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視線 ~87~

Category*『視線』~完~
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つくしに妊娠を告げられた時、俺はかつてないほど気分が高揚するのを感じた。
薄く頬を染めたつくしと抱き合い、胸の奥から湧き上がってくる喜びを共有した。

愛する人と新たな命を育むこと。

至極当たり前のようで決してそうではない、特別な出来事。
二人で望んだ未来をひとつずつ実現できる幸せに、深く深く感謝した。


それは同時に、彼女と、生まれてくる子供を守らなくはいけない、という強い使命感を俺の中に生じさせた。妊娠の経過は良好で、幸い悪阻などの体調不良も少なかったが、俺は彼女の体調変化に敏感になっていった。

周囲の多大なる心配をよそに、つくしはフランス支社での内勤を続けた。
こういう時は女性の方が案外どっしりと構えているもので、事あるごとに心配を口にする俺をつくしが優しく窘める、という構図があっという間に出来上がった。


出産と育児はパリで行うつもりでいた。だが、住み慣れた日本でそうしてはどうかと両親から提案してもらえた時、一も二もなく、それを受け入れた。
つくしの順応性は高く、こちらでの暮らしにもすっかり馴染んでいる。
それでも、時折、遠い日本に住む家族や友人達に会いたがっている様子もあり、その方が彼女のためにいいように思えたからだ。
つくしには逆にうちの両親への遠慮があったようで、提案を受け入れることに少し躊躇いを見せたが、母からのアドバイスを素直に聞き入れ、帰国に同意してくれた。


俺の引継ぎと彼女の仕事納めを日程調整し、安定期を見定めてフライトに臨んだ。
懸念だった長時間の移動は、問題なく終えることができた。
同行してくれた女医は細やかにつくしのケアをしてくれたが、帰国翌日の妊婦検診で母子ともに健康であることが確認できると、俺はやっと安堵の息を吐いた。



帰国して一週間のうちに、花沢邸には多くの来客があったようだ。俺は会社に行っていて会うことは叶わなかったから、毎日つくしから報告を聞くのが楽しみだった。


最初に訪ねてきてくれたのは、宗像の祖父と佐和子伯母だった。
祖父と父の不和はすでに解消されている。橋渡しをしたのはつくしだった。

「曾孫の顔が見られるとは、長生きをしてみるのも悪くない」

八十を過ぎても壮健な祖父は目を細め、そのように述べたという。

「希和子から聞いていますよ。あちらでのつくしさんの活躍ぶりは。落ち着いたらぜひ天満月にいらして。スタッフの皆も会いたがっていましたからね」

佐和子さんはそう言って、これから出産に臨むつくしの身を案じ、安産祈願のお守りを手渡してくれた。



次にやってきたのは、あきらを含む美作一家だった。
大学在学中、つくしは、母親の夢乃さんや双子の姉妹とも親交を深めた。
俺の母親と夢乃さんは年が近く、昔から親しい間柄だ。

「お姉様、体調はいかがですか?」
「赤ちゃんは男の子なのですね。お名前はもうお決めになったのですか?」

絵夢と芽夢は、つくしのことを姉のように慕っている。
恋愛結婚をした俺達夫婦に理想を重ねているらしく、二人は事あるごとに、あきらから俺達の話を聞き出しているのだとか。


「しばらく日本にいるんだろ? 類とは来春の新規事業で初めてタッグを組むしな」

本社に配属されたのを機に、俺は新規事業の担当を任されることになった。
共同事業の相手は美作商事で、先方の担当はあきらだというから、早い話がジュニアのお手並み拝見ってところだろう。
あきらは親友であり、ライバルでもある。とにかく気は抜けない。


「創立記念式典には私達もお呼ばれしているの。会場で会いましょうね」

夢乃さんはそう言って微笑み、つくしの体調をあれこれと案じてくれたそうだ。
花沢物産の創立50周年記念式典は来週末に予定されている。
招待客が多く、規模の大きい催しになるので、会場にはメープルホテルが選ばれた。
この式典に合わせて、両親もフランスから帰国してくる。


他にも、松岡さんを始めとした親しい友人達の訪問を受け、つくしは日に日に元気になっていった。そう遠くない範囲で外出も楽しんでいる様子だ。
溌溂とした彼女の笑顔を見ていると、こちらも自然と元気になれる。
やっぱり日本に帰ってきてよかったと思えた。




牧野家の三人については、こちらから花沢邸に招いた。
フランス滞在中に一時帰国した際は、滞在時間の短い俺達のために先方に出向いてもらうようにお願いしていた。今回はつくしが身重だったためだ。
最初は訪問を躊躇していた一家も、この数年でやり取りに慣れ、邸内でもリラックスして過ごす様子が見られた。

つくしのふっくらとしたお腹を撫でる、彼女の両親の目には涙が光った。
子供を望むことは二人の意思で先延ばしにしていたが、結婚6年目での慶事に、彼らの喜びは途方もなく大きなものだった。初孫の誕生を待たせてしまった申し訳なさも同時に感じた。



創立記念式典には牧野家も招待していたが、これについてはきっぱりと固辞された。

「お気持ちだけありがたく頂戴します。僕らにはどうにも馴染みのない話だしねぇ」
「式典だなんて気が動転しそうですもの。慣れないことはしないに限ります!」

進は、そう断言した両親を眺めて小さく笑い、俺達に向き直った。
彼は名古屋の大学を卒業した後、システムエンジニアになり、その地域での就職を選んだ。就職先が、つくしの親友である鈴原諒子さんの交際相手が勤める会社だったというのだから、人の縁とはなかなかに面白い。


「はい。これ、都さんがねーちゃんにって」

進が差し出したのは白い紙袋に包まれたお守り袋。
安産祈願のお守りはこれで三つ目だ。
皆、つくしの無事の出産を祈ってくれている。その気持ちが温かい。

「ありがとう。都さん、元気にしてる?」
「あぁ、相変わらず仕事頑張ってるみたい」
「後で電話しておくね」
「そうしてやって。心配してたから」



つくしと、彼女を取り巻く人々の関係を見ていて思うことがある。
ネットワークを構築することも大切だが、それを維持していくことも大切なのだと。

一通の絵葉書。
一通のメール。
一本の電話。

媒体は何だっていい。
どんなに短くたっていい。

相手のことを想う時間があって、それを行動で示すことが関係の維持に繋がる。
『無沙汰は無事の便り』という言葉があるけれど、やはり便りはあった方が嬉しい。
つくしの交友関係が広く長く続いているのは、そうした努力の成果なのだろう。


「はい。都さんから類さんにも」
「……? 俺に?」

進は、別のお守り袋を俺に差し出す。
中を見てみれば、商売繫盛の文字。
都さんのユニークさに、思わず笑みがこぼれる。

「俺も電話するよ」
「はは。都さん、喜ぶと思います」

こうして、週末の花沢邸はいつもより賑やかな夜になった。




翌朝、また会いに来ると言って、三人は笑顔で帰途についた。
門扉の前で、家族の乗った車を見送るつくしの表情は少し冴えない。

「…寂しい?」
「ちょっとね」

つくしは微笑む。

「お別れの時はどうしても寂しくなっちゃう。…でも平気だよ。次に会う楽しみができたって思えばいいから」

彼女は俺に手を差し出す。
小さな手を取ると、俺よりも高い体温を感じた。


「散歩しない? 運動不足で体重増えたら先生に怒られるから」
「いいよ。今日は天気もいいしね」
「午後からは仕事?」
「ん。でも早めに帰るから」

つくしのゆったりとした足取りに歩調を合わせながら、家の周囲を歩く。
秋の空は高く、鳥の羽のような薄雲が浮かんでいる。

そう遠くない未来に、俺達の間を子供が歩き、三人で散歩をする日が来る。
いろいろな世界を見せてあげたい。
いろいろな可能性を示してあげたい。
たくさんの愛情を注ぎながら、つくしと共にその成長を見守りたいと思う。






いつも拍手をありがとうございます。
二人の間には穏やかな時間が流れていきます。
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