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Scarlet ~2~

Category『Scarlet』
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《類Side》


秘書に調整してもらえば比較的時間が確保しやすい俺と異なり、牧野の到着時刻はその日の顧客に左右される。
だから先にカフェに着いて待つのは、だいたい俺の方だった。
このカフェはうちの系列会社が経営している。
俺達が利用するこの時間は、必ずこの席を空けておくように取り計らってもらっていた。読みかけの文庫本を開いて彼女を待つ、このわずかな時間を俺はひそかに気に入っている。
雑多なノイズの中から、彼女の声を耳に拾う瞬間を心待ちにしている。

「ごめんっ、今日も遅くなっちゃった…っ」
牧野が店に飛び込んできたのは、いつもより15分遅い12時20分過ぎ。
彼女の休憩時間は13時までの1時間なので、今日は30分しか一緒にいられない。
髪を乱したまま、はぁはぁと肩で息をしながら席に着く牧野。
彼女が忙しないのは学生の頃から変わらなくて、それをついからかってしまう。
「相変わらずの健脚だね?」
きっと会社からここまで一生懸命走ってきてくれたんだろう。
牧野はハンカチで汗を拭きながらニコッと笑うと、グラスに注いであった冷水を煽るようにして飲んだ。
ちらっと見えた白い喉が柔らかそうで、ついじっと見入ってしまう。
「お勧め頼んでおいた」
「いつもありがとう。わぁ…今日のも美味しそう」
牧野が到着すると、スタッフはすぐ料理を運んできてくれる。

「じゃあ、パリでの仕事はうまく行ったんだ」
「難条件を出されたけど何とかね」
今回の出張の仕事内容をかいつまんで話すのを、牧野は興味深そうに聞き、何度も相槌を打ってくれる。
牧野の仕事は住宅プロデューサーだけど、それって本当に適職だと思う。
彼女にこうやって真摯に話を聞いてもらえるなら、顧客は自分の本当の希望や、話しにくいような懐事情もあっさり明かしてしまえると思うんだよね。
「…花沢類?」
彼女の問いかけにはっとして彼女を見返すと、牧野は心配そうな表情を浮かべていた。
「疲れてるんじゃない? 今日、無理しなくてもよかったのに…」
「…大丈夫」
本当は彼女の言う通り、長期の出張明けで少し無理をしていたけど、牧野と会うのを延ばすよりはずっといい。

「そろそろ時間だね」
どんなに楽しくても、時間はいつでも誰にでも公平に流れていく。
腕時計で時刻を確認した牧野の瞳が軽く見開かれ、申し訳なさそうに俺を見上げてくる。
「…ごめんね。今日は本当に時間短かったね」
「ん、しょうがないよ」
牧野は最後に残ったパスタをさっとかき集めて完食し、割り勘と決めているランチ代を俺に差し出してくる。
「花沢類はコーヒー飲んでいくよね?」
「…ん」
「あたしの分は断っておいて。この埋め合わせは近いうちにするね。…じゃ、また」
言うが早いか彼女は立ち上がると、足早に店内を横切って出て行ってしまう。
その背中を見えなくなるまで見送ると、俺はまだ食べ終わっていない皿をスタッフに下げてもらい、食後のコーヒーを頼んだ。
俺が洩らした小さなため息は、周囲の声にかき消される。
湯気を立てる琥珀色を見つめながら、今日も彼女に言えなかった言葉を心の中で反芻する。

――もっと彼女と話したい。一緒にいたい。
――彼女に…触れたい。

牧野から手を伸ばしてくれたなら、迷いなくその手を取るだろう俺の気持ちを、たぶん彼女は知らない。



《つくしSide》


結局午後の仕事も長引き、家に着いたときには午後8時を回っていた。
誰もいないワンルームマンションの一室で、あたしは荷物を投げ出してベッドにダイブする。
「つ…かれたぁっ」
今週の忙しさは先週の比ではなかった。
凜子さんが上手くフォローしてくれたけれど、顧客への連絡が遅れたり、説明が足らなくて建築家の先生の機嫌を損ねかけたりと、自分に至らないところがたくさんあった。
――ちゃんとメモを取ること。To Doリストを作ること。優先順位を決めること。
ミスをしないための反省点を考えている間にも睡魔が襲ってきて、あたしはまだ夕食もとっていないのに、そのままウトウトし始めた。その時――。

ブ――ッ ブ――ッ ブ――ッ
放り出した鞄の中の携帯電話が、着信を知らせて震え始める。
あたしはその音にビクッと跳ね起き、無理やり意識を覚醒させた。
――誰だろ? ママ?
はっきりしない頭のまま携帯電話を手で探って取り出すと、表示されていたのは彼の名前だった。
「…もしもし。…花沢類?」
応答したあたしの声が少し低かったことを鋭く察したのだろう。
「…もしかして寝てた? 具合でも悪い?」
寝るにはあまりに早い時間で、彼は怪訝に思ったようだ。
「うぅん。さっき帰ってきて…ちょっと横になったらうっかり寝ちゃって…」
「牧野も疲れてるんだね」
牧野も、ということは、彼もやはり疲れているのだろう。

「今日、せっかく誘ってもらったのにバタバタでごめんね」
あたしはまず昼の非礼を詫びる。
約束の時間に遅れて彼を待たせた挙句、その彼を置いて先に店を出たのだ。
「俺こそごめん。あんたの仕事への配慮が足らなくて」
そんなことない、と相手の言葉をやんわり否定した後で、あたしは彼に質問をする。
「…それで、どうしたの?」
花沢類は一拍の間を置いてから、本題を切り出した。
「今日帰り際に埋め合わせをするって言ってくれたじゃん?」
あぁ、とあたしは声を上げる。
「言ったね。…えっと、どうしたらいい?」
「ゆっくり話もしたいし、ちょっと遠出しない?」
彼の言う、ちょっと、がどれくらいの距離を指すのかが心配になり、あたしは先んじて問う。

「それって国内よね?」
「うん。…江の島までドライブに行こうよ」
――江の島? って、隣の神奈川県?
「……花沢類が運転するの?」
「そうだけど…問題ある?」
あたしは前に一度だけ彼の運転する車に乗ったことがある。
見かけによらない荒っぽい運転に、一緒に乗っていた西門さん同様、真っ青になったことを思い出す。
「…いまだから正直に言うけど、前に乗ったときすっごく怖かったの…」
ストレートにそう言えば、さすがの彼も苦笑せざるをえない様子だった。
「あれからどんだけ経ってると思うのさ。もうビギナーじゃないし」

…そこまで言うなら、信用してやってもいいかな。
来週の土曜日、天気が良ければドライブに、悪ければ都内で食事することを約束して、あたし達は通話を終えた。
すぐ週間予報を確認すると、10月1日にあたるその日は快晴の予報だった。
――こんなふうに二人で出かけることなんて、しばらくなかったのにな。
カレンダーに赤く丸印をして、それを少しだけ苦い気持ちで見つめて、あたしは遅い夕食の準備に取り掛かった。

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