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98.耀の半生

Category『Distance from you』 本編
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異母兄のことが嫌いだった。


…いや、憎んでいたと言っても過言ではない。
物心ついたときから、4歳年上の彼は目障りでしかない存在だった。

彼は同じ建物の中に住んでいるらしかったが、ほとんど顔を合わせることがなかった。だから彼と自分とが実は兄弟であることは、長い間理解できていなかった。


母は俺に言った。繰り言のように。
「類さんと慣れ合ってはいけません。いつか、あなたの敵になる人です」


どうして?と問い返したことが、さすがに一度はあっただろうと思う。
記憶は定かではないし、そのとき母が何と答えたかももう覚えていない。
…だが、その理由は、自分の身をもって知ることになる。



英徳学園の幼稚舎に入り、周囲との折衝が生じるようになると、相手は俺を詰るためにしばしばこう叫んだ。「2号のくせに!」と。
苗字の同じ彼が1号で、俺が2号か、という安易な解釈をしていたが、これはどうも意味合いが違うらしかった。後妻や愛人を2号と呼ぶという俗称が理解できたとき、それが俺への侮蔑の言葉なのだと悟った。


誰が2号だ。ふざけるな。
以後、その言葉を叫んだ者へは、泣いて詫びるまできっちりと報復を行った。


彼はいつも無言だった。
泣くことも、まして笑うこともなく、感情を揺らすことのない人形のように俺の目には映った。父を同じくするものの、双方が受け継いだ容貌は母側の形質だったために、一目で俺達が兄弟だと分かる者は少なかった。
俺は、自分の母を美しい人だと思っている。
それでも彼の母はまた雰囲気の異なる麗人で、本来の線の細さや儚げな印象も手伝って、容姿を持て囃されるのはいつだって彼の方だった。


初等部に上がるとその傾向はより顕著になった。
同学年の道明寺、西門、美作達と『F4』などというバカげた呼称でもって持ち上げられ、彼は周囲から別格視されるようになっていく。
別に、自分が彼と同じような扱いをされなかったから、と妬んでいたんじゃない。『花沢』の名はそれなりに俺を引き立ててくれたし、うまく利用すれば非常に価値あるブランドだった。
ただ、彼が何をしても、…いや、常人が為すべきことの何をしなくても、その存在意義を認められる風潮みたいなものが、気持ち悪くて許せなかった。



実際、コミュニケーション能力の欠如を除けば、彼は実に優秀だった。
俺だって決して勉強ができなかった方ではない。だが、俺が一歩ずつ進む道を、彼は悠然と数歩で飛び越え、遥か先へと進んでいってしまう。
知能テストで恐ろしく高いIQを叩き出したとか、無口なクセに語学が堪能であるとか、自分にはない逸話を彼は数多く有していた。


父は、彼の秀逸ぶりを褒め称えることこそしなかったが、渡航の際に彼だけを同行させたり、彼にだけ与える課題があったりと、俺とは明らかに扱いの差があることが分かってきた。

父にとっては、『彼のspareスペア』である自分。
それをはっきり自覚できたのはいつのことだっただろう。

扱いの違いを感じたときは、母の顔を見るのが怖かった。
怒っているでもない、悲しんでいるでもない能面じみた表情を見ると、子供心にも彼女が幸せではないのが伝わってきた。
母は父に対する不満を決して口にしなかったが、父を、そして異母兄を見返すために、自分はもっと頑張らなくてはいけないと思うようになっていった。



俺がアイデンティティを確立したのは中学の頃だ。



母に伴われて、彼女の生家に招かれたときのこと。月に1回の会食は習慣化していた。母の両親、兄、弟は、顔を合わせれば、いつも温かく俺達を迎え入れてくれた。

会食の最中、伯父である西洞院美景は俺にこう告げた。
「意志の強い、いい目をしている。お前なら多津子を支えてやれる。これからは『花沢』ではなく、『西洞院』の一員であるという自覚を持ってくれるか」
どういうことだ、と無言で問い返した俺の目を、彼は優しく見つめ返した。
「花沢統のためにではなく、多津子のために生きてほしい」

無論そのつもりだ。
力強く応えたとき、自分の中で欠けていたピースが、カチリと音を立てて嵌まった気がした。


『父』のためではなく、『母』のために。
『花沢』のためではなく、『西洞院』のために。


俺には、伯父の示すそうした生き方が相応しいのだと理解できた瞬間だった。
誰だって必要とされる場で、自分の力量を活かしながら生きたいのだ。



一方で、彼は相変わらずマイペースに生きていた。
だが、俺がこれほどまでに、彼に対して種々様々な感情を燃やしているというのに、彼の方からそれに似た感情が放射されることはなかった。
そもそも、彼の視界に俺達が映りこんでいたのかさえ怪しい。
彼にとって、まるで取るに足らない存在。さしずめ透明人間。
…そんなところか?


大学卒業を機に、彼は何も言わずに邸を出て、一人暮らしを始めた。
後々、顔を合わせる場は、会社だけに限られるようになった。



大きな失敗などしたことのない彼が騒動を引き起こしたのは、俺が21歳の時だった。男性機能の欠落を理由に、中條家との婚約を解消したのだ。
まさに青天の霹靂だった。父の失望は大きかったと聞く。
俺は快哉を叫んだ。積年の鬱屈が一気に晴らされたかのような爽快感だった。


その後も彼は婚約話を断り続けたが、逆に俺は24歳の時に母の勧める女性と結婚した。見合いではあったが、相手のことは高等部の時から知っていた。
愛情を伴う結婚ではなかったが、それなりに気心も知れていて抵抗感は少なかった。翌年には男児が生まれ、その翌年に女児が生まれ、彼が結婚しない限りは俺の子供が花沢家の跡継ぎとなる目算だった。






いつも拍手をありがとうございます。
まずは耀を知ってもらおうと、彼の視点で半生を綴りました。
西洞院家は早くから耀を取り込んでいました。多津子主導の花沢乗っ取りの画策は、実は生家の意向が強かったことが窺えます。
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2 Comments

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2019/05/19 (Sun) 10:20 | REPLY |   
nainai

nainai  

ゆ様

こんばんは。お返事が遅くなってしまい申し訳ございません。
いつもコメントありがとうございます(*^^)v

耀は、類より出来が悪いイメージが先行していたと思いますが、それでも常人と比べたら出来のいい方です。類へのコンプレックスは半端なかったでしょうね…。
多津子とその生家の導きによって耀は成人し、家庭を持ち、多津子と同じ目的を胸に今日までを生きてきました。その耀がどのように私見を述べるのか、今夜の更新を楽しんでいただければと思います。

2019/05/19 (Sun) 21:50 | REPLY |   

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