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視線 ~86~

Category*『視線』~完~
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温かく、心地よい夢の中にいた。
それが夢だと分かるのは、私達がいるのが東京の花沢邸の庭内だったから。

類と私の間に立ち、それぞれの手を繋いでいるのは小さな男の子。
まだ頼りない足取り。靴は真新しく、可愛らしい。
類と息を合わせて、その手を優しく引き上げる。
自分の背丈ほどの大ジャンプに、男の子は笑い声を上げた。


やがて歩き疲れたのか、男の子は私に両手を伸ばし、抱っこをせがんだ。抱きしめるとお日様の匂いがして、触れ合わせた頬の柔らかさに愛おしさが募った。

「………」

愛する我が子の名を呼ぶ。
でも、何と呼びかけているのか、どうしても分からない―。




「…つくし…」

遠くの方から類の声がした。
彼の手が私の頬に触れているのが分かる。

「つくし、起きて。そろそろ着陸するよ」
「…ん…」

なかなか意識を浮上させられない私に、類がもう一度優しく声を掛ける。
ゆっくりと開けた視界に、彼の姿があった。
美しい薄茶の瞳がわずかに翳って、心配そうに私を覗き込んでいる。

ゆったりとしたリクライニングシート、機体が風を切る音、そしてわずかな振動。
ここが機内であることにやっと思い至り、私は腕時計に目を落とした。
温かなブランケットが重ね掛けされ、体が冷えぬようにと配慮されていた。


「おはよう…」
「よく眠ってた。体調は?」
「大丈夫。ありがとう」
「ずっと笑顔だったよ。どんな夢を見ていたの?」
「えーと……ちょっと先の未来、かな?」

私の表情を見て体調に変化がないことに安堵したのか、やっと類も笑顔になる。
隣に控えていた女性に類が目配せすると、彼女は微笑みながら私に近づいてきた。
フランス語で話しかけられる。

『奥様、お加減はいかがですか? 少し診察させてくださいね』
『はい。お願いします』



この飛行機が向かっているのは羽田空港。
機体はすでに降下を始めていて、あと30分ほどで着陸する。



*****



フランスでの類の任期は、今年いっぱいの予定だった。
それを繰り上げ、今秋、帰国することになったのには理由がある。
渡仏して6年目の春、私が第一子となる男の子を妊娠したからだ。
現在31週に入ったばかり。予定日は12月22日だ。


世間一般に比べ、私達は結婚が早かった。
だけど、しばらくは夫婦二人の生活を楽しみたい、それぞれ自分の仕事を頑張りたいという気持ちが強く、早期の妊娠を望まなかった。

パリでの暮らしに私が馴染むのは早かった。
花沢邸には、類のご両親や日本からついてきてくれた松川さんも住んでいたし、邸内で働く人も皆、親切で気立てのいい人達だった。


フランスには親日家が多く、類のご両親が懇意にされているブロス一家の皆さんもそうだった。一人娘のレナ・ブロスとは年が近いこともあり、すぐに仲良くなった。
レナは英徳大学に1年間留学していた時期があり、類の紹介で知り合い、親交を持った。彼女は日本語が堪能で、日本文化への理解も深かった。
私がパリに移住してからも、公私に亘って仲良くさせてもらっている。


私はインターンシップ研修で学んだことを活かし、CSR活動に携わる希和子さんの補佐につく形で花沢物産での仕事を始めた。軌道に乗ってくると、この仕事に対し、強いやりがいを感じるようになった。
類は圭悟さんの指示の下、視察や商談のために欧州圏を飛び回っている。
出張続きで大変そうだけれど、類は類で、成果に手応えを感じているようだ。



休みになると、類といろいろな場所に出かけた。
星空が綺麗な、パリ郊外のログハウス。
美しいセーヌ川の畔にある別荘地。
地中海を一望する、ニースのシーサイドホテル。
そして、年に一度の長い休暇の折は、必ず日本に帰った。


類の父方の祖母にあたる、花沢美麗さんに会いに行ったのもこの時期だった。
彼女は私達を温かく出迎えてくれ、一刻の訪問をとても喜んでくれた。
美麗さんはスイスに永住権があり、今後も日本に帰国するつもりはないという。


またフランス中部の都市、リヨンに住む静さんにも会いに行った。
彼女は若き日の夢を叶え、弁護士になった。同業者のパートナーと結婚し、夫婦でリヨン市内に弁護士事務所を構えている。
髪を短く切り、ラフな服装に身を包む彼女はやっぱり素敵だった。だけど、高校生の頃に感じていた強い憧れは薄れ、私達が共有するのは懐かしさと親しみだけだった。



類との結婚生活は、穏やかな愛情と労りに満ちた幸せな日々だった。夫婦の絆が深まり、同世代から出産報告を受けることが増えるうちに、私達の意識も徐々に子供のことへと向かっていった。
そうしたことには、タイミングがあるのだと思う。
子供を望むようになって間もなく、私のお腹には小さな命が宿った。
妊娠を報告したときの類の嬉しそうな顔は、一生忘れられないだろう。


当初、出産はパリで行うつもりでいた。
それでも、慣れてきたとは言え、異国の地での出産と育児には不安も強いだろうからと、私達が帰国できるように類のご両親が配慮してくださった。
そうして、今に至る。



*****



『血圧も脈拍も正常です。お腹の張りもありませんね。赤ちゃんも元気に動いています。足には少しむくみが出ていますが、痛みは感じませんか?』
『大丈夫です』

女性はフランス人の産科医で、機内での不測の事態に備えて同行してもらっている。類は帰国のためにチャーター機を手配するつもりでいたけれど、それにかかる膨大な費用を考えると私は賛成をしかねた。その譲歩案がフライトに産科医を同行させることだった。
経過は順調で、不安視していた長距離移動も無事に終えられそうだ。



産科医の女性とは空港で別れ、私達は迎えの車に乗り、そのまま花沢邸へ戻った。
細やかに配慮してもらいながらも、長時間の移動はやっぱり負担だったらしく、邸に到着する頃にはすっかり疲れ切ってしまっていた。

夫婦の部屋として、類の自室である洋室を使うことにしている。
寝心地のよいベッドに横になると、ほぅっとため息が出た。
類はベッドサイドに腰かけ、大きな手で私の髪を優しく撫でる。

「大丈夫? お腹張ってない?」
「うん。移動で疲れただけ」
「赤ちゃんの様子は?」
「今は眠ってるみたい。さっきまですごく元気だったよ」

明日の朝は、出産でお世話になる病院を受診することになっている。
類は検診に付き添った後、そのまま本社に出勤するという。



夜、早めに寝支度を整えてベッドに入ると、類はいつものように後ろから私を抱き寄せ、ふっくらとふくらんだお腹を撫でた。途端にぐにゅりとお腹が揺れる。

「あ、動いた」
「パパが触れたのが分かったのかな」
「すごい元気だね。安心するよ」

妊娠が分かって以降、類はとても心配症になった。
私以上に、私の体調変化を敏感に察し、大切に守ってくれている。



「ねぇ、どんな夢だったの?」
「ん?」
「飛行機で眠ってた時。つくし、とても幸せそうだった」

私は、今朝の夢の内容を彼に伝えた。
少し先の未来予想図。
類は小さく笑い、こう言った。

「逆に、俺は昔の夢を見たよ」
「いつの?」
「高校時代。つくしは英徳の制服を着てた」
「わぁ…懐かしい夢だね」

私達が出会って、もう11年になる。
それだけの時間を一緒に過ごしてきたんだと思うと感慨深い。


「あんたは変わらないね。あの頃と」
「あれ? 成長してない?」
「純朴で、真っ直ぐで、しなやかで」
「…もう。そういうのは照れるからやめてよ」
「俺、生まれてくる子にはつくしのそうした部分を受け継いでほしい。俺みたいにひねた性格じゃなく、子供らしく伸びやかに」

体ごと反転して後ろに向くと、類と目が合った。
ビー玉のように透明な瞳。
私は、ずっと、その瞳に恋をしてきた。


「類も変わらないよ」
「…そう?」
「私は、赤ちゃんには類の優しさと強さを受け継いでほしい。…だって、私は、ずっと類に守られてきたから。すごく、すごく、幸せだから」

照れるね、と彼が言う。
ほらね、そうでしょう?と、私も言う。
私達は笑い合い、おやすみのキスをした。






いつも拍手をありがとうございます。
冒頭は第85話のフライトの続きと思わせつつ、実は5年半も経過させておりました。驚かれましたか? つくしは28歳目前の27歳、第一子を妊娠し、類とともに帰国しました。いよいよラストエピソードです。
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2 Comments

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2019/12/26 (Thu) 12:20 | REPLY |   
nainai

nainai  

ふ様

二度目のこんばんはです(*'▽') いつもありがとうございます♪

年若く結婚した二人は、ゆったりと夫婦だけの時間を満喫してきました。子供をもつ幸せは格別なものですが、二人きりの時間も大事にしたいという意向でした。きっとね、仕事もバリバリと頑張ったのだと思います。たぶん、類よりもつくしがw 

目に見える光景を文字に起こすのは本当に難しい作業だな、と常々思っています。時々は何も書けない日もあるのです。風の流れであったり、空気の冷たさであったり、そうした臨場感をふ様に丁寧に伝えることができたのであれば、悩んだ時間にも意味があったのだなーと嬉しく思います。

『風になる』ですね。私もあのエピソードが大好きです(*^^)v

2019/12/27 (Fri) 00:27 | REPLY |   

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