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65.退官式

Category『Distance from you』 本編
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「牧野! こっちこっち!」
「ごめん。迷っちゃって…」
1月20日正午、都内の某ホテル2階では、つくしの大学時代の恩師である末森教授の退官式が予定されていた。
そのギリギリ10分前になって、ようやくつくしが会場入り口に姿を見せると、同期の集まりがさっそく彼女を見つけて騒めいた。桑田佳奈恵に手招きされ、つくしはその集団に合流する。彼女以外の面子に会うのは、実に数年ぶりのことだった。

「みんな、久しぶり」
つくしが微笑んで挨拶すると、皆も笑顔を返した。研究室に所属しているとき、横つながりは比較的に良好な学年だった。
「お~、久しぶり! 何年ぶりになるかなぁ」
「一昨年、お爺さんが亡くなられたんだって? 佳奈恵から聞いたよ。大変だったでしょう」
互いの近況を伝え合っていると、ほどなく会場内の照明がすっと暗くなった。今日は立食式パーティーだったので、皆は各々の立ち位置で壇上に視線を送った。


3日前、国内での業務を予定通りに引き継ぎ、類はフランスへと旅立った。残業は連夜にわたり、結局12日を最後に類と再会することはできなかったし、電話でさえままならなかった。
つくしの警護担当となった本永と福重とは、その後も綿密な話し合いを重ね、実際にどのような警護を行うのか、もしもの時はどうするかなど情報のすり合わせを行った。二人の対応はごく丁寧で、つくし達の話や要望にもしっかりと耳を傾けてくれた。

今日は福重だけがつくしに同行している。
暗くなった会場内で彼女の姿を探すと、そう遠くない位置で福重が周囲に溶け込むようにして立っているのが見えた。彼女からアイコンタクトを送られ、異常はないことを示すように軽く首を振って応え、つくしは前を向いた。


「ねぇ、牧野。最近何かあった?」
来賓挨拶が始まると、佳奈恵がつくしの方に身を寄せ、そっと耳打ちしてくる。
つくしは目を瞬かせ、相手を見つめ返した。
「…何かって、どうして?」
「雰囲気がね、違う気がして」
先月ヘアサロン店主の眞弓からも同じようなことを言われたのを思い出す。
「もしかして、いい人できた?」

佳奈恵の質問につくしは頬を染めたが、会場内が暗いのでそれは分からなかったようだ。だが、戸惑ったような目線の動きを、佳奈恵は肯定の意としてとらえた。
「やっぱり! どんな人?」
「ま、待って。どうしてそんなこと分かるの?」
つくしの問いかけに、佳奈恵はニンマリと笑う。
「…じゃ、聞くけど、そのネックレス、どうしたの?」
つくしは思わず首元に手を当てた。



小さな円を模ったペンダントトップが指先に触れる。一粒ダイヤをピンクゴールドが包み込むデザインのそれは、類にプレゼントされたものだ。最後に会ったあの日、そんな話など一切出されなかったのに、後日つくし宛てに郵送されてきた。

箱にはメッセージカードが添えられ、彼の字で一言。
『遅くなったけど、誕生日おめでとう』

つくしの誕生日の時、彼はイタリアに出張していたが、素敵な花束を贈ってくれた。プレゼントはそれで済んだものと思っていたのに、聞けばネックレスの方もイタリアで購入して空輸されるのを待っていたという。



「シンプルだけどすごく素敵。でも、牧野が選ぶような色じゃないなって。…プレゼントでしょ?」
佳奈恵の追及に、つくしは不承不承頷いた。
「…私ってそんなに分かりやすい?」
「私とあんたの付き合いだからよ! で、どんな人?」
興味津々の佳奈恵に、つくしは当たり障りのない情報を選んで伝えた。
相手は一つ年上の会社員、と説明する。
「写真は?」
「…まだ日が浅いから、撮ってない」
「なんだぁ。今度は絶対に見せてよ」



乾杯を機に開式セレモニーが終了すると、照明が明るくなり歓談の時間になった。
つくしは形だけ手にしていたシャンパングラスをスタッフに返した。普段からアルコールはとらないようにしている。
プレートの上に料理を取り、先ほどのメンバーと一緒に会話と食事を楽しむ。

同期会も同門会も欠席することの多かったつくしだったが、気負っていたほど過去を思い出すような場面もなく、終始穏やかな気持ちでいられた。
それは類と構築した温かな関係が彼女の心を支えていたからだろうし、あの日から思い出を風化させるだけの年月が経ったからだとも思えた。



だが、同期の一人が持ち出した話題でその状況は一変した。



「そういや、知ってるか? ウイ研の准教選の一件」
ウイ研とは、つくし達とは別の研究室『ウイルス学研究室』の略称だ。
つくしの心がざわりと波立つ。
それは、かつての恋人が所属していた研究室の名だった。
「あそこも教授が退官したもんな。みんな繰り上がったんだろ?」
誰かが応える。

教授が退官すると、公募式により学内外から立候補を募り、その中から教授の選出が行われる。いわゆる“教授選”だ。大抵は所属している研究室の准教授が、繰り上がって選出されることが多い。
空いた准教授のポストにも、同様に公募式の“准教選”が行われるのだが…。


「それがさ、番狂わせがあったらしくて」
全員の目が話をしている彼に集中する。
「志摩久志って名前、憶えてるか?」
つくしは、静かに息を呑んだ。
体の中を、大きな氷の塊が滑り落ちていく感覚がした。
対して、周囲の反応はまちまちだった。学年が離れているのだからその反応も当然だっただろう。
ただ彼をよく知るつくしだけが、触れてはいけないものに触れてしまった罪悪感をもって、息を殺して次の言葉を待った。


「ウイ研に在籍してた奴じゃなかったか? 院生当時も優秀だ、逸材だってけっこう有名だったような…」
「そう、そいつ。地元の大学で助教じょきょうで雇われてたみたいなんだが、メジャー雑誌に掲載された論文を引っ提げて戻ってきたんだと。准教選では圧勝だったらしい」
「外部の人が選出されるのって珍しいわね」
「それだけ頭がキレるって噂なんだ」


―あの人、東京に戻ってくるんだ…。


曖昧に相槌を打ちながら、つくしは努めて冷静を装った。
脳内を占めるのは、言いようのない不安と焦燥、…そして罪の意識。
10年前のあの日が鮮明に思い出され、塞がれたはずの傷が再びじくじくと疼き始めるのをつくしは感じていた。





いつも拍手をありがとうございます。ひたひたと迫り来る過去の闇。
別離編、スタートです。
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2 Comments

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2019/03/17 (Sun) 22:28 | REPLY |   
nainai

nainai  

ゆ様

こんばんは。コメントありがとうございます(*´ω`*)
別離編は初っ端から不穏な雲行きです。

誰が、どこで、何の目的で動いていたのか、いずれ全てを明かします。
オリジナルの登場人物が多くて申し訳ないのですが、管理人は結構な愛着を持って各々を動かしております。もっと彼らを生き生きとさせられる技量があれば…と日々精進です。
各人の思惑を想像しつつ、最後までよろしくお付き合いください<(_ _)>

2019/03/18 (Mon) 00:25 | REPLY |   

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