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35.テルとの縁

Category『Distance from you』 本編
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夕刻、ミチ子との電話のやり取りを経て類が病院に辿り着いたのは、つくしが往診に出て30分ほど経ってからだった。その頃にはミチ子は帰宅しており、病院では由紀乃がひとり、留守を預かっていた。
つくしの帰りを待つ間、類は由紀乃を手伝い、初めて仔猫の哺乳をした。ホームページで募集しているという仔猫達の引き取り手は、まだ見つからないという。
作業をしながら、由紀乃はつくしが請け負った仕事内容の詳細を類に明かしてくれた。由紀乃とて医療従事者だから、個人が特定できない程度に情報を伏せながら話を進めていく。

一人の老女と、一匹の老犬。
双方が抱える重篤な病と、迫りくる死期。
老女に家族はなく、遠縁の親戚は頼れない現状。
そして…。


「…安楽死」
類が呟くと、由紀乃は翳った笑みを見せる。
「えぇ。飼い主側の事情によりけりですが、先生はそういった依頼をお受けすることもあるんです」
類は、以前、つくしが殺虫剤を誤飲した犬を助けられなかったことをひどく悔いていたことを思い出していた。
『あんたは神様じゃないんだし』
あのとき、類はつくしにそう言った。自責の念に駆られる彼女に、獣医師といえども生殺与奪の権を握れるわけではないから。そう伝えたかった。
だが、今回はそうじゃない。
…リンの命の灯を消すのは、他でもない彼女なのだから。


桐生テルは個人的な事情により、つくしにリンの火葬も依頼している。その遺骨を一時的に預かることも。いずれテル自身が最期の時を迎えて、その遺骨が墓所に納められるとき、リンの遺骨も一緒に納骨してもらうために。
本来ならばそれは獣医師の仕事の範疇にないことだ。だが、他の誰にもお願いできないと言われれば、老女の願いを断れる彼女でもない。
つくしは、リンを病院で引き取って最期を看取ることも提案したという。だが、テルはそれを断った。これ以上の迷惑はかけられないと言って。
だから、つくしはテルの希望通りに処置を行い、リンの亡骸を抱いて戻ってきた。今にも泣き出しそうに、真っ青な顔をしながら―。


由紀乃が帰ってしまうと、堪えきれずにつくしは涙をこぼした。
本当は、自分の前で泣きたくはなかったのかもしれない、と類は思う。
だが、一人で泣かせずに済んだと思いもした。
腕の中に抱き寄せると、他者のために涙を流せる彼女への愛おしさが溢れて、自分でもどうしようもなかった。


時間が穏やかに過ぎ、ようやく彼女の気持ちが静まった頃、二人の間で小さな音がした。驚いたことに、それは空腹を訴えるお腹の音で―。
つくしが涙を拭い、赤くなった目で類を見上げた。
「…今のって」
「うん。…俺のお腹の音だね」
昼食を軽めに終えてしまったのがまずかった、と類は思う。
こうした大事な局面で腹の虫が鳴くことなんて今までになかったのに。
類が笑うと、つくしもつられてほんの少し笑った。
彼女を微笑ませることができたのだから、まぁ、良かったかな、と思った。




「急いで作ったし、味は保証しかねるけど…」
そう言ってつくしが運んできたのは、煮込みうどんだった。
昼休みのうちに下準備は済ませてあったので調理時間としては短かったが、もともと自分用にと思っているから大した食材は使っていない。腕に自信があるわけでもなく、つくしは、類に簡素な料理を出すことへの申し訳なさを覚えた。
準備の間、炬燵で暖をとりながら待っていた類は少し眠そうだった。
「美味しそう。…いただきます」
自分の分も用意し、類の斜め向かいに座るとつくしはもう一度詫びた。
「…こんな時間まで引き留めて、ごめんなさい」
「構わないよ」
二人はしばらく無言で箸を進める。


「安楽死を実施した後は、いつもあんなふうに苦しい思いをしてるの?」
半分ほど食べ終えたところで、類がつくしに問う。
「いつも葛藤はあるけど……今回は特別」
つくしの目はまだ赤い。でも、もう涙は乾いていた。
「テルさんのことは聞いた?」
「由紀乃さんから、大体のことは」
「そのとき、私の祖父の話は出た?」
「…いや」
食べながらでいいから、と断って、つくしはテルとの過去を話し始める。



「テルさんは祖父の代のときからの顧客でね。住まいも近くだし、うちの病院との付き合いも長かった。テルさんには子供がいなくて、ご主人も早くに亡くなってずっと一人暮らしだったから、パートナーとして犬を飼っていた。…リンはその3代目で、もともとは祖父が保護した仔犬だったの」
つくしの口調は淡々としている。
「リンが腎臓病を発症したのと同じ頃、テルさんにも重い病気が見つかって。祖父は通院が難しくなったテルさんのために、通常は行っていない往診を始めたの。テルさんにリンを引き取ってもらったことへ恩義を、祖父は感じていたんだと思う。だけど、ある日…」


昨年の12月20日のことだ。
伊佐夫はテルの自宅に往診に出掛けた。いつもと変わらない様子で。
つくしは病院の留守を預かり、祖父の背を見送った。祖母の敏子と話をしながらその帰りを待った。だが、伊佐夫は診療の開始時刻になっても戻らない。

「…連絡があったのは搬送先の病院からでね。祖父はテルさんの自宅から病院に戻る途中で倒れたの。脳出血だった。もう手の施しようがなかった。…テルさんはそれをひどく悔いてね。自分のために祖父に無理をさせてしまったって…。でも祖父の病気は前兆なく発生したものだったし、誰のせいでもなかったと思うの」
類はつくしの話にじっと聞き入る。
「そんなふうに、テルさんとは浅からぬ縁があって。テルさんの最後の願いを私が叶えることになったのも、きっとその延長なんだろうと思う。……でも、リンについては、こうも思ってしまうの…」


リンの病態は重かった。もうダメかもしれないと思うことが何度もあった。それでもテルはリンの延命を望んでいたし、リンも強い生命力で自分の生を必死に生きてくれた。リンの頑張りは、テルの延命にも影響を及ぼしたはずだ。
…だが、最終的にこうした形でリンの命を終えさせてしまうのは、理に反してはいなかったのか。

延命を望むのも、命の終わりを望むのも、結局は人間のエゴではないのか。
その葛藤はいつでもつくしの中にあったが、今日はそれがいつにも増して強い。

リンは、テルさんと居られて幸せだった?
それとも、早く病気から解放されて楽になりたかった?
獣医師だからこそ、リンの声なき声にもっと耳を傾けてやるべきではなかったか。


「今日、思いがけずその日を迎えることになって、テルさんやリンとの思い出の一切が押し寄せてきて、涙をこらえきれなくなったの。これでよかったんだろうかって。もっと何か、別のやり方があったんじゃないかって…」
「…その問いに、正解は出せないんじゃない?」
類はつくしを労わる。
「先生は、いつでもベストを尽くしてきたはずだよ。…だから、それ以外の結果はないと思う」
つくしは類を見つめ、やがてうつむき、小さく礼を述べた。
「……ありがとう」


「いつでも頼ってよ」
類は言う。
「不謹慎だと思うけど、俺、嬉しかった。あんたの悲しみや葛藤を共有できて」
「…知らなくていいことばかりかもしれないよ。喜びもやりがいもあるけど、悲しみも苦しみも多い仕事だから」
「生死に関わる仕事だからね。確かに俺の知らないことばかりだけど、だからって知りたくないわけじゃない。…むしろ、先生を通じて物事を見ると、なんだか新しい視野を手に入れたような気分になるよ」
そう言って類は微笑む。
「単に俺の視野が狭いせいかもしれないけど」
つくしも微笑み、それに言葉を返そうとしたときだった。


ピピッ ピピッ


緊急ブザーが鳴る。つくしは即座に立ち上がった。
「ごめんなさい。処置に長くかかるかもしれないの。食べたら置いたままでいいから、1階に下りてきてもらえる?」
「分かった。頑張って」
うん、と頷き、つくしは階下へと駆け下りていった。





いつも拍手をありがとうございます。
つくしはプロです。それでも涙が溢れてしまった理由は……でした。
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