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117.闇

Category『Distance from you』 本編
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一木美音は静かに微笑み、つくしを見つめていた。
だが、その視線には気後れするほどの力強さがある。
そのアンバランスな微笑に、つくしはわずかに戸惑った。


今夜の美音は、いつもの黒い縁取りの眼鏡をかけていない。
それだけで随分と顔の印象が変わる。眼鏡のない彼女の顔を見るのは初めてのはずなのに、つくしはどこか既視感を覚えた。

いつかはその素性を調べてもらったことがある。
プロフィールに不審な点はなかった。彼女は定期的にひかわ動物病院を受診する顧客であったが、時間外の診察は今日が初めてのことだった。つくしへの不必要な接近もなく、関係性は何ら問題ないように思えていた。


ーこれまでは。


「お時間をとっていただいてありがとうございます」
「いえ。では、早速ですがブランを診察台に…」
「今日は私個人の相談を受けていただくために参りましたから」
つくしの声を、美音が遮る。
「そこにあるゲージの中は空です」
「…えっ?」


美音の持参したゲージからは確かに物音一つしなかった。
当然ながら、つくしは困惑を深めた。


「一木さん個人の、ですか? 私で、相談に乗れることでしょうか?」
「えぇ。…先生にしかできないと思います。だって…」


一拍の間。
不可思議な微笑。


「類さんのことですから」



“類さん”



その呼称に、つくしは小さく息を呑む。
類をそんなふうに呼ぶ女性がいるとしたら、それは誰なのか。



つくしの表情の変化に、美音は我が意を得たりと嬉しそうに目元を和ませた。
「気付いてくれないかなぁって、ずっと思っていたんです。そうしたら、もうこんなことはやめるのにって。…でも、先生も、類さんも、他の誰も私に気付いてくれませんでしたから」

―彼女が、何者なのか。

「確かに6年前と見かけは変わりました。名前も偽っていましたし。…でも、そんなに分からないものかしらって、逆にショックを覚えたりもして…」

―6年前。

「一木美音さんというのは…」
「実在しますよ。名前とプロフィールを拝借しました。ご本人も了承済みのことです。……先生? 私が誰だか、分かりますよね?」


答えをねだる彼女の笑み。
この場で見せるその無邪気さが、けれど誤答は許さないというその語調が、つくしの胸に言い知れぬ恐怖を掻き立てた。
つくしは提示されたキーワードをもとに、ある女性の名を口にした。



「中條、紗穂さん…?」
「ご名答! …と言いたいところですが、結婚しましたので今は米代姓です」



―類の婚約者だった女性ひと…!



ざわっと総毛立つ。
目の前の映像と過去の記憶がようやく合致する。
つくしは、ミチ子の持ってきた週刊誌の記事で、彼女の顔を一度だけ見たことがあった。6年前の彼女は今よりもほっそりとした体躯で、髪は長く、気品と自信に満ちた微笑を浮かべていたー。



「所詮、類さんにとって、私は過去の人ですよね。先生は、私のことなど端から気にもかけておられない。お二人はご結婚されてとても幸せそうなご様子。……でも、それが本当に悔しくって……」
紗穂の声が揺れる。
「婚約解消の日から、私はまだ立ち直れずにいます。長く、苦しい日々でした。…それなのに、類さんも、先生も、私の苦しみを知ることもなく、自分達だけが苦労を乗り越えた気でいらっしゃる…」


―ずっと苦しんでいた。…彼女も。


つくしの瞳に浮かんだ憐憫の色を読み取ったのだろう。
紗穂の瞳がすぅっと細められる。…満足気に。


「米代紗穂として先生に相対できる日を楽しみにしていました。改めて、よろしくお願い致します」



見慣れた診察室が、急に亜空間のように感じられてくる。
つくしは、美音…いや、紗穂と至近距離で相対しながら、ドクドクと不穏に鳴る胸を押さえ、彼女の次の言葉を待った。
何をどう答えていいのか、まるで分からなかった。

話を聞いてほしい。
その要望だけなら満たしてやることができる。
だが、最終的に彼女が望むことは?
それを考えるのがつくしは怖かった。



「お話を、伺います」
やっとのことでつくしがそう述べると、紗穂は静かに切り出した。



「私は中條家の長女として生を受けました。兄が一人、異母妹が一人います。父の愛妾であった妹の母親が早くに亡くなったので、父はまだ小学生だった妹を引き取りました。一人残された妹が不憫だったのでしょうが、私には愛人の子を家庭内に受け入れなければならない母の方が不憫でした。

両親の教育は厳しかったです。ですが、それまでそうした教育を受けてこなかった妹は、水を得た魚のように伸び伸びと才覚を発揮するようになりました。父が妹を褒め、可愛がるようになると、母は私に辛く当たるようになりました。失敗すると厳しい叱責が飛びました。…その頃からです。私が妹を強く憎むようになったのは」


つくしは紗穂の話にじっと聞き入る。
彼女の目的はまだ分からない。だが、今は思うようにさせた方がいい。
そう判断する。


「23歳の時、類さんとお見合いをしました。父が妹ではなく私を選んで推してくれたことは大変喜ばしいことでした。血筋を重視されたと、私個人の器量が望まれたわけではないと、理解はしていたつもりです。

類さんは噂通りの方でした。寡黙で、無愛想で。でも、寂しそうな雰囲気を纏った方だと思いました。花沢家の家庭事情が複雑であることも広く知られていました。互いの境遇を理解すれば、私達はいい夫婦になれるのではないかと思いました。…お見合いの翌々日、先方から色よい返事をいただいた時は天にも昇る気持ちだったのです。

結納が済み、正式に類さんの婚約者となりました。あるとき、ディナーの後、ホテルに部屋を取っていると言われました。類さんから私へ向けた感情に温かみは見出せませんでしたが、私達がそうした関係を結ぶことは何ら後ろ暗いことではありませんでした」


あぁ、と思う。

彼女はすべてを明かすつもりだ。
その一夜のことも。


ゆっくりと心の闇が溶け出していこうとしている。


つくしはふいに息苦しさを覚えた。
紗穂は実に淡々とした口調で過去を語っている。
そこに虚飾はないように感じた。


だからこそ、つくしは、それ以上の話を聞きたくはなかった。






いつも拍手をありがとうございます。
ついに明らかになった一木美音の正体でした。
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4 Comments

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2019/06/06 (Thu) 22:41 | REPLY |   

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2019/06/06 (Thu) 22:59 | REPLY |   
nainai

nainai  

ゆ様

こんばんは。いつもコメントありがとうございます(*^^)v

読者様の予想は二分されていました。中條紗穂を予想された方、そして志摩の奥さんorその関係者を予想された方です。
一木美音が志摩の奥さんだった場合、志摩と同じ37歳である彼女が、30歳のつくしに同世代と印象付けるのはやや難しかったと思われます。また、彼女は再婚していることになりますが、赤ちゃん以外に志摩との間の子供がいるはずなので、3人という家族構成が合わないことにもなります。このあたりをヒントにしていました。

中條紗穂がどのようにして一木美音に成り代わったのか。そのカラクリは次回に持ち越しです。
まだ少しドキドキが続きます。お楽しみに。

2019/06/07 (Fri) 00:55 | REPLY |   
nainai

nainai  

み様

こんばんは。いつもコメントありがとうございます(*'ω'*)

今作では、偶然を装って現れた一木美音=中條紗穂であることを、なんとかイコールさせないようにミスリードする必要がありました。ですので、由紀乃に疑わせて、福重達に調査させて否定させるというワンクッションを置いてみました。
ですので志摩の奥さんを予想された方も多かったです。でも文中には、彼女が志摩の奥さんではないことのヒントをこっそり書いておりました。(詳細は、上記の“ゆ様”へのコメントをご参照ください)

紗穂の目的は何か。どうやって実在の人物に成り代わったのか。
徐々に明らかにしていきます。最後までお楽しみくださいませ。

2019/06/07 (Fri) 01:08 | REPLY |   

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