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123.謝罪

Category『Distance from you』 本編
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つくしが隣室へと移動してスライドドアが音もなく閉まると、診察室には類と紗穂の二人だけが残された。外界から切り離された、息詰まるようなこの空間で、つくしが長時間にわたって紗穂に応対し続けてくれたことを思うと、類は頭が下がる思いだった。彼女に向き合わなければならないのは、自分だったのに。


類は、静かに許可を求めた。
「…ここに座っても?」
紗穂はこくりと頷いた。何か言おうと口を開きかけ、それが言葉にならずに消えていくような感じだった。彼女がひどく緊張し、萎縮しているのが伝わってくる。
類は、いつもつくしが座る背もたれ付きの椅子を引き寄せると、紗穂とは少し距離を取ってから座った。
「そんなに緊張しないで。ちゃんと貴方の話を聞きたいし、俺の話も聞いてほしいから」

類の柔らかい声音に、詰問や非難の響きを感じなかったのだろう。
紗穂は膝の上で固く握りしめていた両手を緩め、ようやく目線を上げた。
「…類さんは、私に、怒っていらっしゃらないんですか」
最初の質問が、それだった。
「怒られるようなことをした、と?」
質問に質問で返すと、紗穂はわずかに頷いて見せる。
「…貴方がしてきたことに対して怒っていいのは、当事者であるつくしだ。その当人が怒っていないのに、どうして俺が貴方を怒れるだろう」
類の穏やかな回答に、紗穂は再び項垂れる。


「…類さんは、いつから、そこにいらしたんですか?」
「貴方が、米代家に嫁いだことを話している頃から」
「では、補足的な説明は不要ですね」
紗穂の笑みが自嘲に満ちる。
「…自分でも滑稽に思えます。…先生がご指摘なさったように、私が自分の意思を持たぬままに流されてきた結果がこれです」
再び、彼女の膝上で握りしめた両手が震え始める。
「毎日が、苦しいです。現実を許容するほどのキャパシティもありません。…本当に、消えてしまいたい気持ちでいっぱいです…」


「…でも、その状況をなんとか打破したいから、ここに来たんでしょう? 俺ではなくつくしに、話を聞いてほしかったんですよね」
小さな頷きと共に落涙する。
「自分でも説明しかねる感情でした。先生へ抱く想いは今も複雑です。彼女の過去を知り、憎しみが先行しました。彼女の現在を知り、親しみを覚えました。羨ましいと思う気持ちも強いです。…そして、この手で傷つけたいと思ったのも本当のことです」

類は、殊更、静かに問う。
内なる感情は見せないようにして。

「それは言葉で? …力で?」
紗穂は微笑を浮かべたまま、これには答えなかった。
…類を前に、答えかねたという方が正しいのかもしれなかった。

そのような事態に発展しなくて良かったと思う。
つくしのためにも、…紗穂のためにも。


「…もう一度、俺に謝罪させてもらえませんか」
類が切り出す。
だが、紗穂は応えない。
「最後に会った日も、決して軽々しい気持ちで謝罪したつもりはありませんでした」
紗穂の瞳が涙に濡れていく。
「それでも、今なら分かります。俺の謝罪に嘘や偽りはなくても、その言葉の一つ一つに重みがなかった。実感がこめられていない、と貴方は感じていたでしょう」


類は背筋を正すと、深々と頭を下げた。
「心から貴方に申し訳ないと思っています。俺が未熟だったばかりに、無用の苦しみや困難を与えてしまいました」
おもむろに体を起こし、紗穂を真っすぐに見つめて話し始める。


「あの件に関して、貴方は何一つ悪くない。如何なる非もない。花沢側からの要望やご両親の期待にしっかりと応えようとし、理解の及ばない俺にも歩み寄ろうと努力してくれました。
…ただ、俺は自身に課せられた使命に、精神的に耐えることができなかった。貴方に触れて初めて、そうした自分の欠陥を理解できたんです。
結婚して子供が生まれたら、自分が味わってきたこの果てのない孤独や重圧も継承することになる。それを意識するだけで、嘔気や眩暈が押し寄せてきました。症状が頻発し始めると、自分がどうしようもなく矮小で、不完全な人間に思えました」


紗穂の受け答えは、実に冷静だった。
涙を拭い、彼女は問う。
「負の連鎖は、類さんが断ち切れば良かったのではないですか? 自分が感じてきた孤独や重圧を与えないように、自分の子供には愛情を注いで育てていけば…。いえ、類さんにできなくても、私にならできました。今のようにすべてを明かしてくだされば、どんな努力も惜しまないつもりでした」


類は頷く。
「…おそらく、貴方ならそうできたでしょう。
今も貴方が自身の子供を正しく愛せているように。

でも、当時の俺はそもそも愛情を理解できていませんでしたし、自分の弱さに向き合うこともできませんでした。俺は、大きな失態から無意識に逃げようとしました。貴方にそれを明かすことは矜持が邪魔をしてできませんでした。俺は傲慢で、怠惰で、独り善がりだったんです。

親に与えられた名と生育環境、自分を形作るこの体が『花沢類』という存在を象っていましたが、その実、中身は空っぽの人間でした。すべては見せかけだったんです。上辺だけでできている俺に、想いを寄せてくれる女性はいました。でも俺は自分自身の虚無を知っています。…だとしたら、相手は俺の何を見て、どこを評価しているのかと常に懐疑的でした」


紗穂の瞳の色が濃くなる。
彼女の心の中で類の話が結びついた瞬間だった。


「…だから、なのですね」
ひどく打ちのめされたような表情だった。
「だから、私では駄目だったんですね。私が、類さんの本質を見極めることなく、あなたへの憧れを簡単に口にしたから。…あなたにとって、それは無意味な賛辞の羅列だった…」
声が尻すぼみになり、再び涙が混じる。
それでも彼女は涙を堪えきった。その姿に類は胸を打たれる。

「酷いことを言っていると自分でも思います。でも、あのときの自分を偽りなく明かすとするなら、これが俺の中の真実でした。…だから、貴方が俺に相応しくなかったわけじゃない。俺こそが貴方に不適格で、貴方を娶る資格など持たない、つまらない男だったんです。だからこそ本当に申し訳なく思います」



長い沈黙が下りた。



「…先生は?」
やがて、紗穂が口を開いた。
「先生は、何が違ったんですか?」

「…最初から」
類は苦笑する。
「つくしと出会ったのは、昨年9月です。道路に飛び出したシロンを車で轢いてしまい、俺は加害者で、彼女とシロンは被害者という関係でした」
紗穂が軽く目を見開く。
そうした情報までは手にしていなかったのかもしれない。

「先生はフェアでした。前方不注意だった俺の非は責めず、シロンをノーリードにしてしまった自分の非を強く主張しました。そして、見舞いに訪れる俺にいつでも冷静に丁寧に応対はしてくれるのに、俺という個人に対してはまったく無反応でした」
「……無反応」
「えぇ、俺の名も、肩書も、外見も、すべてをまるっきり透過して、あの人は俺に相対しました。そうした反応に興味を持った俺が、少しでも先生に近づこうとすると、今度は徹底的に無視を決め込みました。…そしてある日、先生はこう言ったんです」
類は、つくしの言葉を一言一句違えずに復唱した。

『取って付けたような誉め言葉も、作り物の笑顔も、私には不要です。……あなた、本当はもっとニヒルな人でしょう?』

「“nihilニヒル”とは、虚無的であることです。彼女は最初からそれを指摘しました。大きな衝撃でした。…いえ、指摘される以前から予感はあったんです。この人になら、すべてを明かせるんじゃないかと。俺を知ってほしい、そして、この無様な生き様を許し、愛してもらいたい、と」


小さな笑い声が洩れる。紗穂が笑っていたのだ。
これまで凝り固まってきた何かが、緩やかに氷解していく過程を、類は肌で感じた。


「…同じです」
紗穂は言った。
「私も先生に対して、そう思っていました。どうしようもない自分を知ってほしい、理解してほしい、許してほしいって。………先生にとっては、本当に厄介な患者だったでしょうね。私も、類さんも…」
「…えぇ、本当に。その通りだと思います」
類も微笑で応じた。






いつも拍手をありがとうございます。
類に衝撃を与えたつくしの一言は、第7話『第一関門』より。
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4 Comments

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2019/06/12 (Wed) 22:32 | REPLY |   

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2019/06/12 (Wed) 23:21 | REPLY |   
nainai

nainai  

み様

こんばんは。コメントありがとうございます(*^-^*)

6年前に成立していたはずの和解でしたが、類は事情のすべてを明かさないことで無意識に自分を守っており、紗穂も類を許しつつも納得しきれてはいませんでした。類は紗穂を顧みませんでしたから、その部分ではやはり薄情だったのだと思います。

類の心からの謝罪を受け、そして、つくしからは他者の束縛を受けない生き方を示され、紗穂はようやく前を向きます。二人が真の和解に至るには、つくしの力が不可欠でした。
難しいことに挑戦してしまったな…と自分でも思いましたが、なんとかここまで綴ってこれました(^^;)

2019/06/13 (Thu) 00:44 | REPLY |   
nainai

nainai  

ゆ様

こんばんは。コメントありがとうございます(*^-^*)

そうそう。そうなんですよ。類と紗穂は実は似ている部分が多いんです。複雑な家庭事情や、生真面目な性格や、やや打たれ弱い部分など…。世が世なら、愛情は伴わなくても普通に夫婦にはなれたかもしれない二人だったんです。

二人の真の和解のためには、つくしの介入は不可欠でした。それはひとえに、つくしが公正な目と精神的タフネスを有しているからこそ、という下りでした。
それをどのように描こうかと悩みに悩みぬいた山場でした。まさに苦労の集大成です(;^_^A

2019/06/13 (Thu) 01:02 | REPLY |   

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