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視線 ~番外編~

Category*『視線』~完~
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予定していたランチミーティングが、先方の都合で急遽キャンセルになった。
その旨を秘書から告げられたとき、私は咄嗟に訊き返していた。
1時間、自由時間を確保できるか、と。

有能な秘書は私の意図を察し、笑顔で請け合って外出の手筈を整えてくれた。
エントランスに待機させた車に乗り込み、私は運転手に行先を告げる。



パリはすでに厳冬下。
Xmasのイルミネーションが街を美しく飾る。

新たな年を迎える準備も着々と進む。
今年も残すところ、あと10日だ。



総合病院の最上階フロアにある特別室。
姿を見せた私に、警備担当の者が恭しく一礼をした。
ドアをノックすると、室内から世話係の松川が顔を覗かせた。

「まぁ、圭悟様! このようなお時間に珍しいですね」
「ミーティングが急遽キャンセルになってね。つくしさんの体調は?」
「徐々に良くなられまして、今は昼食をお召し上がりです」

見舞うには不適切な時間であることを申し訳なく思いつつ、松川の指示で消毒を済ませて入室すると、つくしさんはパンを頬張っているところだった。
私の姿を認めて目を見開き、慌てて食事用のプレートを片付けようとするので、構わないでほしいとジェスチャーする。


「食事中に申し訳ない。時間が空いたので寄らせてもらったよ」
「わざわざありがとうございます。お義父さん」
「体調はいかがですか?」
「ご心配をおかけしましたが、日に日に良くなっています。…今は眠っていますが、どうぞ顔を見てあげてください」

つくしさんに促され、私はベッドサイドに置かれたベビーベッドを覗き込んだ。
小さなベッドの中には、3日前に生まれたばかりの赤ん坊がすやすやと眠っている。


類とつくしさんの子供は、二人目も男の子だった。
その寝顔は愛らしくも涼やかで、どことなく類の顔立ちを連想させる。
明日5歳になる玲央れおとは、よく似た兄弟になるだろう。


「改めて出産おめでとう。すぐに見舞えず申し訳なかったね。当日も病院には来たんだが、時間が遅くてこの子をガラス越しに見ることしかできなかった」
「いえ、いいんです。産後は体調が思わしくなくて、私も横になってばかりいましたから。今日こうして来ていただけて嬉しいです」

化粧をしていないせいか、つくしさんの表情はとてもあどけない。
屈託のない笑顔は、初めて会った日の17歳の彼女を私に思い出させた。


出産に立ち会った類の話によると、つくしさんは分娩時の出血が想定より多かったため、貧血の症状が強いという。実際、彼女の顔はまだ蒼白く、継続した治療が必要であることを窺わせた。
フランスでは産後4日間程度の入院が一般的だが、類は念のため1週間、病院で経過を見てもらうことにしたようだ。彼女を疲れさせないようにするため、家族以外は面会謝絶になっている。


「名前は、こうに決めたそうだね」
「はい。この子の顔を見て、類さんと二人で決めました」
「…いい名だ」
「ありがとうございます。そう仰っていただけて嬉しいです」

―この子の未来が、希望に満ちたものでありますように。

そうした願いが命名に込められている。
小さな指をきゅっと丸め、もぐもぐ口を動かす洸の様子に、思わず笑みがこぼれた。



「お義父さん、洸を抱いてくださいませんか?」
「え?」
「この子にお義父さんの英知が備わりますように。ぜひお願いします」

つくしさんは私の返事を聞かぬままベッドを下り、真っ白なおくるみごと洸を優しく抱き上げた。せっかく眠っているものを起こしてしまわないかと案じたが、赤ん坊は小さなあくびをひとつして、また寝入ってしまう。

「大丈夫です。類さんに似たのか、よく寝る子で…。でも起きた時はビックリするくらい大きな声で泣くんですよ」



ソファに腰かけ、恐る恐る、洸を受け取る。玲央は日本で生まれたのですぐには会いに行けず、小さな彼を抱く機会には恵まれなかった。

腕の中のぬくもりはあまりに小さく、無垢で、頼りない。
深く抱き込むと、乳児特有の甘い匂いがふんわりと立ち上る。
自分に備わる庇護欲が、急速に高められていくのが分かった。

この命を護りたい。
これからこの子が経験するだろう多くの苦難を、先んじて取り除いてやりたい。

そんな思いに駆られる。
それは我が子である類に対して抱いたものよりも、遥かに強い情動のように思えた。



ふと、日本にいるつくしさんのご家族のことを思う。
ご両親は今でも豊橋で暮らしている。退職しても二人の暮らしに不便がないようにと、つくしさんが平屋の戸建てをプレゼントしたのは三年前のこと。
バリアフリーを想定した構造は快適で、掃除もしやすいと大いに喜ばれたそうだ。


「つくしさんのご両親も、さぞお喜びになっただろう」
「はい。洸の写真や動画を送ってほしいと、頻繁に催促があります」
「以前のように、こちらにご招待しては?」
「…それが、弟夫婦のところも出産を控えておりまして。義妹のお母様はすでに亡くなられているので、産後の手助けを私の母がすることになっているんです」
「確か、弟さんのところは初産だったね」
「はい。同学年になるので楽しみです」


ベッドサイドに腰かけたままのつくしさんに、松川がそっとストールをかける。
肩を冷やさぬように言う松川に、彼女は淡く笑んで礼を述べた。
誰に対しても丁寧な物腰は、いくつになっても変わらない。




そして、私は、彼女を実の娘のように可愛がるの人のことを思った。
かつて絶縁状態にあった私と彼の間を、難なく取り持ったのがつくしさんだった。

彼女を介すると、物事は思いがけず上手く回ることがある。
まるで魔法か何かにかかったように。
ビジネスの場においても、難しい商談の中で、つくしさんが契約締結への足掛かりを作ってくれたことが何度もあった。


「…宗像のお義父さんは?」
「出産報告をすると、とても喜んでくれました。洸に会うまでは長生きしてみせるって言っています」
「そうか…」
「私や洸の体調が落ち着いたら、一度、帰国しようと思います。私達には元気そうに見せていますが、佐和子伯母様によると、日中に臥せっていることも多いそうなので…」
「あぁ、それがいいだろうね」



80代後半になり、心不全の症状が顕著になった義父。
体調不良が続き、短期入院を繰り返していた時期もある。
今では天満月のオーナー業も引退し、ひっそりと静かな余生を送っている。
つくしさんとは定期的にメッセージをやり取りしているようで、希和子や類よりも、彼女の方が義父の現況には詳しい。





『“すべて世は事もなし”だ。…圭悟君』


帰国したタイミングで病床を見舞った私に、義父はこの一文を口にした。
由来は、イギリス人詩人、ロバート・ブラウニングの『春の朝』。
その一節の和訳だ。

顔に深い皴を刻みながら向けてくれた笑みを、私はこの先も忘れることはないだろう。落ち窪んだ目に宿る光は、ただ穏やかだった。

その言葉を“世の中は平穏無事だ”という直訳で捉えるべきではない気がした。
生も死も必定。死ぬときは死ぬのだから動じてくれるな、と。
それでこそ宗像周である、と私は解釈した。



いかなる時も、無私の心で、私達を支えてくれた義父。
亡くなった私の父とは、違う信念を胸に生きてきた彼。

若い時分にはその言に素直に従えず、反発してしまうことがあった。
義父の言葉は確かに正しいが、時として正論は優先されない。
机上論は要らない、と突っぱねたこともある。
だが、つくしさんが架け橋となり、私達をこうして結び付けてくれた。

義父とのことだけではない。
彼女は、私と類の関係も、とても穏やかなものに変えてくれた。
つくしさんは人と人の繋がりを再構築できる、稀有な力の持ち主なのだと思う。





ふいに腕の中で洸が泣き出した。
回想から一気に引き戻される。

泣き声は驚くほどの声量で、洸は必死に自分の欲求を訴えている。
顔を真っ赤にして泣く様さえ愛おしい。
そろそろ授乳の時間でしょう、と松川が言い、私は頷いた。

「つくしさん、お願いします」
「はい」

私はつくしさんに洸を抱きとらせると、そのままいとまを告げた。

「貴重な時間をありがとう。もう仕事に戻ります」
「いえ、こちらこそ。お義父さんの顔を見たら元気が出ました」
「あなたと洸の帰りを皆で待っています。しっかり養生してください」
「はい!」

元気を分けてもらったのは、むしろ、こちらの方だ。
彼女と笑顔を交わし合い、私は病室を後にした。





迎えの者が待つ駐車場へと足を向ける。
エントランスまで車を呼ばなかったのは、少し歩きたい気分だったからだ。

途中、雪が降り始めたのが分かった。
頬に触れる外気は刺すように冷たいが、心はただただ温かい。




つくしさんと洸が退院してきたら、自宅でささやかな祝賀会を開こう。
邸の者は皆、二人の帰りを心待ちにしている。
希和子の仕事のスケジュールを調整しておく必要があるだろう。

玲央とホームパーティーの企画を考えるのも楽しいかもしれない。
久しぶりに玲央と二重奏をしようか。

だが、出張でばりすぎて、類に怒られることがないようにしなければ。
その匙加減が重要だ。
つくしさんの事となると、彼が狭量なのは相変わらずだから。






妻、希和子を。

息子、類を。
そのパートナーであるつくしさんを。

孫の玲央を。洸を。
さらに生まれてくるかもしれない命を。



この生涯をかけて大切に慈しみ、守り抜いていこう。
それが偉大なる義父からも託された、私の絶対的な使命だと思うのだ。






~Fin~




番外編では、第89話からさらに5年後の世界を、圭悟視点で描きました。
これにて『視線』は完結となります。

長らくの応援、本当にありがとうございました。
明日はあとがきをUPします。
感想などいただければ嬉しいです。
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12 Comments

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2019/12/29 (Sun) 00:52 | REPLY |   

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2019/12/29 (Sun) 07:56 | REPLY |   

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2019/12/29 (Sun) 11:23 | REPLY |   

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2019/12/29 (Sun) 16:47 | REPLY |   

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2019/12/29 (Sun) 17:07 | REPLY |   
nainai

nainai  

み様

こんばんは。コメントありがとうございます(*^-^*)
やっと完結しました~。年内に間に合ってホッとしています。

最後は4年、5年半、5年と時間を飛ばし、成長した二人の姿を少しずつ楽しんでもらいました。飛行機マジックww 読者様は「あれっ?」となるだろうなぁと思いながらのUPでした。
大学編、フランス支社編、本社編…と書こうと思えば繋ぐことはできたと思うのですが、恐ろしく長編になってしまうので、今回は10代の二人にのみ焦点を絞りました(;^_^A

類とつくしは周囲に助けられながら、仕事も子育ても頑張っていくのだろうと思います。そうした明るい未来を示しながら最終話を迎えられて良かったです。
ブログはしばらくお休みしますが、構想は尽きていないので、また新しい話をお届けしたいと思います。再開の折にはぜひご再訪くださいね。

2019/12/29 (Sun) 23:36 | REPLY |   
nainai

nainai  

m.w.様

こんばんは。コメントありがとうございます(*^^)v
やっと完結しました~。

番外編は圭悟視点の物語をお送りしました。話のどこかで類を出したいなぁと思いながらも、ここは欲をかかない方が流れがシンプルだな、と出番は諦めました。
心が温かくなると仰っていただけて、とても嬉しいです。類やつくしだけでなく、周囲の人々の心の変遷も、本編を際立たせる重要なファクターだと思っています。番外編は急遽思いついて書いたのですが、時間がない中、最後に頑張った甲斐がありました。

もう一つのコメントにもお返事しております(*^-^*)

2019/12/29 (Sun) 23:43 | REPLY |   
nainai

nainai  

二様

こんばんは。連日のコメントありがとうございます(*^-^*)
やっと完結しました。番外編も楽しんでいただけたようで何よりです。

圭悟とつくし、割と相性のいい二人です。類が嫌がりそうなのが目に浮かびますよねw 番外編では、圭悟が、義父・周の心情を理解する部分に重きを置いています。『すべて世は事もなし』の一文をどこかで使いたくて、いろいろ試行錯誤しました。

アマ作家の私にとって、文章を書くことはとても根気のいる作業です。仮原稿から最終稿までかなりの手直しをします。学生のように国語辞書はPCの傍に必ず置いていますw 語彙力は頑張れば増やしていけるものなので、これからも精進を続けていこうと思います。

ブログはしばらくお休みしますが、再開の折にはぜひご再訪くださいね。
いよいよ年の瀬です。二様もよいお年をお迎えくださいませ。

2019/12/29 (Sun) 23:52 | REPLY |   
nainai

nainai  

し様

こんばんは。コメントありがとうございます。嬉しいです(*^^)v
前回は、ブログ記念日のときにコメントをいただきましたね。

今作では、10代の恋を描きました。拙さ、脆さ、健気さ…そうした青い部分が愛しいなぁと思いながらの執筆でした。序盤は、類をカッコよく書かないように気を付けていましたw
お金で何でも解決できるわけではないし、まして人の気持ちはどうにもできない、といった部分を表現しようと、四苦八苦しました。自分の限界を知ることで、類もつくしも大きく成長できたかなと思います。

言葉選びについてお褒めいただき嬉しい限りです。辞書は常に傍に置いています。日本語は難しいなぁ~と唸りながら、意味と言葉の韻を大事にしつつ文章を綴っています。これからも精進します!

ブログはしばらくお休みしますが、再開の折にはぜひご再訪くださいね。
いよいよ年の瀬です。し様もよいお年をお迎えくださいませ。

2019/12/29 (Sun) 23:59 | REPLY |   

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2019/12/30 (Mon) 00:22 | REPLY |   
nainai

nainai  

u様

こんばんは。お久しぶりです!
コメントいただけてとても嬉しいです(*^-^*)

u様もいろいろと大変だったのですね。心中お察し致します…。
お話は隙間時間に楽しんでいただけたとのこと。日常の中の潤い…そうしたお声を聞くことができて、ギリギリまで頑張った甲斐があったなぁと思いました。私の書く話はハッピーばかりではありませんが、明るい未来を示しながらの最終話をお届けできてホッとしています。

今作では、10代の恋を描きました。次は20代の二人にしたいなぁと思います。
どうにかこうにか執筆&更新を続けてきたのですが、しばらく私生活が忙しくなるのでブログはお休みします。でも、話を書くことは趣味なので、時間があるときにコツコツ書き溜めていこうと思っています。再開の折にはぜひご再訪くださいね。
仕事&子育てはまだまだ続きます。息抜きも大切にしつつ、お互いに頑張っていきましょうね(*^^)v

2019/12/30 (Mon) 00:26 | REPLY |   
nainai

nainai  

ゆ様

こんばんは(*^-^*) 
やっと完結しました~! 最終話をお届けできてホッとしています。

ゆ様には、折々に、たくさんのコメントをいただきました。
いつも励まされていました。本当にありがとうございます。

番外編は、本編のエピローグの章を書き進めながら、急遽思い立って書いたお話です。類やつくしだけでなく、オリジナルキャラクター達の背景も深めることができたので、書き足して良かったなぁと思いました。
相変わらずの長文書きですが、次こそは短編&中編にトライしてみたいですw

しばらくお休みします。春には戻ってこられることを祈って…。
再開の折には、ご再訪いただけると嬉しいです。

2019/12/30 (Mon) 00:44 | REPLY |   

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