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視線 ~78~

Category*『視線』~完~
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「類はここに。彼女と二人で話がしたい」
「……はい」

父に牧野を連れ出されてしまうと、部屋に母と二人きりになった。
顔合わせの場にシエナを指定された時点で、俺達のことを反対されることはないだろうと確信していた。それでも不安は尽きない。


茶器を片付ける母から、今後の予定を聞く。
夕食を一緒に、と考えていたが、先ほど商談の予定が入ったらしい。
二人が戻ってきたら、両親はすぐミラノに発つとのことだった。
俺達にはシエナ中心街のホテルを予約しておいたから、と説明される。

俺達も明日には帰国する。
牧野は受験生の身。俺も課題が山積みだ。
そろそろ日常生活に戻らないと、この非日常に心を囚われてしまう気がした。
手を伸ばせば触れる温もりを、お互いに手離せなくなる。




…時間が経たない。

壁時計を何度見上げても、時計の針は思うように進まない。
苛々と落ち着かない様子の俺を、母は穏やかな口調で宥めた。

「そんなに心配しないで。圭悟さんはただ、牧野さんと話がしてみたいだけだから」
「…わざわざ二人きりでなくてもよくない? 牧野にはプレッシャーだろ」
「あの人、ああ見えてシャイなところがあるの。胸の内を明かすのに、類に聞かれたくなかったのかもしれないわ」

…誰が内気だって?

母の言葉の意外性に、俺は眉を顰めた。
俺の顔を見た母は、クスクスと小さく笑う。
彼女はただただ現況を楽観していて、反論をする気も失せて溜息がこぼれる。


「そう言えば…ひとつ、気になっていることがあるの」
「…何?」
「あなた、いつまで牧野さんのことを苗字で呼ぶの?」
「………」

母に尤もな指摘をされて、思わず言葉に詰まる。
俺にとって、“まきの”の三文字はスタンダードだったから。

「好きな人に名前を呼ばれるのは特別なことよ」

続けて発せられた母の言葉に、そうだね、と同意を返した。
彼女が照れながら俺の名を呼んでくれた日のことを、俺は鮮明に憶えている。




結局、二人が戻ってきたのは、足元が見えなくなるほど暗くなってから。
先ほどとは明らかに違う二人の温かな雰囲気に、なんとなく不快な気持ちになる。
…俺を抜きに、勝手に仲良くなんてしないでほしい。

でも、電灯の下で牧野を見れば、その目元は赤く潤んでいて。
どんな理由にせよ、彼女が泣いていたことは明らかだった。

俺の視線に気づいた牧野が、先んじて両親に礼を述べた。
その行動によって彼女に父を庇われた気がして、どうにも気に食わない。



別れを惜しむように牧野と母が口早に言葉を交わす間に、父に話しかけられた。

「牧野さんとは、春に日本で会う約束をした」
「3月に?」
「花見でもしながら、お前の誕生日を一緒に祝おうと提案されたよ」
「…やめてよ。もう家族で祝うような歳じゃないから」

父が微笑う。
その穏やかさに絆されて、俺も自然と笑顔になる。


父とこんなふうに笑い合うのはいつ以来のことだろう。
離れて暮らす期間が長くなればなるほど、再会の時、両親にどう接したらいいのか分からなくなっていった。問題なくやれていることを示すために、平静を装い、感情を隠すのが普通になって―。


…それに祝うなら、牧野と二人きりの方が嬉しいな。
俺の思考を読むように父は言った。

「先行きは明るいが、道のりは長い。…節度は守るようにな」
「はい」

言われなくても分かっているけど、改めて釘を刺されると留意しようと思う。
考えてみれば、俺達はやっと親公認の恋人同士になれたわけで。
心のつかえが取れた今、気持ちが盛り上がらないはずがなかったから。




シエナに立ち寄ったのは遥か昔のこと。ホテルはカンポ広場の近くにあり、赤褐色のレンガ調の外観はこの地域特有の造りだ。創業は1960年と古いが、近年の改装で整備し直されており、ホテル内は快適そのもの。

海外旅行は初めてという牧野は、見るものすべてが珍しいらしく、頬を上気させながら俺の隣を歩く。父との対面を果たし、おそらくは最高の形でそれを終えた今、彼女の表情は輝かんばかりに明るかった。


通された部屋は、リビングルームとベッドルームが同室にあるジュニアスイート。
ブラウンとオフホワイトの落ち着いた色調で纏められた寛ぎの空間に、彼女は言葉も出ないほど驚いていた。
…それでも一番驚いていたのはシャワールームに、かな。

「な、な、なんで、お風呂の壁が透明なのっ!?」

シャワールームの壁がクリアガラスなのは、外国ではよくある構造だと思う。
空間を広々と見せるためとか、開放感を求めるためとか…。
さして疑問にも思わない俺に、牧野は真っ赤な顔をして先制する。

「…見ないでよ」
「ん」

…これだけオープンなら、見ない方が無理だと思う。
それに、もう隠す必要のある間柄じゃないし。
そう思ったけど、牧野の心の安寧のためにとりあえず今は頷いておく。




1階のリストランテで夕食を楽しむことにする。
本場のトスカーナ料理は、日本で食べるイタリア料理とは食材が異なる。
生ハムとサルシッチャを乗せたポレンタ、シエナ発祥のパスタと言われるピチ、牛肉を煮込んだスペッツァティーノなど…。

牧野が好みそうな料理を適当にチョイスして注文する。
やがてテーブルを埋めつくすように並べられた皿に、彼女は大きな目を丸くした。
こんなに食べられないよ、などと言うけれど、彼女の許容量を俺はちゃんと分かっているつもりだ。


俺達はよく食べ、よく喋り、よく笑った。
普段イタリアンはあまり食べない俺も、美味しそうに食べる牧野につられた。
予想通り、食後のジェラートまでしっかり胃袋に収めて、彼女は満足そうに笑う。

明日は、カンポ広場の南側に位置するマンジャの塔と近隣のシエナ大聖堂だけ観光し、日本に向けて出発することに決める。残りの滞在は15時間というところか。



部屋に戻ると、バルコニーに出て星空を眺めた。
中心街まで戻ってしまうと、やはり光害で星は見えにくくなる。
それでも、東京で見るよりはずっとたくさんの星が見えた。

夜風は温いが、それなりに冷涼感がある。
腕の中に牧野を抱き込み、飽くことなく二人で夜空を眺めていた。






いつも拍手をありがとうございます。
つくしを介することで、類と圭悟の関係も変化してきました。
自分の気持ちをちゃんと伝えるって、家族であっても難しいことがありますよね。
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