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127.吉祥

Category『Distance from you』 本編
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11月中旬。

季節は巡り、街路樹や公園の紅葉が見頃を迎え始めた。街の中の色感だけでなく、変化は日の短さであったり、風の冷たさであったりする。つくしと類は、日々の散歩の中で秋探しをしながら、季節の移ろいを楽しんでいた。
仲睦まじい二人の姿は、近隣に住まう人々には馴染みの光景となっている。


つくしに引き取られた仔犬のアルは、その後すくすくと成長していた。
聴覚は片方にわずか残るだけのアルだったが、アイコンタクトもだいぶ理解できるようになってきた。
さらに、つくしは犬笛を購入し、アルが聞き分けられる音域を探して調整をした。アルには『待て』や『伏せ』などの声符(声による指示)が使えないため、犬笛で指示を理解できるようになってほしいと思ったのだ。

類は、シロンと分け隔てなく、アルのこともとても可愛がった。猫達とも仲良くなり、ついには一番警戒心の強かったラムとも心を通わせるようになった。
出会った頃、とくに動物好きというわけでもないと語った類であったが、飼い主としての彼は満点だった。躾にもとても意欲的で、アルの犬笛の訓練も根気強く行ってくれた。二人の努力の甲斐もあり、アルの情緒はすっかり落ち着き、健常な犬とも大差ない生活が送れるようになった。



ひかわ動物病院では、火曜日の午後をオペ日に定めている。
つくしはいつも通りに休憩時間を類と過ごし、階下に下りようとした。
「そろそろ下りるね」
「オペ、今日は何件?」
「4件だよ」
類はふと何かに気付いたようにつくしを招き寄せる。
「ちょっと顔色悪いよ」
「ん? そう?」

つくしは特に不調を感じておらず、自分の首元に手の甲を当てて首を傾げる。
「熱は…ないみたいだけど」
「あのさ…」
類が口を開きかけた時、タイミング悪く内線電話が鳴った。
患者からの問い合わせを知らせる由紀乃からの連絡だった。
類は言いかけたことを胸に仕舞い、つくしを緩く抱きしめて励ました。
「オペ、頑張って」
「うん!」


つくしは由紀乃とオペに臨んだ。
3件目のオペの最中のことだった。

患者は、ミニチュアダックスフンドの生後9ヶ月の雄。
鼠径ヘルニアのために開腹手術の必要があった。腹膜の隙間から内臓が飛び出してしまう疾患で、腹膜のゆるみを縫合で閉じるという治療法になる。飼い主の希望もあり、鼠径ヘルニアのオペに加えて、去勢手術も合わせて行うことになっていた。
「ここ、このまま固定」
「はい」
「ペアン」
「はい」
つくしと由紀乃の呼吸は今日もぴったりだ。
オペは順調に進み、あとは腹部の縫合を残すのみとなった段だった。


―あれ?


由紀乃から縫合糸を受け取ったとき、つくしは軽い眩暈を覚えた。
ふわっとした体の浮遊感。
手元の視点がわずかに定まらなくなり、作業の手が止まる。
つくしは何度か目を瞬かせ、視界の異変をどうにかやり過ごした。
「…先生?」
由紀乃はつくしの変化を敏感に察した。
「ごめんなさい。何でもないです。…続けます」
眩暈は一瞬のことで、つくしは最後までオペをやり遂げた。


オペが終わると、つくしはビニル手袋をダストボックスに捨て、長い溜息を吐きながら椅子に座り込んだ。いつもより疲労が濃い様子に、由紀乃は問う。
「先生、体調悪いんですか?」
「…集中力が切れたみたいです。ちょっと眩暈がして…」
微笑を浮かべながら、つくしが答える。
その返答を聞き、由紀乃は少し考え込むような表情になった。
「由紀乃さん?」
「…あのぅ、それ、もしかしてってことはないですか?」
「え?」
「実は、私も最初、仕事中の眩暈からだったんですよ…」
その後に続けて発された単語に、つくしは目を大きく見開いた。


―そういえば…。





「お疲れ様。今日は早く上がれたんだね」
午後の診療を早めに終えてつくしが2階に戻ると、類はいつもの場所でパソコン作業をしていた。つくしが浮かない顔をしていることに、類はすぐ気づいた。
「どうした? やっぱり具合悪い?」
「類…あのね…」
つくしは、その先が続けられずにうつむく。

言い淀むような、躊躇っているような、微妙な間。
彼女からそうした雰囲気を出されるのは初めてのことだった。

類は立ち上がり、傍に来ていたつくしを引き寄せると、その顔を上げさせて先を促した。腕の中の彼女は、ますます不安げな表情になっていく。


「つくし? ちゃんと話して?」
「…さっき…オペ中に一瞬だけ眩暈がして…」
つくしは言葉につかえながらも、由紀乃とのやり取りを類に聞かせた。
類はあまり驚いた様子を見せずに、つくしの手をそっと引いた。
「おいで。試してみよう」
「…えっ…でも…」
「実は、俺も気になってた。昼の休憩のとき、それを話そうと思ってたんだ」
「…うん…でも…」

消極的な態度を示すつくしに、類は立ち止まって彼女の逡巡を思いやる。
「…大丈夫。不安がらないで」
もう一度抱き寄せ、安心させるように彼女の背を軽く叩く。
「俺は現状を正しく把握しておきたいだけ。違っていても別に落ち込んだりしないから」
「…うん…」


類に手渡されたのは細長い紙箱。
つくしはそれを大切に胸に抱えるようにして、部屋を移動した。


「…あ」
「出た。陽性だね」


二人で覗き込む細いスティックの小窓に現れた、鮮やかなブルーライン。
それが意味すること。


「明日が休診でよかったね。病院に行こう」
「…………」
「つくし?」
「…だって…夢みたいで…」
つくしは床に座り込んだまま、両手でそっと下腹部を包むようにする。
「…ここに…命が宿ってるなんて…」
「俺達の子供だよ」
類はつくしの肩を抱く。


「俺は確信あったよ?」
つくしの柔らかな頬にキスをしながら、類は笑う。
「つくしは忙しいと自分のことは後回しになるから、俺が気をつけてあげなきゃと思ってた。…でも、さすがの由紀乃さんだったね」
彼女の優秀な助手は敏感に変化を悟ってくれた。
「病院に行くなら、留守番をお願いしなきゃ…」
「由紀乃さんもドキドキしてるだろうから、ちょうどいいんじゃない?」


つくしが由紀乃に電話で事の次第を説明する間、類は夕食の配膳に取り掛かることにした。最近では、料理はすっかり得意になっていた。

今夜は和食。
祝い膳としては少し物寂しいメニュー。

明日はちょっと豪華に、でもささやかにお祝いをしよう。






いつも拍手をありがとうございます。
吉祥とは、良いことのある兆しです。二人の元に次なる幸せが訪れます。
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4 Comments

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2019/06/16 (Sun) 22:28 | REPLY |   

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2019/06/16 (Sun) 22:54 | REPLY |   
nainai

nainai  

m様

こんばんは。コメントありがとうございます(*^-^*)

あんな日もあったなぁと思い出していただけましたか? 
私もです。かけがえのない思い出ですよね。

つくしも嬉しかったでしょうが、類はもっと嬉しかっただろうと思います。ずっと自分の家族が欲しかった彼ですからね。つくしは類をがっかりさせたくなくて検査を躊躇するのですが、結果オーライでした。
待望の妊娠!ということで、明日はつくしのマタニティライフをお送りします。どうぞお楽しみに(^^♪

2019/06/17 (Mon) 00:43 | REPLY |   
nainai

nainai  

桜様

こんばんは。コメントありがとうございます(*^-^*)

いえいえ。最後のたくさんの読点に、桜様の想いがいっぱい詰まっていましたよ~。喜んでもらえたんだなぁとこちらも嬉しかったです。想いを言葉にするのってなかなかに難しいですよね。

類は自宅で依頼された仕事をしつつ、つくしの仕事を全面的に支えています。専業ではないけど“主夫”の類を書く日が来るとは…と感慨深いです。
桜様の書いてくださった人物については出番が………あります! そのお話まで待っていてくださいね。

2019/06/17 (Mon) 00:57 | REPLY |   

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