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137.予定調和

Category『Distance from you』 本編
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「栞は延命のためにどんな辛い治療にも耐えた。薬の副作用で苦しむ姿が今も心に焼き付いている。だが、私が見てきたものは彼女の闘病のごく一部だった。当時の私は専務取締役として国内外を奔走する日々だった。彼女の病室にいてやれるのは週に二度か三度、それもわずかな時間。看病らしい看病はしてやれず、結局……死に目にも会えなかった。

生まれたばかりのお前のことは使用人に任せきりだった。
夫だ、父だと胸を張れるようなことは、何もできなかった。

それでも栞を失ったことは、私にとってかつてないほどの喪失となった。これまで、どのような困難があっても何らかの手段で克服してきた。唯一打ち克てなかったもの、それが彼女の病だった。

次に私が危惧したのは、この疾患が遺伝的であるのかどうか、ということだった。もしこれが遺伝的要素によって受け継がれるものであるなら、栞が命をすり減らしてまで遺したかったお前にも、いつか累が及ぶのではないかと。

存命であった私の父も、同じことを別の意味で危惧していた。後妻を娶り、新たに後継者を儲けておく必要があることを切々と説いたのも父だった。
栞の死から一年後、多津子を引き合わせられた。彼女の聡明さと合理主義は最初から際立っていた。私は彼女との婚姻を決めた。結果として、その判断は正しかったと思う。

エンゲルス博士と出会ったのもその頃だ。博士の研究内容を聞いて、彼の研究を全面的にバックアップすることをその場で決めた。私費を投じ、寄付を募り、優秀な人材を集める手伝いをした。そのうちにもっと別の形で彼を支援できないかと考え始めた。…それが今の会社を立ち上げることだった」


「つまり、すべてが予定調和だったんですよね」
類が初めて口を開く。
「…ずっと違和感がありました。当時、西洞院側の狙いは明確でした。あなたが本当に会社に居座り続けたいなら、少なくとも俺だけは懐柔しておく必要があった。…それなのに、あなたは俺とも敵対する姿勢を示した。西洞院とも敵対してしまえば、俺があちら側と手を組めば、自身の劣勢は火を見るより明らかなのに」

すべてが決着した後も疑問は残ったが、それを追究するための時間はなかった。会社の変革と新生のために、類達は業務に追われ続けた。

「…あのとき、あなたは、会社を手離したかったんですよね? 今の会社のためだけに心血を注ぐべく、花沢物産を誰かに継承したかった。会社の受ける不利益を最小限にするための方法を模索した結果が、『自分以外の人間を共闘させる』という手法だった。…何%の達成率だったんですか?」

類の言葉に、統はさも満足そうに頷く。
投げかけていた命題を解いてくれたことを喜ぶような様子で。

「100%」
「………」
「と、言いたいところだが少し違う。120%だ」
「…予想以上だったと?」
「想定より耀の働きが良かった。お前については織り込み済みだった」
類は長い溜息を吐く。
胸の中に渦巻くのは諦観と、…静かな怒り。


「…仮に、お前を指名し、代表にしていたとしよう」
統は仮定する。
「お前には物事を俯瞰する力と冷静な判断力があった。リーダーシップを強く示しはしないし、会社を大きくしようという野心もないが、自社の利益を確実にする保守力には長けた。……だが、ある時を境に、お前には決定的な弱点が生じた」
「…つくしのことですか」
「そうだ」


統は、つくしと対峙したときのことを忘れない。
どこにでもいそうな普通の女性だった。
可も不可もない、そんな印象。

だが、話をしてみればすぐに分かった。
彼女は物事の本質を見抜こうとする。
目の前にある雑多なものから、余計なものを選別して削ぎ落していく。
彼女の真っすぐな瞳に、射抜かれたのはむしろ統の方だった。


『そもそもの最初、彼に無償の愛を与えるべきは、唯一の血縁であるあなただったと思います。…いえ、実際には与えていらっしゃったのかもしれません。ですが、本人がそれを自覚できるように、明確な愛情を示してあげるべきでした』

まったくもって、その通りだ。
その一言一句に、反論の余地もないほどに。


『類さんを愛しています。心から。…あの笑顔を、これからもずっと守ってあげたいんです』

彼女から迸る熱い思念に、統はただ圧倒された。
類は、この女性を、絶対に諦めきれないだろうと思った。
それと同時に悟る。卑劣な手段で彼女を盾に取られるようなことがあれば、類はいかなる要求をも迷いなく呑むだろう、と。


「あれだけの才覚がありながら、お前には仕事への熱意が致命的に欠けていた。お前自身が言ったように、仕事ができることとそれが適職であることとはイコールではない。他に守りたいものができれば、容易く手離してしまえるもの。お前には花沢はその程度だっただろう。…だが、それでは、西洞院の勢力に到底太刀打ちできるはずがなかった」
「…確かに、そうでしょうね」
類は頷く。
「俺には、未練も執着もありませんでした。…そして、実際にそうでした」



「…仮に、先に私が辞意を表明し、西洞院に覇権を譲り渡していたとしよう」
統は更なる仮定をする。
「当時の多津子や耀はお前とは相容れない姿勢を示していた。力量を評価してはいても、すぐにお前を経営陣から排斥しただろう。…だが、それでは会社は立ち行かなくなることが容易に想像できた。
会社の変革期において、お前の頭脳と経験値は絶対要件だった。そして、お前の親友達のアシストも。最小限のデメリットであの交代劇を成功させるためには、西洞院側にお前の力が不可欠であることを認識させる必要があった。だから多少の困難は命題として残していったつもりだ」

類はシニカルに笑う。
本当にすべてが予定調和だったのだ。

「…それに耀が応えてくれた、と」
「そうだ。あの中の誰よりも耀が、お前を頼り、利用することのその意義深さに早く気付くべきだった。いずれ、耀は代表の座につくだろう。西洞院の年齢を考えればな。その時までに欠けている資質をお前の導きによって補完しておく必要があった。道明寺財閥等の繋がりも確保しておく必要があった。

得てして、お前達は二人ともその期待に応えてくれた。結果として、会社のダメージは最低限で済み、私は心置きなく会社を去ることができた。花沢物産は名をこそ変えはしたが、社会へ果たすべき役割もその根幹も失われていない。私の会社も今日こうして目標を達成した。…これ以上の出来など望むべくもない」






いつも拍手をありがとうございます。
第101話『謎』の回答編でした。二人のやり取りはもう少し続きます。
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