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119.正当性

Category『Distance from you』 本編
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紗穂は、唐突に口をつぐんだ。
これからのことをどのように話すべきか、再考している様子が窺える。

つくしは身動きできないまま、紗穂の動向をただ目で追った。
彼女は深呼吸をした後、再び話し始めた。


「類さんの女性関係についてはいくらか噂を耳にしていました。スマートな誘い方からは、女性の扱いに慣れた方だという印象を受けました。私の方はというと、貞淑を貫くことが母の教えでしたから、男性とのお付き合いはほとんどありませんでした。

類さんは愛こそ語りはしませんでしたが、とても優しく私に触れました。時間はかかるかもしれませんが、私達は穏やかな関係を築いていけるのではないかと思いました。

ですが、状況は一変します。しばらくすると、類さんは戸惑いの表情を浮かべて仰いました。できない、と。最初はその意味が分かりませんでした。…拒絶されたのだと分かったときの衝撃は、言葉に尽くしがたいものがありました」


痛い。
つらい。
苦しい。


紗穂から放射される煩悶を、つくしは痛いほどに感じ取っていた。
これまで知ることのなかった彼女の心の声を聞き、つくしの心も大きく揺れる。

類には類の事情があった。だが、紗穂には紗穂の事情があった。
そのどちらかだけの事情が酌まれるというものではない。
彼女の怒りもやるせなさもまた、正当性に基づいた感情なのだー。



「類さんは自分の心の問題だと仰いましたが、私は自分を責めました。どこかに非があるはずだと思い、懸命に改めようとしました。それからも二度、同衾を試みましたが、いずれも上手くいきませんでした。…どうしたらいいのか、まるで分かりませんでした。

そうした不協和を、あの妹が察知しました。次第に、私が心を病んでいったからです。あるとき、彼女は楽しそうに言いました。私に女としての魅力がないのだ。母の言いなりに、真面目一辺倒に生きてきた結果がこれで笑える、と。

目の前に、緋色の幕が下りたようでした。…気が付けば、私は妹を床に引き倒し、家人によって取り押さえられるまで何度も打ち据えていました。その騒動によって、両親は現実を知ることになったのです。

両親の意見は大きく割れました。婚約は解消しないという父、解消して慰謝料を請求すべきだという母。…最終的には、心を病んだ私の心情が酌まれ、婚約解消の申し入れをすることになりました。先方はそれを受諾し、法外ともいえる慰謝料を当方へと支払ったと聞いています。

それでも、父は私に言いました。
お前は期待外れだった、妹の方を推せばよかった、と…」


ギリッと奥歯を噛み締める音がした。
膝の上に置かれた両手が小刻みに震えている。
次に彼女が見せたのは、燃えるような激しい怒りだった。


「あの一件によって、私はそれまで保ってきた中條家の長女としての矜持を失いました。深い喪失でした。父や兄はもう私を顧みません。妹は私を蔑んでいます。…母と昔からの使用人だけが私を案じてくれました。

1年後、私は米代家に嫁ぎました。母が親戚筋を頼り、縁談を調えました。相手は学生時より知っていた遠縁の男性で、私の抱える事情もすべて引き受けてくださるとのお話でした。

新しい邸宅には1匹の犬がいました。それがブランです。ブランの持つ愛らしさは私に希望の光を与えました。無心に主の愛情を乞う様は自分の姿とも重なり、自分を慰撫するかのようにブランを愛しました」


つくしは、“一木美音”とブランの関係を思い出す。
彼女はその素性を隠しながらつくしに近づいてきた。
だが、病院の診察室でつくしに相対する彼女は、正真正銘、ブランの飼い主であった。健康状態を案じ、必要な処置を受けさせ、ブランへの深い愛情を示していた。
あれもまた、紗穂の本当の姿なのだ。


「主人との関係は良好でした。彼との間に娘が生まれると、私の心はずいぶん穏やかになりました。もう過去には折り合いをつけ、前向きに生きていけばいいのではないか、と思えるようになりました。

…ですが、ここで新たな問題が発覚します。主人には、愛人がいたのです。相手の女性が子を孕んだという情報を得て、私の精神状態は再び悪化しました。その後、初期流産によって非嫡出子の問題は立ち消えましたが、私と主人との間には大きな溝が残りました。

私はすべてを母に打ち明けました。母は耐えるしかないと私を諭しました。自分もそうしてきた。ここで短慮を起こして離婚しても何の得にもならない。生き恥を晒して出戻ることを父は許さないだろう、と。

私の心は行き場を失くしました。精神状態が不安定になるたび、娘と引き離されることが多くなりました。主人は子供への悪影響を懸念したのでしょう。ずっと私の傍にいてくれたのはブランだけでした。

ですから、私は不貞行為そのものを非常に憎んでいます。父然り、主人然り、家庭内に不和を持ち込むしかないその汚らわしい関係を。……でも、先生も、かつてはそうした不義の関係の渦中に身を置いた人でしたね?」


唐突に投げられた非難の言葉が、つくしを突き貫く。
その視線に宿る侮蔑の色。
彼女もまた、つくしの過去を調べ上げていた。
恥じ入るようにうつむいたつくしを見つめながら、紗穂は話を継いだ。


「類さんのその後についても、折に触れて情報を得ていました。誰も傍に置かず、また女遊びに興じることもない彼の姿に、私は安堵を得ていました。

最後に会った日、類さんは仰いました。決して私が悪いわけではない。他の誰でも結果は同じだった。自分こそ私に不適格だったのだと。

それでも私は彼を詰りました。何と叫んだのかはもう覚えていません。ですが真摯な謝罪に留飲を下げ、最後は彼を許そうと決めました。……その後の彼の動向を追おうと思ったのは、そのときの言葉が嘘偽りないものだったのかを知りたかったからです」






いつも拍手をありがとうございます。
紗穂の独白が続きます。もう少しお付き合いを。
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