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57.溢れる

Category『Distance from you』 本編
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クリスマスイヴのときと同じ位置に座り、二人は食卓を囲む。
今夜のメニューはあんこう鍋だった。類が肉より魚がいいと言ったからだ。
バランスよく食べるように、と好みに関わらず具材を椀によそわれ、類はしばし閉口したが、結局はつくしの勧めるままに箸をつけた。
「鍋って簡単でおいしいね」
「そうでしょう? 良かった」

明日、3日からはもう仕事だという類に、つくしは彼の休日の少なさを労った。
「副社長って、本当に休みが少ないのね」
「会社によるんじゃない? ちなみに年間休日が5日の奴もいるよ」
つくしは唖然とする。
「5日なんてあり得ないよ…。過労死するじゃない」
「そんなのしそうにないくらい、体力のあり余った奴だよ。…俺には無理だけど」
類は軽くため息をつく。
「そういう現状を聞いたら、自分程度の境遇で文句は言っていられないとは思う」
「じゃ、欠食と偏食はしないようにしなきゃ。体が資本なんでしょう?」
「…だね」


箸を進めながら一頻り談笑し合った後で、類はつくしを見つめて言った。
「今日すごく楽しかった。…つくしは?」
類の口からふいに飛び出した自分の名に、つくしは思わず箸をとり落して、相手を見つめ返した。揺れる瞳の中に、類は彼女の動揺を拾う。
「名前を呼ばれるの、やっぱり嫌?」
「…そうじゃない。慣れないだけ」
返答には、少し嘘を混ぜた。つくしは類の目線から逃れるようにしてうつむく。


…かつて彼女を名前で呼んだのは不義の恋人で。
自分を愛おし気に呼ぶ、甘いバリトンボイスが好きだった。
そんなつまらない過去を、夕刻から今までの短時間の間に、何度も、何度も、……何度も何度も何度も思い出してしまっている。
莫迦みたいだ。本当に。そう思うのに。
類を前に、あの人のことを思い出すのは許されないことだと思うのに。


耳の奥に残る声を振り払うようにして、つくしは言葉を継ぐ。
「…私もすごく楽しかった」
目線は伏せたままに。
「うまく伝えられていないと思うけど、あなたといると温かい気持ちになれる」
「…俺もだよ」
類も応える。
「愛情を知らずに育った自分に、こんなふうに誰かを想うことができる日が来るなんて思わなかった」

かつての自分を知る者がここにいれば、その変貌に驚くだろう。
これが、すべてにおいて無機的だった男か、と。



「…ありのままでいいよ。過去を含めて、あんたの全部を愛してる。だから、無理に笑ったり、苦しい気持ちを隠したりしないで」
つと、顔を上げるつくし。
「ずっと一緒にいよう。そうすれば、もっと深く解り合えるよ。…というより、俺にはもう、その一択しか頭にないんだけどね」



膝の上に乗せた手の甲に、ポツリと、透明な雫が落ちた。
それが自分の涙だと理解するまでに時間はかからなかった。
「あ…」
つくしは、そのときになって初めて、自分が泣いていることに気付いた。
とめどなくポロポロとこぼれていく涙に、つくしは狼狽える。


―どうして、涙が?


「感動した?」
類の声が優しく響く。
「…分からない。…止まらない、みたい」
悲しみの涙とは違う。
志摩へ抱いてきた深い恋情が、涙の雫になって体から出ていく感覚だった。


ずっと、苦しかった。
もう忘れたいのに、どうしても彼を忘れられなくて。
胸の内を抉るだけの思い出に、もう振り回されたくはないのに。
だが、今、心を占めていくのは、目の前にいる類の言葉と笑顔だけで。

過渡期にある自分を自覚する。
もうすぐ今までとは違う自分に出会える。
そんな気がした。


伝えたい、と、つくしは思った。
類の気持ちに今こそ応えたい、と。



「…私も、あなたが………好き…」
想いは、こうして溢れた。





いつも応援ありがとうございます。
連載は5ヶ月目に突入です。更新頑張ります!
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2 Comments

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2019/03/03 (Sun) 19:25 | REPLY |   
nainai

nainai  

m様

こんばんは。コメントありがとうございます(*´ω`*)
二人のデート、楽しんでいただけましたか?
この一日だけでも、つくしの中で類を想う気持ちはどんどん育っていったと思います。成就するまで時間の問題の二人なのですが…。

司の年間休日はとても短そうだと思って5日に…w 作中では彼も結婚していますので、自分の家族の誕生日+αくらいは休むかな、と。趣味ですら仕事に成り変わっていそうです。そして、とても元気そうw

更新、頑張ります!

2019/03/03 (Sun) 22:56 | REPLY |   

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