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120.自供

Category『Distance from you』 本編
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「昨年の冬、類さんに恋人ができたようだという情報が入りました。彼が選ぶほどの女性です。どんな相手なのか、どうしても知りたくなりました。

情報を持ち込んだ使用人は、初めて私を止めました。パンドラの箱を開けるようなものだ、と。それでも、神話の中の愚かな女性が、好奇心に負けて禁忌の箱を開けてしまったが如く、私も進んで事実を見届けようとしました。

この病院の近くに連れてきてもらい、彼女がそうだと示された先に、犬を連れた女性の姿がありました。…牧野先生です。私は先生の後ろ姿を見つめました。それが伝わったのかどうか、先生は背後を気にするように、何度もこちらを振り返りました」


―あのときの視線…!


散歩道で感じた、纏わりつくようなそれには覚えがあった。
身の回りに起きる異変を感じ取った、最初の出来事だった。


「私は先生のことがもっと知りたくなりました。その過程で、類さんと一緒にいる様子もつぶさに観察してきました。確かに、類さんは先生がお好きなようでした。私には見せたこともない表情で笑っていらっしゃいます。…胸の奥で何かが燻り始め、やがては激しく燃え盛っていきました。

先生の過去を調べるのには興信所を使いました。大学当時の恋人の存在を知ると、私は先生を憎しみの対象として見るようになりました。なぜなら先生は、かつては不倫関係を結んでいた、卑しい女だったからです。

類さんの傍にいることができるのは、私よりも美徳に溢れ、優れた女性でなくてはなりませんでした。私は深く失望しました…」


つくしは理解した。

―だから、私は憎まれているんだ。

ついぞ類と添い遂げることのできなかった紗穂。
だからこそ、彼の隣に並び立つのは、その自分よりも何もかもが優れた女性であってほしかった。そうでなければ矜持を保てないから。
だが、結局彼が選んだのは、薄汚い過去を持つ一般家庭の女で…。



「クリニックのホームページに、『偽善者』と書き込んだのは私です」
突然の告白に、つくしは思わず声を発していた。
「あれは、あなたが…」
「そうです。憤りのあまり、先生を傷つけたいと思ってしまったんです。でも、すぐに後悔しました。そんなことをしたところで、一矢報いるどころか、状況は何も変わらなかったからです。…先生に近づいてみよう、とそのとき初めて思いました。素性を隠して近づく方法を考えてもらいました」


福重の勘は当たっていた。
書き込みの一件は、花沢とは無関係だった…!


「初めて公園で話しかけたとき、先生は見ず知らずの私にとても親切に応対してくださいましたね。あのとき連れていた子供は私の子ではありません。その後、病院に通院するようになり、お話しする機会が増えました。先生は獣医師として素晴らしい腕をお持ちで、お人柄もいいように思いました。

先生を深く知るにつれ、私は自分の行動に疑問を持つようになりました。先生は憎むべき相手だと思っていたのに、その一方で好ましく思う気持ちも存在し始めたのです。…こんなことは無意味だ、もうやめようと何度も思いました。一時期は意図的にここから離れていたこともあります。それでも、先生や類さんに私の正体に気付いてもらいたいという欲求も、絶えず存在し続けました。

類さんは花沢を出奔し、お二人はご結婚されました。類さんは出奔に際し、多くの物を手離していますが、先生はすべてを受け入れているご様子です。自分に同じことができたかと問われれば、正直それは分かりません。

仲睦まじく公園を散歩する様子をいつも遠くから見ています。私の方はあの日から一歩も前に進めていないというのに…。それを思うと涙が止まらなくなります。悔しくて、憎らしくてたまらなくなります。

一人でいると、悪い考えばかりが頭に浮かびます。人知れず消えてしまいたいと思ったり、類さんを苦しめるために先生を傷つけたいという衝動に駆られたりします。ずっとカウンセリングにも通っていますが、プライドやジレンマが邪魔をして、すべてを吐き出すことができません。薬はあまり効果を感じません」


紗穂の頬を涙が伝う。
一度堰を切ってしまえば、あとからあとから溢れ出てくる。
つくしの胸も締め付けられるように痛んだ。


「…先生。私は、どうしたらいいでしょうか。

このまま消えてほしいと仰るならそうします。
もう二度と、先生達の前に姿を見せたりはしません。

私は、今……。毎日が苦しくて、苦しくて。
なんとか現状を変えたいのに、自分ではもう、どうすることもできないんです」



紗穂の話が終わった。長い長い独白だった。心の中に生まれた感情のすべてをここに晒し、紗穂は目の前の女医に自分の今後を委ねた。


つくしは、彼女を恐ろしく思う気持ちが徐々に薄れていくのを感じていた。
独白が終わりに近づくにつれ、紗穂の求めるものが明確になってきたからだ。


それは、救済だった。
なぜ、紗穂がそれを自分に求めてくるかは分からなかった。
だが、つくしはここで決意する。


彼女の期待に応えたい。
長年の苦しみから抜け出す一助を担ってあげたい。

なぜなら自分は獣医師であり、獣医師である以前に一人の人間であり、困窮している人を助けたいと思うことは人の道だからだ。






いつも拍手をありがとうございます。
第39話『気配』で、つくしが感じ取った強い視線は紗穂のものでした。

紗穂の目的は見えてきましたか。
憎しみの対象としてつくしを見ていた彼女ですが、徐々にその心情は変化していきました。その過程が上手く伝わってくれたら、と願いながらの第120話です。
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4 Comments

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2019/06/09 (Sun) 22:46 | REPLY |   

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2019/06/10 (Mon) 00:30 | REPLY |   
nainai

nainai  

み様

こんばんは。コメントありがとうございます(*^^)v

このときの紗穂の精神状態は決壊寸前のダムのようなものです。何かの拍子で決壊してしまえば、そのエネルギーは自分自身に、あるいはつくしに向かうというギリギリの状態です。
紗穂にはつくしを苦しめようとする明らかな意図がありましたし、ここでその当人に救済を求めるのはもちろんおかしなことです。いかに彼女が深く心を病んでいるのかが分かっていただければ…。

つくしはその想いに応えます。どんな言葉で紗穂の心に寄り添おうとするのか。最後まで見届けていただければと思います。

2019/06/10 (Mon) 01:07 | REPLY |   
nainai

nainai  

ゆ様

こんばんは。コメントありがとうございます(*^^)v

紗穂は明確な悪意を持ってつくしに近づくのですが、ブランを通じた交流を続けるうちに自分の方向性に迷いを生じさせるんですね。獣医師としてのつくしに、その人間性に、図らずも惹かれてしまうという大きな矛盾です。何度となく通院を続ける行動にもそれが表れています。

つくしは、紗穂の話を最後まで聞きました。類も途中からドアの向こうで聞いていたものと思われます。類sideも用意してありますが、先につくしsideからお送りしますね。

2019/06/10 (Mon) 01:24 | REPLY |   

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