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Category第1章 紡いでいくもの
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次の稽古はマナー講習の予定だったから、美作さんは不在だった。
あたしがいつものように一人で美作邸にお邪魔すると、夢乃さんの傍らに初めてお会いする人がいた。
夢乃さん自体が年齢不詳で若く可愛らしく見えるんだけど、その人が夢乃さんのお母さんだと聞いたときはさらに驚いた。その方は素敵な着熟なしで、若々しさと気品に溢れていてとても美しかった。
…静さんが歳を重ねたら、こんなふうになられるんじゃないかな…。
夢乃さんともまた違う華やいだ魅力に、あたしはどぎまぎしながら挨拶をした。

「初めまして。牧野つくしと申します。いつもあきらさんにはお世話になっております」
「こんにちは、牧野さん。わたくしは、東 八千代と申します」
凛とした声で東夫人は応えてくれた。女性にドキドキするなんて久しぶりのことで、あたしはちょっと変な顔をしていたんじゃないかと思う。
「今日はお話を楽しみましょう? あなたのことは、夢乃からいろいろ訊いているの」
「あ…はい」
東夫人の隣席に促されて座り、あたしは微笑んで応えた。


「先日はありがとう」
東夫人のいうお礼が何を指しているのかが分からず、あたしが少しだけ首を傾げるようにすると、
「芽夢のコサージュ」
夫人は眼鏡の奥の目を優しく綻ばせて、あたしに言った。
「裁縫がお上手なのね。あなたに直していただいて、芽夢がとても喜んでいたわ」
あたしは合点がいった。
同時に、この女性があの可愛らしいコサージュを作ったのだと分かり、申し訳ない気持ちにもなる。今日、邸にお越しになることが分かっていたのなら、あえてあたしが手出しをしない方が良かったのかも…。

「そんな…大したことではありませんので…。それよりあのように直してしまってよかったのでしょうか」
「え?」
「修復が難しいと思いましたのでアレンジしてしまいました。…東さんの作品の趣旨に合わなかったらと思いまして…」
コサージュの花弁は引き千切れていて、修復できないと思った。それでもできないと思うのはあたしの素人考えに過ぎず、他の修復方法があったのかもしれない。
東夫人と夢乃さんは声を上げて笑った。あたしは面喰う。
「ふふっ、夢乃の話してくれた通りの方ね」
「ね、謙虚な方でしょう? 司くんの売約済みじゃなかったら、あきらくんのお嫁さんに欲しいくらいなのよ」
「ゆ、夢乃さん…」
華やかに笑いながらサラリと怖いことを言われて、あたしは苦笑いする他なかった。


『fairy』という服飾メーカーのことはもちろん知っていた。
…だって、すごく有名だし。
でもそれが、東夫人が立ち上げた会社だということはその日まで知らずにいた。
長いこと美作家に出入りさせてもらっていながら、無知もいいところだ。
そういえば、双子ちゃんや夢乃さんの服もそのメーカーの物だったことに思い至る。

純白を意味する『pw (pure white)』
空色を意味する『sb (sky blue)』
深紅を意味する『dr (deep red)』
そして、漆黒を意味する『jb (jet black)』

服のデザインのイメージごとに四つのカラーに分けられ、それぞれのターゲット層も異なる。あたしは、『sb』のデザインが一番の憧れだった。
庶民のあたしには容易く手の届くような価格ではないけれど、たとえば特別な日のために素敵な一点を買い求めたいときは、『fairy・sb』で買いたい、と密やかな願望があったくらいだ。



東夫人のファッションデザイナーとしての経歴を聞いたり、あたしは近況を聞かれたりしながら、楽しい時間はあっという間に過ぎていった。ふと目線を落とした腕時計で時刻を確認すると、予定していた滞在時刻を大幅に過ぎていて、あたしは慌てて辞去する旨を申し出た。
「長居してしまってすみません! もうおいとましないと…」
「あら、夕食を一緒に、と思っていましたのに」
東夫人は優しく微笑む。あたしは事情を説明する。
「いま両親と離れて暮らしていて、弟のために夕食を作らないといけないんです。弟は受験生でして…」
「まぁ、そうなの」
東夫人は夢乃さんの方に顔を向けた。

「料理を持ち帰れるようにして差し上げたら?」
「そうね。帰りも車で送らせるわね」
あっさりと話が進められそうな雰囲気に、あたしは慌てる。
「いえっ、あの、ご迷惑ですから」
「いいのよ、つくしちゃん。母はもう少しあなたと話がしたいのよ。付き合ってもらえるかしら」
結局、親子そっくりのニコニコ笑顔に押し切られて、あたしは進が塾から帰ってくるギリギリの時間まで美作邸にとどまることになった。



「…牧野さん、近いうちに私のアトリエにいらっしゃいな」
東夫人はおもむろにそう切り出した。
「今日お話ししていて思ったのですけれど、あなたは服飾の仕事に強い興味があるのじゃなくて?」
あたしは驚いた。
実を言えば、あたしの子供の頃の夢はファッションデザイナーだった。大人になったらデザイナーになって、自分が着たい服をたくさん作るんだと幼い空想を膨らませていた。
幼少期から節約の家訓を順守させられていたあたしは、紙面という二次元の世界に、現実では叶えられない願いを描き続けていくしかなかったから。…でも、誰にもそれを打ち明けたことはなかったのに。


「違っていたらごめんなさいね。…でもあなたの目はずっとキラキラ輝いていたし、お裁縫も上手だし、もしかしたらと思って」
東夫人の言葉に、あたしはこくこくと頷いていた。
「いえ、実を言えば大好きなんです。服を見るのも、デザインを考えるのも…。最近は時間がなくてしていませんが、裁縫も大好きです」
「まぁ、やっぱり!」
夫人は両手を合わせて喜びを表した。
そうして、あたしに彼女の名刺を差し出してくれる。


「ここにわたくしのアトリエがあります。連絡先はここ」
あたしの住んでいる地区からは遠い、都内の中心地にそれは在った。
「予定のない日は、大抵アトリエでデザインを考えています。どうぞ見学にいらして」
「…本当にいいんですか?」
あたしの声は上ずっていた。『fairy』の作品がどんなふうに生み出されているのか、見学できると思うだけで心が躍った。
「えぇ、きっとあなたの心惹かれるものがたくさんあると思いますよ」
休息のために予定を入れていなかった月末の土曜日の午後に、あたしは東夫人のアトリエを訪れる約束をした。


美作邸のシェフ達に、進と二人で食べるには十分すぎるほどの量の料理をパックしてもらった。あたしは恐縮しながらそれらを受け取った。
時間に追われる生活をしているあたしには、お二人のお心遣いが本当に嬉しかった。
初対面ながらも、たくさんの興味深い話を聞かせてくれた東夫人に、あたしはお礼を述べた。

「今日は本当に楽しかったです。またお話を聞かせてください」
夢乃さんにも頭を下げる。彼女のふわふわのスカートに、見送りに来てくれた双子ちゃん達が纏わりついている。
「夢乃さんも、ありがとうございました」
「こちらこそ、引き留めてごめんなさいね」
「「お姉ちゃま、今度はわたし達と遊んでね」」
絵夢ちゃんと芽夢ちゃんが同時に言う。
「うん、遊ぼうね!」
あたしは笑った。


「本当にありがとうございました」
美作家所有のリムジンに乗り込む前に、あたしはもう一度礼を述べた。
東夫人は少しだけ悪戯っぽく微笑んで、あたしに問う。
「ねぇ、牧野さん。…わたくしとは、初対面だと思っていらっしゃるでしょう」
―もちろん、そう思っていた。…違うの?
「え? あの…」
あたしが困惑するのを見て、夫人はふふっと笑う。
「実はチラリとお会いしたことがあるのよ」

あたしは冷や汗をかきながら、正直に答えた。
「すみません。…東さんのような素敵な人とお知り合いになっていれば、忘れるようなことはしないと思うのですが…」
「いえ、直接お話ししたわけではないの。あなたが覚えておられないのも無理はないわ。…ただわたくしは以前よりあなたを知っておりました。今日お会いできて、本当に嬉しかったのよ」

―いったい、どこで?
あたしの顔には疑問符がたくさん浮かんでいただろう。
夫人はもう一度小さく笑うと、あたしをそっと送り出してくれた。
「少し記憶を辿ってみてくださる? 次に会うときに答え合わせをしましょう」

最後の最後に、あたしにちょっとした難題を突き付けて、東夫人はあたしを見送ってくれた。辺りには夜の帳が下りて、エントランスの灯りに照らされる夫人の立ち姿が本当に美しかった。




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