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Category第1章 紡いでいくもの
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しばらく互いに無言のまま、類に頭のマッサージを続けていると、バタバタという足音とともに進が帰ってきた。ドアを開けた進は、あたし達の姿を見て一瞬動きを止めたけれど、すぐいつもの表情に戻る。
「買ってきたよ! 早く作って!」
「さて、頑張るか。…じゃ、花沢類はテレビでも見ててね」
あたしは進と並んでキッチンに立ち、手早く調理を始めた。冷蔵庫には常備菜もあったし、ご飯はもう炊けている。
すき焼きを煮込む段階になると、換気扇を回していても、狭い部屋には甘い醤油だれの香りが充満して、空っぽのお腹にひどく堪えた。

「できたよ~」
8時近くになってようやく夕食が出来上がると、進がいそいそと配膳をする。あたしは座卓にカセットコンロを据え、鉄鍋代わりのフライパンを置き、ごく弱火で料理の温度を保つ。
「「「いただきます」」」
3人で手を合わせて食事を始めると、ものすごい勢いですき焼きをかき込む進の姿を見て、あたしは赤面した。
「そんなガッつかないでよ…」
「すっごく美味い! 類さんありがとう!」
花沢類は特段気に留めたふうもなく微笑んで応じ、いつものように綺麗な所作で箸を使い、あたしの作った常備菜のきんぴらを口に運ぶ。
「牧野のきんぴら、久々だけどやっぱ美味いね」
「あ、ありがと…」
特別でも何でもない常備菜の方を褒められて、あたしは複雑な心境だ。
―ふだんはもっといい物を食べてるだろうに、この人の味覚って許容範囲が広いんだな…。


最後は、花沢類の希望通り、うどんを入れて軽く煮込んで食べた。3人でフライパンを囲みながら、互いの近況を伝え合っているうちに、あっという間に9時半を回ってしまう。
「牧野、明日は?」
「午前中はひさしぶりに八千代先生のアトリエに行くことになってるの。昼からはバイト」
「じゃ、長居すると悪いね。…そろそろ帰るよ」
言うと花沢類はすっと立ち上がった。
「迎えの車が来るの?」
「いや、自分の車で来た」

彼はあたしの差し出したスーツの上着を受け取ると、そのまま玄関に向かう。あたしと進は並んでその背についていった。
「お邪魔しました」
「類さん、今日はありがとう。また来てね」
「またね」
ここで進は何を思ったのか、あたしに向き直ってこう言った。
「姉ちゃん、下まで見送ってきたら?」
「…あっ、そうだね」
あたしは玄関に置いていたつっかけを履いて、花沢類の後に続いて外階段を降りた。

もう5月になるとはいえ、春の夜風はひんやりとしていてまだ肌寒かった。
「今日はありがと。…こんなんで、リフレッシュになったのかな」
「充分。話せて楽しかったし」
花沢類は車の傍までくると、立ち止まってあたしに問うた。
「また逢いに来ていい?」
「もちろんいいよ」
あたしの答えは淀みない。
「でも今度来るときは先に言ってね。それに手土産とか、気を遣わないでいいから」
「…それなら、今度は招待してくれる?」

あたしはポンッと手を打つ。
「それいいね。今度はこっちが招待するから」
「ん、約束」
差し出された彼の右手の小指に、あたしは躊躇いなく自分の小指を絡めた。ぎゅっと握り合って離そうとした指をなかなか離してもらえなくて、あたしは不思議そうに彼を見上げた。
「…花沢類?」
「あ、ごめん」
あたしの目線に気付くと、彼はさっと手を引っ込めた。


「あのさ、牧野」
花沢類は車体に凭れかかると、あたしに向かってこう言った。
「そろそろさ、呼び名変えない?」
「え?」
「そのフルネーム呼び」
あたしは首を傾げる。
「気になる?」
「気になるって言うより…」
彼は笑って、
「下の名前で呼ばれてみたい」
「…はぁっ?」
―また急に何を言い出すんだか…。

あたしが妙な声を出したのに吹き出しつつ、
「いいじゃん、長い付き合いだし」
花沢類は悪戯っ子のような表情を浮かべて、あたしの顔を覗き込んでくる。
そして、ねだる。
「ね、呼んでみて」
だって、彼を下の名で呼ぶのは彼の家族と幼馴染みだけだ。
知り合って4年ほどになるが、親しい友と呼ぶには立場的におこがましいような気もして、あたしはそれを躊躇する。でも、本人がそう強く希望するなら…。

「…ぃ…」
「ん?」
あたしは思い切って彼の名を呼ぶ。初めて、下の名だけで。
「類ッ!」
にこっと嬉しそうに微笑んだ彼の笑顔に、また心が掻き乱される。
―ホント、あたし、この顔にどんだけ弱いの?
あたしはきっと赤い顔をしていただろう。でも宵闇はそれを誤魔化してくれたはず。
「おやすみ、牧野」
「おやすみ…類」
彼が運転する車は、あたしがアパートの外階段の上に戻るのを確認してからゆっくりと走り去った。



部屋に戻ると、進が洗い物をしてくれていた。3人分の皿はさほど多くはなく、進はほとんどを洗い終えていた。あたしは乾いた布巾で、皿を拭き上げていく。
「…類さんってさ」
洗った最後の皿をこちらに手渡してくれながら、進が唐突に訊ねる。
「類さんって、姉ちゃんが好きなんじゃない?」
「…はぁ?」
あたしは進の言葉に体を強張らせた。

「…俺が買い物でいない間、姉ちゃんと類さん、寄り添ってたじゃん」
「あっ、あれは違うよっ。花沢類が疲れてるみたいだったから、肩を揉んであげようとしたら、頭の方がいいって言うから…」
「疲れてるのになんでうちに来るの? …姉ちゃんに会いに来るの?」
「それは…」
あたしはさっきの彼の言葉を思い出す。
―下の名前で呼んでほしいって……どうして?

「あたしには愚痴を言いやすいだけじゃない? 花沢類は立場的にそういうのできない人だし…」
「…でもさぁ」
「もうよして」
さらに言い募ろうとする進に皿を拭いていた布巾を押し付けて、あたしは自分の部屋に戻ろうとした。これ以上、この話を突き詰めたくなかった。
「…俺は、いいと思うよ」
「よくない」
あたしは即座にそう返していた。
「なんで」
「だって…」
声が被る。あたしはその先が言えない。

―道明寺。

「…あたし…」

―まだ、彼が、忘れられない。



つい先頃、道明寺はくだんの令嬢と結婚した。婚約発表から半年、4月初旬の吉日に、彼は真実、あたしの手の届かない人になった。
F3は何も言わなかったし、連絡もよこさなかったけれど、アメリカで行われた挙式には彼らも参列したのだろう。祝賀のニュースは目や耳を塞いでいても、否応なしにあたしの頭に侵食してきた。
あたしは彼を失った悲しみにまた溺れそうになり、それを振り切りたくて目の前の勉強やバイトに必死に打ちこんだ。

花沢類に今日再会できて、あたしがホッとしたのは事実だ。
彼と一緒にいるだけで、誰にも打ち明けられない苦しみが癒されるような気がした。
でも、それは友情が為せるわざであるはずだ。
彼は、あたしのソウルメイトなんだから…。


「…ごめん、姉ちゃん」
無言で立ち尽くしたあたしの背に、進が謝罪の言葉をかける。
「俺が無神経だった…。本当に、ごめん」
あたしは首を振る。
進が悪いわけじゃない。…そして、あたしも。
「お風呂、先に入るね」
頬に伝う温かいものを自覚した瞬間、あたしは進を振り返らずに暗いままの自分の部屋に飛び込んだ。
引き戸を閉め、その戸を背にしたまま、ぐいっと手の甲で涙を拭う。

―道明寺。
―いまはまだ思い出したくない。ごめん。
―あんたを想うと、すごく苦しくなるの。…だから、ごめん。


不意に、花沢類の陽だまりのような笑顔が浮かぶ。彼の優しさがじんわりとあたしの胸に染み入って、でもそれを恋心だ何だと断じてしまえば、いつか道明寺のように失ってしまうような気がする。
彼とは、友達がいい。
友達としてなら、いつまでもずっと繋がっていられる…。




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