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視線 ~57~

Category*『視線』
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そのホテルのカフェを、かつて一度だけ利用した覚えがあった。
何の用事でそうしたのかはもう思い出せない。

夜間の外出に限り、同行させることになっている護衛には、ロビーで待機するように命じた。さすがに彼の耳に入れたい内容ではない。


午後9時を回ると、利用客の姿は疎らだった。
柊木織恵が奥の壁際の席をキープしているのが見える。
入店する俺の姿を認めると、彼女は明らかにホッとした表情を浮かべた。
俺が待ち合わせを反故にする可能性を考えていたのだろう。

「コーヒーでいい?」
「はい」

まだ注文をしていなかった彼女の分も合わせてオーダーする。
席に着くとすぐ、俺は本題を切り出した。



「端的に言うけど、もう俺と関わるのはやめてほしい」

静かで性急な切り出しに、彼女の瞳の奥が揺れる。

「パートナーはもう決めてるから。俺があんたを選ぶことはないし、誰かの言いなりになる気もない」
「…お相手は、牧野さんですか?」
「そう」
「でも、牧野さんは、もう花沢さんの傍にいません」
「…今はね」

俺は、迷わない。

「でも、俺にとって、それは問題じゃない」



相手はわずかに唇を震わせた後、声のトーンを落としてこう言った。

「…私には、牧野さんが花沢さんに相応しいとは思えません」
「なぜ?」
「私だけじゃありません。牧野さんを見た誰もがそう思っています」
「そういう意見があることは知ってるよ。だけど、それは俺にも彼女にも関わりない連中の勝手な言い分で、何の正当性もないよね」

近来の通信ネットワークの充実は、匿名性の弊害を生んだ。
姿なき誰かの発する声は、容易く他の誰かの目に触れる。
牧野が人知れず苦しんでいたのは、そのように無責任に放出された悪意だったろう。


注文したコーヒーが運ばれてくる。
ウェイターがカップをサーブする間に、伝えたい事柄をもう一度整理する。
できれば感情論ではなく、正論で片を付けたい。


「私は、花沢さんが好きです。当方のパーティーでエスコートしていただく以前より、長い間、お慕いしておりました」
「…そう」
「私なら、周囲のどのような声にも負けはしません。花沢さんのパートナーとして、誰に恥じることのない振る舞いができます」

彼女の主張は誤りではない。
家柄は申し分なく、学歴や教養も完璧、容姿も端麗。
そして、清和銀行グループという強固な後ろ盾を持つ。
“花沢家の結婚相手”というカテゴリーで見れば、これ以上ないほどの好条件だ。



だが、心は“NO”を告げる。
本当に大切なものはそういうことではない。



「…俺は、彼女が好きなんだ。条件云々じゃない。理屈抜きに、ただ好きなんだよ」
「…………」
「どこがいいとか、何がいいとか、説明はしたくない。それは俺と牧野だけが共有していればいい感覚だから」
「…それでは納得できません」
「納得できないっていうのは何に? 自分が選ばれないことに?」

相手の瞳に涙が浮かぶ。
だが、罪悪感はなかった。


「俺は、あんたのこれまでを否定しているわけじゃない。…でも、これ以上食い下がってくるようなら攻撃に転じないといけない。引き際を見極めることも大事だよ」

畳みかけるように言葉を継ぐ。

「あんたは恵まれた環境下で、将来を見据えた様々な教育を施されてきただろう。でも、牧野はまだ原石の状態だ。たくさん磨かれて、これから輝いていくんだよ」
「本当に、そうなれるでしょうか?」
「なるさ」

支援を申し出てくれる顔ぶれの錚々そうそうたること。
多くの友愛に包まれて、牧野は素敵な女性へと変貌を遂げるはずだ。
あとは、彼女の覚悟さえあればいい。



「どう生まれたかじゃない。どう生きていくかだと思う。まだ何事も成し得ていない点では、俺も、あんたも、彼女も横並びだろ。そして、数年後、十数年後の状況は予測できない。今の牧野を批判する権利は誰にもないはずだ」

黒目勝ちの瞳からこぼれる涙。
小さなさざめき、周囲からの非難混じりの視線。
それに構うことなく、最後まで告げる。

「俺が牧野を選ぶんじゃない。彼女に俺を選んでほしいんだ。今の俺を動かしているのは、純然としたその願いだけ」




「…もし、牧野さんが……花沢さんを選ばなかったら?」
「もちろん可能性としてはあるけど」

未来に伸びているのは、決して楽な道ではない。
それ相応の覚悟がいる。
だけど選んでほしい。俺の傍にいてほしい。
だから―。

「再トライするよ。カッコ悪くても何度でも。…彼女に選んでもらえるまで」



柊木織恵は両手で顔を覆い、細い肩を震わせた。
小さく洩れる嗚咽に、嘘の響きは感じなかった。
それはあまり長くは続かず、やがては涙を拭いて、彼女は顔を上げた。

「…なんだか、失望しました」

彼女は仄笑う。
真っ赤な瞳で。

「花沢さんがあまりに必死で、すごく一生懸命で。…そういう青臭さからは超越した存在だと思ってきましたから」

俺もわずかに笑む。
今度こそ、意図は伝わったように思えたから。

「俺はあんたが思うような特別な人間じゃない。…牧野の前では」




「…ひとつだけ、謝罪させてください」

彼女は告白した。

昨年11月、牧野に会うために千石屋に足を運んだこと。
商品購入の際に熨斗付けを依頼し、あえて自分の名を印象付けたこと。
動揺を見せながらも、牧野は最後まで笑顔を崩さなかったこと。

牧野からその話は聞いていなかった。
作為に気付かなかったはずはなく、意図的にその一件を隠したのだろう。
俺が知らないだけで、似たようなことは他にもたくさんあったのかもしれない。




気持ちを整理したいので先に帰ってほしい、と彼女は言った。
俺は頷き、伝票ホルダーを取って席を立つ。
結局、コーヒーには口をつけないままだった。


護衛と合流してホテルを出ると、湿気を含んだ温い風が頬を撫でた。
牧野の元には、もう雨の足音が聞こえてきた頃だろうか。


そのとき、スマートフォンが着信を知らせて振動した。
母からだった。






いつも拍手をありがとうございます。
柊木織恵に関しては、鬼ユリ達ほどの厭らしさを含まず、ただ自分の欲求にストレートなお嬢様として描きました。類は、相手を否定することではなく、自分の真情をぶつけることで織恵の恋心を断ちます。そうした対応にも類の成長を感じてもらえれば嬉しいです。
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2 Comments

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2019/11/12 (Tue) 14:12 | REPLY |   
nainai

nainai  

ゆ様

おはようございます。
いつもコメントありがとうございます(*'ω'*)

これまでの類と織恵は、会話らしい会話を成立させてこなかったと思うんですね。類の心が完全に閉じていたから。でも対人スキルが向上した今、織恵のように万能で自信溢れる人には、その人格や経歴を否定するのではなく、揺るぎない真情をぶつける方が得策であると類は判断しました。この辺りの見極めが成長の証かな、と。

そろそろこの状況を脱却したいところ。私自身もウズウズしています(;^ω^)
最後までよろしくお付き合いくださいませ。

2019/11/13 (Wed) 07:45 | REPLY |   

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