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視線 ~79~

Category*『視線』~完~
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ふと会話が途切れた折、俺に背を預けていた彼女がポツリと言った。

「あのね、類…」
「ん?」
「豊橋に戻ったら……しばらく会わないでおこうと思うの」

なんとなく、そう言い出されるような気はしていた。
生真面目な彼女らしい決心を聞く。

「勉強に専念するため?」
「うん…」

牧野の頭がこくりと揺れる。



「あたしね、類と一緒にいられてすっごく幸せ。これ以上はないってくらいに。……だけど、今はまだ、この幸せに浸ってていい時期じゃないよね。心配事がクリアになったからこそ、集中して頑張らないといけない時が来たんだと思う」
「…言いたいことはよく分かるよ」

柔らかな体を抱く腕に力がこもる。
その腕に彼女の腕が重ねられる。

「俺もそうだから。…幸せすぎて、あんたのこと以外、考えられなくなる」



彼女の視界に入るすべてを独占していたい、とか。
日がな一日、ベッドで抱き合っていたい、とか。
埒もない煩悩が脳内を埋め尽くして、他の事を考えられなくする。

俺も分かってる。
今はまだその時期じゃないってこと。



「…いいよ。帰国したら、それぞれで頑張ろう」
「うん…」
「だから、タイムリミットまではこの非日常を楽しもうよ」
「うん。…えっ」

その返事を聞くや否や、俺は後ろから牧野の膝裏を折り、彼女を横抱きにした。
小さな悲鳴が上がる。
抱き上げてキスをすると、その唇からはジェラートのバニラが仄かに香った。

「相変わらず軽いね」
「る、類っ? な、ななな、なに!?」

牧野は真っ赤になり、慌てふためいている。
そのままバルコニーからシャワールームへ直行する。
相手の動揺はより大きくなる。


「一緒に入ろ」
「えぇっ!? む、無理っ!」
「非日常を楽しもうって言ったよね? バブルバスにしよっか」
「…非日常って、こういうことじゃなくて……りょ、旅行のことだと…」
「恥ずかしいのは最初だけだよ。慣れるから」
「…どうしても?」
「是が非でも」

押し問答に要したのはわずかな時間。
ね? お願い、と最後は微笑んで、牧野を口説き落とす。



ライトダウンさせたシャワールーム。
バスタブには温めの湯を張り、これでもかというほど白い泡を満たした。
牧野は小さな子供みたいにはしゃぎ、両手で泡を掬ってはそれを吹いて飛ばす。
俺達は遊びの延長のようなやり取りに終始し、じゃれ合いながらキスをし、優しく互いの体に触れた。




牧野と過ごす三度目の夜。
初めての夜とも、昨夜とも違う、新たな気持ちで迎える今夜。

守れと言われた節度を見失ってしまいそうな予感に慄く。
抱けば抱くほどに愛おしさが増すのなら、どこで折り合いをつければいいんだろう。


腕の中の彼女は、言い表しようがないほど可愛くて。
美しい漆黒の瞳に、自分だけが映っていることが嬉しくて。
溺れるとはまさしくこのような状態をいうのだと、今更ながらに実感した。


甘やかな吐息の合間、何度も名を呼ばれる。
それに応えるように、俺も彼女の名を呼んでいた―。




求め合った後の穏やかな時間の中で、嬉しそうに彼女が言った。
初めて下の名前で呼んでくれたね、と。
そんなに喜んでもらえるなら、早くそうすればよかった。
つくしは微笑んだまま眠りに落ちてゆき、俺もそれに続くように目を閉じた。





翌朝のシエナの空も美しく晴れた。
朝から元気な彼女に引っ張られながら、1階のリストランテに向かう。
俺達は外のテラスに設置されたテーブルに通された。
彼女は軽めの朝食を、俺は珈琲だけ頼んで、まだ涼やかな夏の朝を満喫する。


ホテルをチェックアウトすると、その足で近くのマンジャの塔に向かった。
入口の前にはすでに長蛇の列ができており、並んで順番を待つ。
塔の高さは避雷針を含めて102m。
幅の狭い階段を上りきる。展望フロアからの景色は素晴らしかった。

塔の真下に扇状に広がるカンポ広場は、イタリアでも有数の名所だ。
夏季に二度、パリオという伝統的な祭りが行われる。
メインは、コントラーダと呼ばれる17の地区同士による対抗競馬レース。
その2回目の開催が迫っており、街は陽気な雰囲気と熱気に満ちている。

世界遺産に登録されているシエナ歴史地区。
その中心を飾る大聖堂が見える。
周りを埋め尽くすのは茶褐色の家屋で、中世の町並みをそのままに残す。
そして市街地に広がる田園風景―。

つくしは目を輝かせ、美しい眺望に見入っていた。


シエナ大聖堂は、美しく荘厳なゴシック様式のファザード(建造物の正面部分) を有する。内外共に大理石が使用されており、横縞の紋様が非常に特徴的だ。
観光客がごった返す中、二人で手を繋いで身廊を進み、続けて洗礼堂を見る。
技巧の限りを尽くされた建造物の歴史に、つくしは感心しきりだった。



短い観光を終える頃、母が手配してくれた迎えの車が来た。
俺達はシエナの街に別れを告げ、ローマのフィウミチーノ空港を目指す。
帰りの行程も行きと同じだ。

「楽しかったね」

俺がそう言えば、つくしも笑った。

「すごく楽しかった。忘れられない思い出になるよ」
「なんか新婚旅行みたいだったね」

続けてそう言えば、彼女は頬を染めた。
たぶん、つくしもそう思っていたんだろう。



フィウミチーノ空港を発ったのは15:30。
夕食を終える頃には、どうにも眠くてたまらなくなってきた。
まだ起きているというつくしに、何かあれば起こしてほしいと断り、俺は先に眠りについた。意識は沈み込み、夢も見ずに深く眠った。


次に目を覚ました時、飛行機は日本海上空を飛んでいた。
あと2時間もすれば成田に到着するという。
つくしは先に目覚めていて、黙々と勉強をしていた。
何か頼む?と訊かれてぼんやりしたまま頷くと、つくしは客室乗務員に温かい珈琲をオーダーしてくれた。


成田空港には馬場が迎えに来てくれていた。
そのまま東京駅に向かい、新幹線のホームでつくしを見送る。

別れの瞬間はひどく離れがたくて、どちらかと言えば俺の方が悲愴感たっぷりで。
人目を憚らずに彼女をハグすると、猛烈な抵抗に遭った。
ホームで注目される思い出は一つだけでいい、と赤くなるつくしが愛しかった。



東京からローマ、そしてシエナへ。
空路及び陸路を合わせれば、往復20,000kmを超える旅。
すべての旅程を終え、俺達はそれぞれの日常へと戻っていった。






いつも拍手をありがとうございます。
第79話の文中から、つくしの呼称が変化しています。
類の『牧野』呼びが好きなんですけどね。そろそろ限界かな、と。
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2 Comments

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2019/12/17 (Tue) 09:22 | REPLY |   
nainai

nainai  

み様

こんばんは。コメントありがとうございます(*'▽')

長編には必ず類パパを登場させているのですが、今作では、厳しい一面を持ちつつも苦悩する、とても人間味溢れる父親の姿を描いてみました。圭悟が素直に心情を吐露できたのは、つくしの懸命さに引っ張られたせいかもしれませんね。実りある対話に仕上がって良かったなぁと思います。

双方の呼称をどのタイミングで変えるのか、いつも悩んでいます。原作のイメージが強いので、脳内では『花沢類』&『牧野』がスタンダードなんですよね…。今回はこんな感じでした(;^_^A

最終話が見えてきました。二人の未来を丁寧に綴っていきたいと思います。よろしくお付き合いください。

2019/12/17 (Tue) 23:01 | REPLY |   

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