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視線 ~32~

Category*『視線』
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あたしの日常に新しい習慣が加わった。
それは、未知なる知識を詰め込む、怒涛の日々の始まりでもあった。


初めての対面から2日後の放課後、あたしはオーナーの住まう母屋を訪れた。
最初だけは、と花沢類も中まで同伴してくれる。
彼は彼で、資格試験の勉強が忙しいのだ。

母屋の入口は、離れである店の入口とは正反対の位置に設けてある。
立派な門扉をくぐると、オーナーが笑顔で出迎えてくれ、奥の和室へと案内された。

驚くほど広いこの家屋に、オーナーは一人で住んでいるのだという。
姉妹は早くに嫁いで家を出ていき、奥さんは3年前に先立ったとのこと。
身の回りを世話してくれるお手伝いさんや、店に出る女将さんの出入りは毎日ある。
でも、寂しくないのかなと思う。



和室の座卓の上に置かれていたのは、書道道具の一式。
使い込まれ、尚且つ、丁寧に手入れされている道具に、オーナーの愛着を感じた。

「まずは小筆の練習から」

文字は書いた人のたいを表す。
だから、美しい文字を残すための練習をする、とオーナーは言った。
最終的な目標は写経だと説明され、あたしは密やかに泡を食う。

オーナーは達筆だ。
その域に達するにはどれほどの精進が必要なのだろう。
あたしは、いの一番に姿勢を正されながら、レッスンの第一歩を踏み出した。



土曜日の午後は、女将さんとのレッスンタイム。
いみじくも花沢類がスパルタと称したように、彼女の指導はとても厳しかった。

初日は、お辞儀の基本を徹底的に教え込まれた。
立って行う立礼には、会釈、敬礼、最敬礼がある。
座って行う座礼には、浅礼、普通礼、最敬礼がある。

それぞれのお辞儀の角度を、体が覚えこむまで実践するように言われ、ひたすら腰を折る。だけど、これまで意識したことのない角度という概念に悪戦苦闘する。
当然ながら、その日は一度もOKが出なかった。


続けて、言葉遣いを注意される。
最初に昔から使っていた一人称にダメ出しが入った。
『あたし』ではなく、『わたし』もしくは『わたくし』を使うように、と。

省略語や俗語、イントネーション、さらには尊敬語と謙譲語についても注意される。
曲がりなりにも接客業に従事しているあたし…改め、私だったけれど、誤った表現を覚えていたらしい。
正しい日本語はこんなに難しいものだったのか、と感じ入るほどだ。

あと、うっかり彼の名をフルネーム呼びしてしまい、これにも強烈なダメ出しを食らう。ある日のレッスンを境に、花沢類を下の名だけで呼ぶことになった。
女将さんみたいに、『類さん』って呼びなさいだって…。
なんか、すっごい照れるんだけど…。



集中力を保つため、1回の指導は2時間きっかり。
濃縮された指導に疲労困憊しながらも、私は少しずつ彼らの教えを習得していった。





12月に入ると、非常階段でのランチが厳しくなってくる。
吹き付ける北風で手はかじかむし、コンクリートに触れる下肢が冷たすぎる。
類は平気みたいだけど、冷え性の私はてんで寒さに弱くて…。

それを察してくれたのか、冬の間はラウンジを利用しようと彼は言ってくれた。
交際について揶揄われたり追及されたりするのが嫌で、一緒にいる時はF3を同席させない姿勢を貫いていた類だけど、私のためにそこは譲歩してくれたらしい。
音楽室を使う手がないわけではなかったけど、授業の準備のために使用できない日もあるからね。


交際宣言から3ヶ月が経っても、私達に向ける周囲の関心度はまだまだ高い。
カフェテリアの半分くらいの視線を背負って、二人でラウンジへの階段を上ると、西門さんと美作さんが明るく出迎えてくれた。

「お、噂をすれば」
「ちょうど良かった。これ、牧野にやろうと思ってたんだ」

美作さんはそう言って、向かいに座った私にラッピング袋を手渡す。

「もしかして、お母さんの手作り?」
「そう。良かったら全部持って帰ってくれ」

今回の袋の中身はスコーンみたい。
わぁ。すっごく甘くていい匂い…。


美作さんのお母さんは料理上手だ。特に洋菓子を作るのが得意なんだって。
けれど甘いものが苦手な美作さんは、いつも自分に割り当てられる分を消費するのに四苦八苦するのだという。
捨てるには忍びなく、私に託すという抜け道的な方法を思いついてしまったらしい。
すでに何度かもらったけど、どれもお店で売っている商品みたいに美味しいの。


「いつもありがとう!」

満面の笑みで礼を述べると、「こっちも助かるから」と彼はスマートに笑った。
F3の中では、美作さんが一番親しみやすい。妹さんがいるからか、私への接し方もそうした年下にむけた優しさで、気がすごく楽なんだ。

即座に、類が美作さんに釘を刺した。
ひどく不機嫌そうな声で。

「あきら。牧野を餌付けしないで」
「餌付けって、お前な…」
「あんたも……って、もう食べてるの?」

彼が振り返った時には、最初の1個にパクついていた私。
パチッと目が合うと、呆れたような視線を送られる。
もぐもぐと口を動かし終えてから一言。

「美味しいよ。類も食べる?」
「…………」



くくっと笑い出したのは西門さん。
彼のスタンスは前言通り、中立のままだ。
類は「要らない」と一言呟いてから、西門さんに問うた。

「司は?」
「NY。年明けまでずっとあっちにいるらしいぜ」

ここで、ビックリな発言を一つ。

「あいつ、お見合いすんだって」






いつも拍手をありがとうございます。
第32話から、つくしは「類」と呼ぶようになりますが、類にはまだまだ「牧野」と呼んでもらうつもりです。下の名で呼ばせたい気もするのですが、苗字の方がしっくり来るなぁ…と。
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