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視線 ~59~

Category*『視線』
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呆然と立ち尽くす。
オーナーの姿を凝視したまま。
たぶん、息をするのも忘れていたんじゃないかと思う。


最後にお会いしてから、すでに半年もの月日が流れている。
あれだけお世話になっておきながら、東京を離れる時は挨拶すらしなかった。
形ばかりの品物を送りつけ、手紙で別れを告げた―。


オーナーはにこやかに笑んでいる。
相手が言葉を継がないことにやっと思い至り、こちらから質問を投げた。

「…ど…どうして、ここにいらっしゃるんですか?」
「もちろん、牧野さんに会いに」

口調は飄々として、何の感情も放射されていない。
拍子抜けする思いだ。

「時間をもらいたい。夕食を一緒にどうかな?」



もちろん、あたしは躊躇した。
ゆっくりと言葉を選んで、婉曲に申し出を断る。

「私は、オーナー達に不義理を働いてしまった者です。類さんとも昨年末にお別れしました。…とても会わせる顔がありません」
「むしろ、そのように思っているのなら申し開きを聞こうかの」

オーナーは笑みを崩さぬまま、ピシャリと自分の主張をした。

「あなたは、一旦は儂に教えを乞うた人だ。それをやめるのであれば、儂に直接その旨を説明するのが筋というものではないかな」



あたしはきゅっと唇を引き結び、そして応える。

「……仰る通りです」

先ほどまで噴き出していた汗はすっかり引いていた。オーナーの背を照らしていた西日はマンションの向こうに消え、辺りを薄い夕闇に包もうとしている。
あたしは決意を固めた。

「着替えて参りますので、少しだけお時間をいただけませんか?」



あたしはアパートの階段を駆け上がり、もどかしい思いで玄関の鍵を開ける。
部屋にはまだ誰も帰ってきていなかった。
顔を洗い、急いで私服に着替えると、食卓の上に走り書きを残した。

『部活動の引継ぎについて、3年生で集まって話し合うことになりました。
 夕食は外で食べてきます。準備を手伝えなくてごめんなさい。』

これまでにも何度か同様の集まりがあった。
家族が外出の理由を怪しむことはないだろう。


オーナーは、アパート近くに停まった車の後部席に座り、あたしを待っていた。
近づくと中から手招きされたので、周囲に注意を払ってからドアを開けて乗り込む。
家族が近くまで戻ってきている様子はない。
運転手の男性は無言のまま、すぐに車を出発させた。



夕刻時の主要道路はどこも渋滞していた。
車は遅々として進まず、なかなか目的地に着かない。
車内では誰も口をきかないため、余計に時間が長く感じられた。

「…こちらでの暮らしには慣れたかな」

沈黙を破ったのはオーナーだった。即座に「はい」と返事をする。

「とても住みよく暮らしています」
「学校ではどうかね」
「親友ができました。同じクラブに所属しています」
「ほぅ。クラブは何を?」
「放送部です」

オーナーは何度か頷き、こう言った。

「表情を見れば分かる。…あなたはここの水に馴染んでいるようだ」
「…はい」

肯定的にも否定的にも取れるその言葉を、あたしは心の中で反芻する。
オーナーはそれきり口を閉ざしてしまったので、あたしも同様に黙り込んだ。



車はある料亭の前で停まる。
礼を述べて降りると、運転手は無言で会釈し、そのまま走り去った。

「いらっしゃいませ」
「宗像と申します。連れが先に来ていると思うのですが…」
「はい。伺っております。部屋までご案内いたします」

今の言葉でオーナーは第三者の存在を明らかにした。
あたしの心臓はドクリと波打つ。
“連れ”って、もしかして…。

「残念ながら、類ではない」

心の声が聞こえたのかと思い、あたしは慌てふためく。
それを面白そうに見やって、オーナーは告げる。

「だが、牧野さんには馴染みの顔だ」



通された部屋で待っていたのは一人の女性だった。
予想はしていたけれど、顔を見れば申し訳なさが先に立つ。
今日、この時刻は、天満月を開けている時間帯ではなかったのだろうか。

…女将さん。

和服姿ではない彼女を見るのは二度目のことだ。
美しく座し、あたしを見上げる彼女の視線はただ優美だった。
まるで陽だまりのような温かさを感じる。
その目元は彼女の甥である類とよく似ており、彼の笑顔を彷彿とさせた。


でも、なぜか、あたしは違和感を覚えた。


「お元気そうでよかったわ。どうぞ、お座りになって」

…違う。

透き通ったその声を聞いて、はっきりと分かった。
目の前の女性は、女将さんによく似ている。
だけど、そうではない。
オーナーを振り仰ぐと、彼はあたしの動揺をすぐに悟ってくれた。

「…お気づきになられたか?」
「はい…。あの…」
「さぁ、こちらに」

オーナーに促され、あたしは上座に通された。
二人の前で改まって正座すると、緊張はピークに達した。



「初めまして」



彼女は静かに切り出した。
女将さんとまったく同じ笑顔で。
これだけ似ている双子も珍しいのではないだろうか。

「花沢希和子です。お会いできて嬉しいわ」
「…初めてお目にかかります。牧野と申します」

…あぁ。
この方は、本当に、類のお母さんなんだ…。

あたしの声は震えていた。行きの車中で整理していたはず事柄は、頭の中で散り散りになり、胸の中には焦燥だけが広がっていく。
もうお会いする機会はないのだと思っていた。
それが、このような形で対面を果たすことになるなんて…。


「初見で姉と見分けられることはとても少ないのです。牧野さん、よくお分かりになりましたね」
「た、偶々です。…声のトーンが、少しだけ高いように感じました」

あたしの返答に、希和子さんは満足そうに笑む。
姉の佐和子さんが“陽”と称した通りの、柔らかな微笑で。

「主人と同じことを仰るのね。流石だわ」






いつも拍手をありがとうございます。
次の来訪者は周と希和子です。つくしはどのように相対するでしょうか。
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