FC2ブログ

66.拭えぬ不安

Category『Distance from you』 本編
 2
「末森先生、ご無沙汰しております」
つくしが教授に挨拶する機会を得たのは、開式から1時間半ほど経過した頃だった。教授は当大学の卒業生であり、長く研究や後生の教育に貢献した人物であったため、今日の催しに参加した人数も非常に多かった。
「あぁ、牧野さんか! 久しぶりだね」
「在学時はたいへんお世話になりました。…その後、お加減はいかがですか?」
冒頭の挨拶でも触れられたように、教授は心臓の疾患のために一線を退いていた。
一時期は入院し、難しい手術も経験したという。

「見ての通り、いろいろガタが来ているね。今は静かな余生というヤツだよ。…牧野さんは今、どうしてるんだい?」
「祖父の跡を継いで、クリニックを経営しております」
教授は頷く。
「確かご実家の方がクリニックだったね。君はよくできた学生だったから、個人的には、あのまま大学に残ってほしいと思っていたんだが…」
「恐縮です」

それから二言三言を交わした後で、続けて同期達が挨拶を始めた。
その様子を穏やかに見守りながらも、意識が過去へ、過去へと向かうのを抑えられなくなる自分に気付く。
―やっぱり、来るべきじゃなかったな。
恩義のある教授の退官式だから、と重い腰を上げて出席したものの、結局はこうして陰鬱な気分になってしまった。
―あの人のことなんて、知りたくなかったのに。

奇妙な巡り合わせだ、と思う。件の准教授選挙のことがなければ、この研究室とは無関係の彼の名を、ここで聞くこともなかっただろうに。
よもや彼の方が自分との再会を望んでいるとは思わない。
つくしも決して望むことはない。
どうあっても、もう二度と、巡り合ってはいけないと思っている。


レストルームで少し気分が落ち着くのを待ってから会場に戻ると、同期達は次の集まりの話で盛り上がっていた。
やや声が大きいのは、アルコールが入っているせいだろう。
「今度このメンバーで集まって飲もうって話してるの。牧野も来るよね?」
佳奈恵の誘いの言葉に、つくしは曖昧に返答する。
「…都合が合えば」
「合えば、じゃなくて、そこは自発的に合わせなさいよ!」
同期の一人が笑いながらコメントする。
「佳奈恵を通じて連絡入れるからさ、来れたら来いよ。ま、俺らも皆、家業は獣医なんだし、イレギュラーはつきものさ」
そうだね、と笑んで、つくしは腕時計に視線を落とした。
時刻は午後2時半過ぎ。そろそろ退官式も終了する頃合いだった。




類から渡仏後初めての電話がかかってきたのは、その日の夕方だった。
退官式が終わると、つくしは佳奈恵のお茶の誘いを断ってまっすぐ帰宅し、3階のサンルームの揺り椅子に座って物思いに沈んでいた。
スマートフォンに表示された彼の名を見ると、安堵感から思わず涙が滲んだ。
「もしもし? つくし?」
「…うん。聞こえてるよ」
フランスとの時差を考えれば、あちらは午前中のはずだ。

「そっちはどう? 寒い?」
多忙である類には、無用の心配はかけたくない。
隠し事はしないと約束した後も、つくしには根底にその想いがあった。
揺れる気持ちを必死に宥め、努めて冷静に発した声はいつも通りだったと思うのに、類には何か察するものがあったらしい。

「…今日は大学の集まりがあったんだろ?」
つくしの質問には答えずに、類が質問を投げてくる。
「お世話になった教授の退官式で。無難に終わったよ」
「その割に声に元気がないね。…昔のこと、思い出した?」
真っ直ぐに核心を突かれ、つくしが返答の言葉を考えあぐねていると、類が小さく笑った。その優しい声音に鼻の奥がツンと痛くなる。必死に自分を律する。


―泣いたらだめだ。…心配かけたらだめだ。
―類が苦しくなるだけだ。

それに、何の確証もないのに、あの人を疑うこともできはしない。
あの人にとって、すべては過去の出来事に過ぎないのかもしれない。
自分のことを憶えているはずだと考えることこそ、自意識過剰なのかも…。


「思い出さないわけはないよね。大学の集まりなら、どうしたってあんたの気持ちは過去に向かう。つらいのなら、ちゃんと気持ちを吐き出して。…今は傍にはいられないから、せめて話を聞いて心の支えになりたい」
「ありがとう。…そう言ってもらえてとても嬉しい」

―類、あのね。
―今日、あの人が東京に…母校に戻ってくるって聞いたの。

「でも、大丈夫。今サンルームにいて、みんなに気持ちを慰めてもらってる。研究室への義理は果たしたし、しばらくはそうした集まりもないから」

―不安で、不安で仕方ないの。
―いつか、あの人に再会してしまうんじゃないかって。



彼の話を聞いたときから、どうしても拭えない懸念。
今思えば、それは予感だったのだ。



「あなたの方は? そっちでの仕事はうまくいってる?」
つくしが話題を転じると、類は退官式についてそれ以上の言及はせず、現状を明かしてくれた。
「昨日、共同事業を行う相手方と、顔合わせがあったところ。まだ詳細を詰められていない部分が多すぎて、厄介な仕事にはなると思う」
類は事業内容を簡単に説明した後で、唐突に問いかけた。
「…あのさ、俺のこと、信じてくれるよね」
「うん」
つくしの返答は淀みない。

「これから、誰の、どんな画策があったとしても、俺の言葉だけを信じていてくれる? 決して周りに惑わされないで」
「…どういう意味?」
「言葉通りの意味で」
類は一拍の間を置くと、次のように言った。
「いつでも、どこにいても、俺はつくしを想ってる。…そのことを忘れないでいてほしい」
「…分かった」

―だから、早く帰ってきて。
言えない言葉が、心に降り積もっていく。





いつも拍手をありがとうございます。次回は類sideです。
関連記事
スポンサーサイト



2 Comments

-  

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2019/03/20 (Wed) 21:06 | REPLY |   
nainai

nainai  

ル様

こんばんは。コメントありがとうございます。
嬉しいです~(*´ω`*)

ル様の仰る通り、それぞれが頑張らなくてはいけない局面を迎えています。“信じる”ことは、簡単そうに見えて実に難しいことです。二人の気持ちは通い合いましたが、まだまだ発展途上の段階でしたから。どのようにして困難を乗り越えていくのか、見守っていてくださいね。

管理人も眠気と闘いつつ、執筆&更新を頑張っていきます。最後までよろしくお願い致します。

2019/03/21 (Thu) 01:30 | REPLY |   

Post a comment