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99.覚醒

Category『Distance from you』 本編
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昨年11月のことだ。
異母兄に意中の女ができたらしい、という驚きの一報が持ち込まれた。

母が会社内に配備している監視役からの情報だった。
週末になると彼が足繁く通う場所があるのだという。
二度尾行し、二度とも同じ場所へ向かったので間違いないだろう、と。

彼の心を揺らしたのがどんな女なのか、俺は俄然興味を持った。
かつては藤堂静と恋仲が噂された彼であるから、相手はさぞ美人なのだろうと漠然と想像した。俺は監視役に女の顔が見たいと依頼した。

1ヶ月ほど経ってから目的のデータが送られてきた。
日付はクリスマスイヴ。
女の家の前でやり取りをする二人の様子が、詳細に記録されていた。


―これが、彼?


俺は自分の目を疑った。まるで見たことのない表情だったからだ。
監視役が、相手を意中の女だと確信を抱くのも無理はない。
穏やかな微笑を浮かべながら見つめ合い、女の買い物袋を持ち、一緒に家の中へと入っていった彼の一部始終。
その一幕だけで、彼がいかに相手を特別視しているのかが分かる。

凡庸な女だった。スタイルといい、容姿といい、可もなく不可もないようなレベルで、かつて彼が華やいだ噂を流した相手とは雲泥の差だ。
身なりに気を遣う様子もなく、女性らしさにも欠ける。
女は獣医師で、映像の中の古びたクリニックの院長をしているとの話だった。


そのデータは母の元へも届けられていた。
母は笑いながら言った。
大きな転機が訪れるかもしれない。
それらが私達にとってのチャンスになるのかどうかは、副社長の動向にかかっているが、おそらく事態は好転するだろう、と。

得てして、事は母の予想通りに進んだ。
彼は父の勧めるメイヤー財閥との結婚を拒否し、誰もが羨む環境も社会的地位もその一切を手離し、女の元へ行くという。そのためになら、どのような手段を取ることも厭わないと。

彼はまず俺にコンタクトを取り、ついで母とも取引をした。
父を失脚させるために3人が手を組む。
このような日が来るなど、幼少時には想像すらしなかった。



彼が渡仏する少し前、初めて二人きりで会談を行った。
俺は、彼の目を真っ直ぐに見て話をした。
色素の薄い透き通った瞳は清明で、やはり俺へは何の感情も放射していない。

どうしても問いたくて問うた。
これまで、俺や母のことが憎いと思ったことはないのか、と。

しばらく考え込んだ後で、彼はこう答えた。
「お前達はさぞ俺を疎ましく思ってきただろう。だからって、俺がそれと同じ気持ちを抱くとは限らない。……正直言えば、どうでもよかった。誰に何を思われようと、どんなに憎まれようと、俺の心には何一つ響かなかったから」
彼はシニカルに笑んだ。
「人間の在り様としては、どこか歪んでいたんだと思う。痛みにも鈍感だったし、喜怒哀楽を表す術も失ってしまっていた。…これまではね」


俺が思う以上に、彼は実に空虚な人間だったのだと思い知った瞬間だった。
あれだけ多くの人間の感情や思惑に晒されながら、まったくそれを感じないでいることなど常人にはできないだろう。受け入れ難い現実に心が防衛的に働き、こうした人格を形成したのだと思えた。

だが、彼はそれを過去形で話した。
“今”は違うということなのだろう。



俺はもう一つの疑問をぶつける。
「なぜ、そんなにあの女医がいいんだ? どこにでもいる普通の女だろ」
「彼女を見たの?」
「あぁ、尾行させた」
彼は俺をひと睨みしたが、すぐに興味を失くしたように目線を伏せた。
「お前にはきっと説明しても分からない。…分からなくていいよ、俺のことも、彼女のことも」
すっと閉ざされる心。
「彼女に関するデータは消去して。…今後、俺達を探ることは許さない」
結局、彼は、彼女に関して何も答えなかった。



今更、彼と慣れ合いたいわけじゃない。
だが、なぜか今、花沢類という人間を正しく理解してみたいという気持ちが、猛然と湧き上がってきた。

母が繰り返し言い続けてきた言葉を、心の中で否定する。
“いつかは敵になる”はずの彼は、決して敵には転じない。
俺達が利己的になりさえしなければ。
そう確信できた。



俺は、彼が入社してからのこれまでの軌跡を、洗いざらい調べ上げた。
彼が会議でどのような発言や提案をし、どのように他社と交渉をし、成果を上げてきたのか。その実績、失敗、その他諸々。
今までは憎しみや嫉妬心でくすんだフィルターがかかって、彼の業績を冷静に評価できずにいた。だが、膨大な記録に触れ続ける内に、自ずと見えてくるものがあった。


父が彼の何を評価してきたのか。
後継に何を求めているのか。
自分とは何が決定的に違うのか。


事態を俯瞰する力。
物事に冷静に対応する姿勢。
そして、自社の社員の利益を守ろうとする心。
総合的に評価すればこの三点が際立っている。


あれほどまでに他人に関心のない男なのに、元来の性根のせいなのか、議事録の随所にそうした思慮深さが垣間見えた。それらを無意識にやっているんだとしたら、とんだマネジメント能力の持ち主だ。
俺は、彼に羨望を隠せない。だからこそ、彼を失うことは、父を失うことよりも、会社にとっての損失が大きすぎるのではないかと懸念した。



「…私見を述べます」
俺は立ち上がる。
父、母、異母兄の視線を一身に集める。
「私は、副社長のこれまでの業績を個人的に高く評価しています。ご本人としては不本意でしょうが、決して適職でないと言い切れるような実績ではないと思います」
三者が一様に驚いた反応をする。


無理もない。
今まで一度として、俺は、こんなふうに彼を褒めたことがなかった。
だが、俺は自分の言に偽りは混ぜていない。
過去の業績と照らし合わせて、今では心からそう思っている。


俺に欠けている資質があることくらい、痛いほど分かっている。
だからと言って、このままでいいわけがない。
この事態を俯瞰し、冷静に対応し、社員の利益を守るために、今の俺ができることはなんだ?

考えろ。
ベストとはなんだ。
俺は何を優先するんだ。
何を目標とするんだ。
今はプライドを重んじている場合じゃない。
自己を発揮する場を履き違えるな。


そして、自分なりに考え続け、導き出した答えがこれだった。


「私は、副社長の辞任の意思を尊重します。ですが、完全に経営から退く形ではなく、経営陣のブレーンとして今後もその能力を遺憾なく発揮してほしいと思っています。…その形として、社外取締役への就任を希望します」






いつも拍手をありがとうございます。
長きに亘って類を憎んできた耀ですが、類との対話を経て冷静に状況を分析し、自分の中の優先事項を定めました。『覚醒』は、耀の意識改革を指しています。

ここでいくつか答え合わせをしておきます。着々と伏線を回収中です。
第29話『記事』でミチ子が見かけたという不審者は、多津子が社内に配備していた類の監視役でした。尾行が杜撰ずさんなのはその道のプロではないからです。
第42話『一対の瞳』に出てきたカメラマン、この依頼者は耀(正しくは、耀に命令された上記の監視役)でした。
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4 Comments

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2019/05/19 (Sun) 22:46 | REPLY |   
nainai

nainai  

み様

こんばんは。コメントありがとうございます(*'▽')

耀は、過去の経緯から、類も自分達に悪感情を抱いているものと思ってきました。ところが類はそうした感情とは超越したスタンスを示し、耀を仰天させます。
類の本質を理解しようと努めたこと、業績について客観的な評価ができたことは、後に耀が会社を牽引していく上でとても重要な通過儀礼でした。

実はキーパーソンだった耀。読者様にあっては、とんだ伏兵であったことと思います。“おぉっ”と思っていただけたなら本望です(^^♪

2019/05/20 (Mon) 00:53 | REPLY |   

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2019/05/20 (Mon) 13:14 | REPLY |   
nainai

nainai  

ゆ様

こんばんは。いつもコメントありがとうございます(*'▽')

一卵性親子、ぴったりな表現ですね。多津子もそう思っていたと思います。
目障りな相手がいるとして、ただ相手を排除しようとするのか、目障りと思う原因を追求するのかで言えば、今の耀は後者でした。幼少期は前者だったと思いますが…。
耀は今後を見据えて自身の飛躍を願っています。企業人としての類を客観視できたことは大変意義深いことでした。先達を知り、真似ることは成長の一歩ですからね。

今夜は耀の私見の続きです。どうぞお楽しみに!

2019/05/20 (Mon) 20:56 | REPLY |   

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