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81.嘆願

Category『Distance from you』 本編
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―どうして、ここに?

つくしは声を発することはおろか、再び顔を上げて相手を見ることもできなかった。脳裏は疚しさだけで埋め尽くされ、体は麻痺したように動かない。

―逢いたくなかった。もう二度と。

冷静になれ、と必死に自分を宥めてはみた。
なんとしても、この場を切り抜けなければ…。
だが、それも無駄な努力に終わり、千々に乱れた感情は御しがたく、平静を装うなどまるでできなかった。
佳奈恵は、自分と志摩との関係性を察しただろう。


「話がしたい。少し時間をもらえないか」
志摩の唐突な要望に、つくしはうつむいたまま首を振る。

空間を支配する緊張感。
伝わってくる桑田夫妻の困惑。
彼らの目線を受けることも耐えがたいほどで、つくしはきゅっと唇を噛む。

志摩は勝手だ。
昔と何一つ変わっていない。
二人の関係は誰にも秘密だったのに。
10年の時を経て晒された過去に、つくしは強く恥じ入る。


―このまま消えてしまいたい。
そう思った。


「…ニャーン」
ふいに発された鳴き声に、つくしはハッとゲージを見下ろした。
激しい動揺の中にあっても、ゲージの持ち手は離さないでいられた。
―今、自分がやるべきことは?
やっと冷静な思考が戻ってくる。

つくしは結局、無言を貫くことにした。
一礼をして踵を返し、その場から逃げるようにして裏口を出た。
ゲージを揺らさぬようにしながらも、階段を駆け下りる。
後方で閉まったドアが再び開かれた。
そして、自分を追ってくる足音―。

やがて駐車場で自分の車に行きつき、後部席にゲージを載せる間に、足音はつくしに追いついて止まった。
…振り返るのが怖かった。


「つくし」

―その声で、私を呼ばないで。
―記憶を呼び戻さないで。

「話を聞いてほしい」

―やめて。
―聞きたくない。

心の中には拒絶の言葉が次々に浮かんでくるのに、舌が張り付いたように動かない。後部席のドアを閉め、そのまま志摩を振り返らずに運転席のドアノブを引こうとした時だった。その手を横から伸びてきた手に掴まれ、強引に引き寄せられる。


瞬間、肌が粟立った。


「…は…なして」
ようやく、声が出た。
空いている方の手を志摩の胸について必死に突っ張る。
「話なんか、ない。私に触らないでっ」
最後は鋭い叫び声になる。溢れ出た涙で視界が滲んだ。


「…逢いたかった」
志摩の声が降る。
つくしは激しく首を振った。

―覚えていた。
―別れても、離れても、彼のすべてを。
―だって、私、あんなにも愛していた…。

「私は違うっ。もう二度と、逢いたくなかった…っ」
「ずっと後悔してた。あの日のこと。…どうして、お前を手離してしまったんだろうって」

―後悔なら私もたくさんしたの。
―あなたと、出会わなければ良かったのにって。

「東京に戻ることが決まったとき、真っ先に頭に浮かんだのはお前のことだった」
「…そんなの、信じない」
もう志摩の言葉には騙されない。
二度と同じ愚を犯すつもりはない。

「妻とはもう何年も前に別れてる」
夫婦関係が破綻したからと言って、いまさら何がどうなるはずもない。
それだけの時間が経過したのだ。


「…好きな人がいるの。あなたと違って、誠実で優しい人」
自分の手首を掴む志摩の力がわずかに緩む。
「あなたが好きだった。でも、許されない関係だった。…当時の問題が解消したからって、どうして復縁が可能だなんて思えるの? 10年も経ってるのよ!?」
「お前への気持ちが、俺の中でいつまでも消えないから」
「そんな勝手、聞きたくないっ!」


別れても、街角のどこかに彼の姿を探していた。
…なんて、さもしい自分。
いつの日か、彼が迎えに来てくれるんじゃないか。
…なんて、都合のいい夢。


つくしは一度も志摩の顔を見なかった。
顔を伏せ、首を振り、腕を突っ張り、自分にできるすべてで彼を拒絶した。


長い、長い苦悩の日々。
そのことで彼を責めるつもりはない。
この10年の苦しみは、確かに自分が果たすべきあがないだった。
遂には謝罪することの叶わなかった彼の妻への。


だが、類と出会った。
すべてを聞いた彼に贖罪は十分ではないかと言われ、やっと前を向くことができた。
ようやく、志摩ではない男性ひとを心の中に住まわせることができるようになった。
これからの人生を共に歩むと、類と約束したのだ。


―類。

心の中で彼を呼ぶ。
それは嘆願だった。

―類、助けて…!

再び過去の悪夢に囚われ、引き摺り込まれてしまうその前に。




「牧野様から離れてください」
場に割って入る、凛とした女性の声。

―来てくれた。
つくしは安堵する。

「着任早々、暴行の現行犯で逮捕されたいですか? 志摩久志准教授」
福重が志摩の素性を知っていたことに驚きつつも、つくしは虚を衝かれた志摩の手を強引に振りほどく。勢い余って、足元をふらつかせながら後退ったところを、福重に抱き留められた。
「福重さん…」
「大丈夫ですか?」
「はい…」

肯定の意を示しつつも、涙が止まらない。
情けなくて。…後ろめたくて。

「私は牧野様のボディガードです。今後二度と、彼女と接触することは叶わないものとご認識ください」
感情を含まない声で機械的に告げる福重を無視し、まるで彼女がここに存在しないかのような態度で、志摩はつくしに向けて言葉を発した。
「驚かせて悪かった。…だが、どうしても俺の話を聞いてほしいんだ」
福重は志摩から視線を外さぬまま、つくしを促して助手席の方へと移動させる。

「日曜日の午後3時、俺達の馴染みの店で待ってる」
福重が助手席のドアを開き、つくしを車内へと押し込む。
「お前が来るまで待つ。今度こそ来てくれ」
ドアが閉じられる直前、志摩の決意表明が耳に滑り込んだ。福重はつくしの代わりに運転席に座ると、無言のままエンジンをかけ、車を発進させた。


駐車場を出る直前、バックミラー越しに、少し離れた位置で佳奈恵が立ち竦んでいるのが見えた。遠ざかるつくしの車をずっと目で追いかけている。
心配で後を追いかけてきたものの、志摩との緊迫したやり取りに割って入ることができなかったのだろう。


「…ぅっ…」
極限まで抑えていた嗚咽がこみ上げてくる。
咄嗟に口元を押さえた手に熱い涙が触れる。

―どうして、こんなことになってしまったんだろう…。

「どうぞお使いになってください」
福重がつくしにハンカチを差し出す。つくしはやっとのことで頷くと、震える手でハンカチを受け取り両目に押し当てた。柔らかい布地からは清潔な洗剤の香りが仄かに香った。
「私はいないものと思ってください。…怖かったでしょう」
気遣いに触れると、涙は堰を切ったように溢れ出した。

掴まれた手首がズキズキと痛んだ。…彼の手の感触を鮮烈に残して。





いつも拍手をありがとうございます。
つらい展開で申し訳ありません💦 ここは臨場感たっぷりに読んでもらえたなら本望です。そして、この事態に黙っている類ではないです!
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6 Comments

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2019/04/19 (Fri) 00:09 | REPLY |   
nainai

nainai  

ゆ様

おはようございます。
いつもコメントありがとうございます(*^^)v

つくしの試練が続いていますが、なんとか福重達が阻止しました。彼女らは本当にいい仕事をしてくれます。
お怒り、ご尤もです。なんてヤツ…ですが、志摩にも言い分がありそうです。一方的な約束まで取り付けていましたが、果たして…。

次回、類が動きます。どうぞお楽しみに…!

2019/04/19 (Fri) 06:45 | REPLY |   

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2019/04/19 (Fri) 21:31 | REPLY |   
nainai

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m様

おはようございます。昨日はうっかり寝落ちしてしまいました。
コメントありがとうございます。嬉しいです(*´ω`*)

そうなんです。本作で描きたかったことの一つがまさにそれでした。類と離れている間に起きる様々な試練を通じて、つくしが曖昧だった自分の気持ちを確立していくこの過程ですね。とはいえ、過去の男は厄介です。つくし自身、負い目がありますからね…。

次回はこの報告を受けた類が動きます。やっと出番ですw

2019/04/20 (Sat) 06:19 | REPLY |   

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2019/04/20 (Sat) 13:38 | REPLY |   
nainai

nainai  

miz*様

こんばんは。いつもコメントありがとうございます。
なんとか定期更新をキープしております。

志摩の登場でした。桑田夫妻のショックも大きいです。彼の思惑については後述がありますので、ぜひそちらの話をお楽しみくださいね。
ボディガードとはいえ、終始行動を共にしているわけではないので、どうしても駆けつけるまでに数分のタイムラグがあります。福重と本永にはまだまだ頑張ってもらわねば、です。

今夜の更新では類が動きます。久々の登場ですw

2019/04/20 (Sat) 21:42 | REPLY |   

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