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95.真相

Category『Distance from you』 本編
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志摩の視点から、つくしは当時を回想した。
彼は包み隠さず、悪感情も含めてすべてを明らかにした。
つくしが憶えている志摩の姿と、本人が話す過去の彼とはどこか一致しなかった。
志摩自身が意図的にそう仕向けたもので、それは起こるべくして起きたイメージの乖離かいりだった。


つくしは知らなかった。


志摩の、人としての弱さや脆さ。
彼の妻の妊娠。
その妻と離婚するという彼の意志。
一方的だったあの日の約束。

そして、彼がつくしを追い、ひかわ動物病院まで足を運んでいたこと―。


「前院長にお会いした。つくしはここにはしばらく戻らないと言われた。もう一度話がしたいから会わせてほしい、と何度も頭を下げた。俺には時間がなかったから」
つくしは驚きを隠さなかった。
「…そんな話、祖父達から聞いたことがない」
「そうか。…そうだろうな」
志摩は自嘲的な笑みを浮かべる。
「深くまで事情を問われたわけじゃない。詳細を話したわけでもない。…それでもはっきりと言われたよ。つくしのことはもう忘れてほしい。あなたではあの子を本当の笑顔にはできないって。…大声で罵倒されるより、ひどく堪えた」
「…………」


当然ながら、祖父母に志摩のことを話したことはなかった。
平日の帰りが遅くなっても、休みの日に出かけても、誰と何をしているのかを問い質すことはなく、つくしが話す嘘の事情をそのまま聞き入れ、無理をしないようにと言うだけだった。


―おじいちゃん、知ってたの…。
―おばあちゃんも?


伊佐夫は“知っていた”のではなく、“分かっていた”のだろう。
その感覚は直感的なものだったのかもしれない。
歪んだ事実を知ってから、つくしは心から笑うことができなくなっていたから。



「…名古屋に戻ると、新しい生活が俺を待っていた。生まれた子供は俺に似て可愛いと思えたし、大学での仕事も順調だった。…お前のことを何度も思い出したが、もう忘れるしかないと思った」
志摩の口調は淡々としていた。
つくしは卓上に置いた自分の両手を見つめ、じっと話に聞き入った。
「俺は研究に没頭した。上手くいかない時期ももちろんあったが、優秀なチームに助けられた。結果にも手応えがあった。…俺は、次第に家庭を顧みなくなった。そのうち妻に隠れて、また別の女と関係を持った。それが露見して、結局、離婚することになった」


「…どうして、奥さんだけを愛せなかったの? どうして、お子さんのことを第一に考えてやれなかったの?」
つくしの声は静かな怒りに満ちていた。
不思議な女だ、と志摩は思う。
つくしは、元妻のことを決して悪し様に言わない。
過去も、今も。
「何でだろうな。一言では言い表せない。…結婚に不向きだったんだろう、俺は」
「…そんな逃げ口上で済ませられると思わないで」
鋭い口調で、つくしは志摩を責める。
「あなたは、ずっと、現実から目を背けてばかりいる」
そうだな、と小さな同意が返る。



「…どうして、私に会いに来たの?」
つくしは一番訊きたかった質問を口にした。
「あなたは誰の差し金で動いてるの?」
ぴくりと志摩の表情に緊張が走り、その指摘が誤っていないことを予感させる。
「偽りなく答えて」



「東京に戻って間もなくだった。俺の元に酒本という名の男がやってきた。花沢物産の名を出されても訳が分からなかったが、相手は続けてお前の名前を出した。彼女を救いたいと思う気持ちがあるのなら、自分達に協力してほしいと言ったんだ」


―酒本…。

思わず総毛立つ。
花沢統の第一秘書の名だ。
やはり裏には類の父親の影があった…!


「花沢物産の後継者には、すでに両家が認めた婚約者がいる。それにも拘わらず、お前が男を篭絡し、結婚を阻んでいると説明された。世間的には婚約話が周知されつつあり、このままではお前に相応の社会的制裁を受けてもらうことになる。そうなる前に彼女を説得してほしい、とな」
「説得…ですって?」
思わず上げてしまった声に、志摩はくっと口角を上げた。
「砕いて言えば、まだ気持ちがあるならその男から奪い返せとけしかけられたんだ。だが、お前には警護がつけられていて、容易には近づけない。酒本は、桑田公彦の情報を俺に伝えてきた。彼は大学の研究室に出入りしていて、その妻はお前と親交がある。その伝手で会えばいい、と。…すると、思ったよりも早くチャンスは巡ってきた。お前の動向は全部、相手方には筒抜けだった」


佳奈恵と公彦のことまで、相手側は把握していた。ひた隠しにしてきた志摩の存在もあぶり出せたほどだ。そのくらい出来て当然なのだろう。
情報収集の細やかさに、つくしはふるりと身震いした。


「…どうして、断ってくれなかったの? もう私とは無関係だって言えば良かったでしょう」
「最初に言ったろう。俺は逢いたかった。俺にとって、お前は今でも特別な存在だ。…そのお前がこのままでは窮地に陥ると聞き、居ても立っても居られなかった」
志摩は言う。
「ずっと後悔してた。お前が別れを切り出してきた夜、俺は先に話をするべきだった。妻とは別れるって。そうしたら…」
「違う」
志摩を遮るつくしの声が凛と響く。
「あのとき、私はどうあっても志摩さんとは別れるつもりでいた。先にあなたの意志を聞いていたとしても、気持ちは変わらなかった。…私達に別の未来はなかったの」


つくしは確信した。
自分は判断を誤っていなかった。
あのとき、志摩との別れを選ぶことこそがベストだったのだ。
…祖父が、陰でつくしを守ってくれていたように。


「今、当時の話を聞いていても思ったことよ。……あなたはね、いつでも自分が中心なの。自分以外の人があなたの言動をどう思い、どう感じるかを、まったく想像できていない」
「…主体はあくまでも自分だろ。それが確立されてこその人生だ」
つくしは哀しい笑みを浮かべる。
「…私ね、あなたと別れてから、男性に対して強い恐怖を感じるようになった。次の交際相手とは触れ合うことができなくて別れて、同期達や講師でさえも怖くて、これが自分に与えられた罰なんだ、と思った」
深い悔恨の日々。
「何年経ってもトラウマは乗り越えられなかった。だから、もう、パートナーは持たずに、一生、一人で生きていこうと思ってた。…でも、あの人と出会ったの」



類との出会いは鮮烈だった。
彼への印象は、時の経過とともにゆっくりと変化した。
類はつくしの心に寄り添ってくれた。
苦しみを明かし合い、悲しみを分け合い、喜びを共有した。
やがては、彼を愛するようになった。…志摩よりも深く。



「彼に出会えてよかった。彼を愛せてよかった。…私と彼とのことは、ご両親からは認められないかもしれない。…それでもいいの」
「俺と何が違うんだ? お前だって自分の我を通してる。奴には婚約者がいるのに」
志摩が口を挟む。
「花沢もそうだ。現実がつらくて、お前に逃げ場所を求めているだけだろう。自分が楽な方に流れようとしているだけだ」
「違う!」
強まる語気。
花沢統に言われたspoilという言葉が唐突に思い浮かんだが、即座に否定する。


「あの人は、いつも闘っている。自分の幸せや利潤だけを優先して、その背に負ったものを投げ出すようなことは絶対にしない。私はあの人と生きていくって決めたの。もしそれが叶わなくても、心はずっと繋がっている。…彼は、私の半身だから」
つくしは、真っ直ぐに志摩を見つめた。
「私から別れを告げるのは三度目になる。…でも、本当にこれが最後」
そして寸分の迷いもなく、その言葉を彼に送った。


「研究者としてのあなたを、心から尊敬していました。これからも獣医学界のために尽力してほしいと切に願ってやみません。私は、あなたと生きることはできません。いつ、どんなふうに出会っても、たぶん私達はそういう運命だったんだと思います」

決して交錯し合わない人生もある。

「それでも、自分の負うべき責任から逃げないでください。…あなたには血を分けた子供がいます。その子の成長を見守っていく父親としての義務が残っています。そうでしょう?」



「……あぁ」
志摩は同意を示す。
「やっぱりお前は真っ直ぐで正しい。…出会った頃と何も変わらない」
そこに浮かぶ諦観の笑み。
「悪かったと思ってる。…許してほしいとは言わない」
その言葉を機に、つくしは立ち上がった。
「さよなら、志摩さん」
志摩はつくしを見上げただけで、それには応えなかった。



ここが始まりの場所で、終わりの場所だった。
もう涙は出なかった。






いつも拍手をありがとうございます。
志摩との決別を描きました。今度こそ本当の別れです。
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4 Comments

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2019/05/15 (Wed) 11:32 | REPLY |   

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2019/05/15 (Wed) 19:29 | REPLY |   
nainai

nainai  

ゆ様

こんばんは。いつもコメントありがとうございます(*'▽')

志摩はアンバランスな男なんですよね。研究者としてはトップクラス、しかし刹那主義の傾向が強く、思い遣りにも欠ける。年下のつくしに強がりを見せながら実は甘え切っている…。
10年という時を経て、改めて志摩(=過去)と向き合ったことでつくしには多くの発見がありました。何を迷うことなく、別れを告げられたことは結果として良かったのだと思います。

つくしの闘いはここまで。これからは類の闘いです。

2019/05/15 (Wed) 22:58 | REPLY |   
nainai

nainai  

m様

こんばんは。いつもコメントありがとうございます(*^^)v

つくし、頑張りました!
類との信頼関係は彼女の心を強くしました。志摩(=過去)と向き合うことは、自分の愚かさを見つめ直すことでもありましたが、その痛みにも耐え、やっとそれらを過去のものとして真に手離すことができました。

本作では、『離れている間にこそ深まる絆』を意識して二人の関係を描いてきました。うまく伝わっていればいいなぁと思いながら、次は類の闘いに焦点を当てます。お楽しみに。

2019/05/15 (Wed) 23:13 | REPLY |   

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