前にお電話しますから」
「構いません。お願いします…」


電話を切ったつくしの表情が暗く沈んでいるので、由紀乃がそっと気遣う。
「…もしかして、例の依頼ですか?」
「えぇ。テルさん、週末までにホスピスに入るそうです…」
「リンは」
「やっぱり引き取り手がいません。テルさんの願い通りにはならなくて…」
「…残念です」
「今夜、決行することになりました。…ミチ子さん、これからの予約は?」

つくしは受付のミチ子に声をかける。
「1件だけ。でも、予防接種よ」
「その方に連絡して、早めに来てもらえるかお願いしてみてください。それ以後の受付は断ってください。ホームページにもその旨の掲載を」
「分かったわ」
つくしは気持ちを切り替え、これからのオペに全意識を集中した。



予定通りにオペを終え、予約のあった1件の診察を終えた後、つくしは由紀乃にオペ後のフォローのための残業を頼み、桐生テルの自宅へと車で向かった。
車の中でさえ深々と冷え込んでいる、寒い夜だった。
「テルさん、こんばんは」
「先生、お待ちしておりました。…すみませんねぇ。寒かったでしょう」
つくしを迎え入れたテルの表情はごく穏やかで、冷静さを保とうとするつくしの方が硬く強張った顔をしていた。末期癌に侵されたテルの肌には黄疸が見て取れ、その体は最後に会ったときより一回り小さくなったように感じられた。

「…リン、こんばんは」
暖かい居間の一角に敷かれた毛布の上に、リンはそっと寝かされていた。
つくしが話しかけても反応しないが、呼吸していることはわずかに腹部が上下するので分かる。聴診器を当てると、鼓動がとても弱いことにも気づく。
リンの命がもう長くないのも明らかなのに…。

「…先生、ごめんなさいね。つらい仕事をお願いすることになって」
「いえ…」
「でもね、私の最後の我儘だけど、リンと一緒にお墓に入りたいの。…親戚は遠縁で、とてもそんなお願いを聞いてくれそうにはないから」
「…後のことは任せてください。必ず、テルさんのご希望通りにします」
「リンとのお別れはもう済ませてあるから。…お願いします」


つくしは、往診用のバッグから、ある薬剤のアンプルと注射器を取り出す。常用量の数倍の薬剤を注入すれば、リンは眠るようにして旅立つだろう。安楽死を依頼されたことも、実施したことも、これまでに何度もある。
だが、自分の手で目の前の命を絶つことにいつまでも慣れることはない。
「これまでよく頑張ったね。本当にえらかったね」
つくしは、リンの頭を、背中を、足を労わるようにそっと撫でる。
「これから注射をするよ。苦しくないから、怖がらないでね」
「…キュウン」
眠っていると思われたリンから、小さく鳴き声が洩れた。

―リン、ごめんね。
つくしは心の中で呟いた。

「おやすみ、リン。また会えるからねぇ…」
テルがそう言ってリンの足に触れ、つくしに無言の頷きを示したのを機に、つくしはリンの体内に薬剤を注入した。


…その瞬間は、ほどなく訪れた。



つくしがテルの自宅を辞去したのは、午後7時半のことだった。
外に出ると、予報通りに雪が降り出していた。肌に触れれば融けるような軽さで、積もるような雪質ではない。
凍てつくような寒さの中、つくしはテルと最後の挨拶を交わした。
テルは間もなく郊外のホスピスに入る。もう会うことはできないだろう。
提示していた金額よりも多い費用を払おうとするテルを諭しきれず、つくしはその謝礼を受け取り、彼女の望みを必ず叶えることを固く約束した。

リンの亡骸を愛用の毛布にくるんで抱きかかえ、車の後部席にそっと乗せる。
病気のために痩せ衰えたリンの体は、あまりに軽かった。
「先生、本当にありがとうございました」
「テルさん…。私こそお世話になりました」
「あっちで伊佐夫先生に会ったら伝えておくわね。つくし先生は、立派な院長先生におなりですよって…」
「…はい。よろしくお願いします」


それが桐生テルとの今生の別れだった。





いつも拍手をありがとうございます。
今回は動物の安楽死について取り上げました。獣医師が安楽死を受諾する基準は様々であると思われます。つくしと桐生テルのやりとりについては、物語上のこととしてお読みくだされば、と思います。
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4 Comments

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2019/01/13 (Sun) 15:31 | REPLY |   

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2019/01/13 (Sun) 19:16 | REPLY |   
nainai

nainai  

わ様

こんばんは。コメントありがとうございます。
いつも貴重な体験談をお聞かせいただき、たいへん有難く思っております<(_ _)>

今回のテーマは安楽死でした。獣医師のお話を書くにあたっては避けては通れないテーマだと思い、いろいろと考えあぐねて、あのように落ち着きました。生を見つめること、死を見つめること、どちらも本当に難しいことだと思います。

つくしは自分にできることは、困難に立ち向かう動物達の心を支えることだと考えています。安楽死はそれとは逆行する処置であり、彼女の葛藤が続いていきます。
類が今回の件にどう関わっていくのか、今後の展開を見守っていてくださいね。

2019/01/13 (Sun) 21:44 | REPLY |   
nainai

nainai  

m様

こんばんは。今夜もありがとうございます。
今回のコメントですが、m様の仰る通りだなぁ…と私も思います。
“ああだったら、こうだったら…”、何がベストだったか、後になっても思い悩んでしまうものですよね。

獣医師の話を書こう!と決めたとき、動物達の生と死をどう扱っていくかで大いに悩みました。リアルに近づけようとすればするほど、詳細な描写が重い…と感じる方もいらっしゃるかもしれないな、と思いながらのUPでした。

つくしの葛藤に類がどう関わってくるのか、今後の展開を見守っていてくださいね。更新頑張ります(*´ω`*)

2019/01/13 (Sun) 22:08 | REPLY |   

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