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視線 ~61~

Category*『視線』
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「たくさんの問題があるように仰いますが、牧野さんの一番の懸念は、当家との関係ですね?」
「…………」

希和子さんは、真っ直ぐに、あたしのわだかまりを暴いた。
それでも、素直に頷くことはできない。

「花沢家が交際における条件を突き付けてくるような相手だったから、ご実家の問題が発覚したとき、二人のことは到底許してもらえないと思ったのですね? 類を嫌いになったわけではないのでしょう?」



嫌いになるはずがない。
嫌いになれるわけがない。

時間が経てば経つほど、あたしの中の空洞は大きくなる。
彼のことを想うだけで、息ができなくて窒息しそうになる。

本当は、他の何を手離しても、彼の傍にいたい。
胸の奥にひた隠しにしている、密やかで切なるあたしの願い―。



肯定も否定もできず、硬直したままのあたしに、彼女は優しく笑む。

「類は、今でもあなたのことが好きですよ」
「………!」

重みのある直球に、あたしは涙をこらえきれなくなってうつむいた。
頬を伝わずに目からポタリと落ちた雫が、手の甲を濡らす。
泣くな、と自分を叱咤する。

でも、止められない。
涙は堰を切ったように溢れ出す。



「昨秋フランスに渡ってきたとき、類は本当に必死でした。後にも先にも、あの子のあれほどの熱意に触れたことはありません。夫はそれを若さゆえの情動だと冷静に見つめていましたが、私は違いました。…類の母親だからこそ、これまで必要とされた時に何もしてやれなかった私だからこそ、その想いを守ってあげたいと思いました」

希和子さんの声が柔らかく降る。

「牧野さんの写真をお願いすると、類はスマートフォンの画像を呼び出しました。どれも温かい笑顔で、こちらを元気にしてくれるようでした。それを見つめるあの子の顔にも同じ温かさが満ちて、類は本当にいい恋をしているのだと感じました。

私と夫の結婚は、両家からの強い反対にあいました。ですから、家絡みの問題によるストレスについては、よくよく分かっていたつもりです。…それなのに、私達の存在があなたに苦しい決断をさせ、そのような哀しい顔ばかりさせてきたのではないかと思うと、実に忸怩じくじたる気持ちです。

もっと早くにお会いできればよかったと思っています。そして、ここにはいない夫の考えにも接してほしかったです」



そうではない、と思う。
類のご両親の懸念は間違ってはいなかった。
あたしの親には、過ちを犯すような愚かさや迂闊さが確かに存在した。
そして、その部分は、今後も何らかの形で悪影響を及ぼすかもしれないのだ。


それが、どうしても怖い。





「牧野さん、あなたは儂をどう思う?」

別角度から問われた意味が分からずに、涙を拭って顔を上げる。
オーナーはすぐに次の質問を投げかけた。

「儂を人格者だと思うかね?」
「……はい。オーナーはいつでも私を優しく導いてくれました」

オーナーは不動産業界で一角ひとかどの事業家だった人で。
日本文化に堪能で、博識で、それでいて居丈高でなく優しくて。
佐和子さんと希和子さんの姉妹を立派に育て上げた。
そこに『Yes』以外の答えがあるとは思えない。

「私だけでなく、類さんの友人もオーナーを尊敬しています」
「ありがとう。…では、儂の両親がどのような人達だったかを話そう」


オーナーは静かな口調で過去を語った。


暴力的で粗野、酒とギャンブルで借金ばかりをしていた父親。
そんな父親と別れることもできず、唯々諾々と命令に従っていた母親。
父親が旧家の出であることは事実だったが、生家はすでに没落しており、生活を支えていたのは母親のわずかな収入だけだったという。
その内容に、あたしは衝撃を受けた。


「劣悪な環境から這い上がり、財を成すまでには並々ならぬ努力が必要だった。母に楽をさせたい一心で仕事に明け暮れた。不動産事業の成功は亡くなった妻の貢献とその実家の財力に拠るところが大きい。妻は実に多くのものを儂に授けてくれた。

日本文化に造詣が深かったのも、娘達に能楽を勧めたのも彼女だった。儂がそうした和の世界に興味を持ったのは不惑を過ぎてからで、今の牧野さんよりもずっと後年になってからスタートを切ったのだ。そうして今に至る。

つまり、どう生まれたかではない。どう生きてきたかだと、儂は自身の経験からそう思う。だが、失敗のない人生はない。誰しも自分のしてきた選択に迷い、結果に悩むことがある。起きてしまった悪い結果をどのようにフォローするのか、その過程が大切だと思う」


オーナーは、ママの失敗のことを言っているのだ。
また涙が込み上げてきそうになる。
あたしは奥歯を噛んで、ぐっとそれに耐える。


「最期まで改心しなかった儂の父親とは違い、牧野さんの親御さんは過ちの後に正しいリカバリーを果たそうとしている。その違いは大きい。…だから、あなたがいつまでも過去を悔いて、自身の生い立ちを恥じたり、行動を制限したりする必要はないはずだ」
「…本当に…そうでしょうか…」
「親は親で、子は子。それぞれの生き方があるということだ。血の繋がりに縛られることはない。少なくとも儂はそう思う」
「…でも、不安なんです」

家族の事だけじゃない。
あたしが傍にいることで、彼に背負わせてしまうかもしれないデメリットもある。

「類さんや皆さんに迷惑をかけてしまうのが、怖いんです」
「…日々を暮らしていけば、大なり小なり問題には出くわすものだ。何かあれば皆で解決方法を考えよう。どのような方法がベストなのかを。…亀の甲より年の功という言葉もあるだろう?」



それなら、あたしは、まだ望める?
類との未来を夢見ていいの?



長く続いた緊張がわずかに緩んだせいだろうか。
あたしのお腹が小さくキュウと鳴った。

あぁ、なんでこの場面で…。
恥ずかしさの余りモジモジとうつむくと、オーナーが言った。

「長々と済まなかったね。食事にしよう。あまり遅くなっては親御さんも心配されるだろう」

時刻は午後7時半になろうとしていた。
さすがに9時に帰り着かなければ、家族は心配するだろう。



オーナーがコードレスチャイムを押して店員を呼び出すと、部屋に案内したまま御用聞きには来ていなかったのに、大きなお膳が運び込まれてきた。
乗せられた料理の豪華さに、あたしは目を丸くした。

料理はどれも美味しかった。
鰻を使った“うざく”を食べると、冬の日に道明寺と食べた鰻重を思い出した。
あの再会の後、わざわざオーナーの元を訪ねてくれたのだと思うと、そして、そのことを長い間知らずにいたのだと思うと、彼にひどく申し訳なかった。



食事の間、希和子さんは、どのような仕事に携わっているのかを話してくれた。
彼女は花沢物産の常務取締役の役職を与えられてはいるものの、経営中枢への関与は少なく、主に社会貢献活動の中心を担っているのだそうだ。

欧州では、企業の多くがCSR(Corporate Social Responsibility=企業の社会的責任)活動を行っている。その活動は難民救済や衛生管理、教育支援や環境保全など非常に幅広い。希和子さんは、花沢物産のCSR活動が計画的に実施されているかを監督する立場にあるという。


「大変なお仕事ですね…」
「えぇ。ですが、とてもやりがいのある仕事です。夫が全面的にこの仕事を私に任せてくれたことで、多彩な経験と知見を得ることができました」

希和子さんはそう言ったけれど、表情にはどこか陰りがある。

「その代償に、私は類と過ごす時間の多くを失いました。…幼少時、類がフランスでの生活に馴染めなかったことはご存知ですね?」
「はい。お聞きしました」
「帰国後、時間をかけた療養で、類が不調に陥ることは少なくなりました。ですが、私が再びフランスに渡る必要に迫られた時、あの子は絶対に行かないと主張しました。家族で何度も話し合った結果、類を日本に残すことにしました。この時、類は8歳。…その後もたびたび帰国はしていましたが、あの選択は誤りだったと今では認識しています」



彼女は悔いているのだ。当時の選択を。
だけど、あたしには、その認識は少し違うのではないかと思えた。


類と一緒にイルミネーションを見た夜のことを思い出す。
あのとき、類は、お父さんの話をしてくれた。
『苦手だけど、嫌いじゃなかった』
この言葉に、すべてが集約されている気がする。

確かに類は感情表現が苦手だ。
だけど、あたしはこれまで、両親を語る彼の口調の中にどんな悪感情も感じたことがなかった。それは彼の両親が担うべき社会的な責任や役割を、幼いながらも類自身が理解し、容認し、支援していたからではないだろうか。

だから彼は、家族で話し合った末の決断とその結果について、誰にも怒っていないし、何も悔いてもいないように思うのだ。




そのように自分の意見を述べると、お二人ともとても驚いていた。
希和子さんに至っては、ハンカチで目元を押さえてうつむいてしまって…。
慌てふためくあたしに、オーナーが希和子さんの肩を優しく叩きながら言った。

「さすが牧野さん。希和子とはこれでお相子あいこですな」

相変わらず彼は飄々としている。
類が大人になって達観したら、こんな雰囲気になるのかもしれない。


「…さて、儂から、牧野さんにある提案をしよう」






いつも拍手をありがとうございます。
今日は詰め込みすぎましたね。伝えたいことが上手く伝わっていればいいのですが…。ここでは類の父・圭悟の見解は盛り込んでいませんが、それはまた後ほど。
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2 Comments

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2019/11/20 (Wed) 12:37 | REPLY |   
nainai

nainai  

み様

こんばんは。コメントありがとうございます(*^-^*)

この夜の会合は、類とつくしの行く末を決めるターニングポイントでした。なぜこの時期だったかについては、概ね、み様の記述通りなのですが、これも後述の予定があります。

オーナーは現在の地位を確立するまでに多くの苦労を重ねてきた人でした。つくしの境遇に共感できる人です。つくしの不安を引き出し、一人で抱え込むことはないのだと彼女を労わります。
希和子とつくしの対話も深まりました。希和子の心は決まったと思います。

最後の一押しは今、準備中です。楽しみにしていてくださいね♪ 

2019/11/21 (Thu) 00:00 | REPLY |   

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