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糸の証 ~2~

Category『糸の証』
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17歳の時に移住し、仙台での暮らしは今年で10年目を迎える。
東北の冬は長く、寒さも厳しい。
だから、新緑の眩しい5月が四季の中で一番好きだ。

海藤弁護士事務所は、仙台駅から徒歩20分の場所に位置する。街の中心を走るメインストリートからは外れ、やや人通りの少ない路地沿いのビルの2階にそれはある。
自宅マンションからは車で約15分。向かいの月極駐車場にマイカーを停め、毎朝8時半に出勤する。




―月曜日の朝。


「おはようございます! 牧野先生」
玄関扉を開けると、笑顔で出迎えてくれたのは事務員の宮川晴美さん。
どんなときも明るく朗らかに。それが彼女のモットーだ。
挨拶を返すと、別の場所からも声が上がった。

「おはようございます。千石堂さんの話、どうでした?」
宮川さんの隣に立つのは、パラリーガルの佐久間愛海まなみさん。
パラリーガルとは、弁護士の監督下で法律に関する業務を行い、弁護士を補助する職業を指す。佐久間さんのキャリアは長く、もう15年以上この仕事を続けているそうだ。弁護士稼業3年目の私よりもずっと経験豊富で、彼女にはいつも助けてもらっている。

「あそこの娘、けっこうな跳ねっ返りでしょ?」
「佐久間さんは、千石なずなさんをご存じなんですか?」
「可愛い顔して補導歴多数。この界隈では有名な子ですよ」
佐久間さんは情報収集能力に長ける。情報元は明かしてはくれないけれど、独自のネットワークを持っている。直属の上司である朝比奈紹子しょうこ弁護士によると、それは彼女が元ヤンでこの一帯の総締めだったからだとか…。真偽は定かでないし、彼女に直接聞いたことはないけれど。


自分の席に荷物を置き、情報を書き込んだ資料を佐久間さんに手渡す。
彼女はそれに素早く目を通し、顔を上げた。
「刑事訴訟にはなりませんね。争点は?」
「なずなさんが相手に虐めを行ったか否か、です。本人はこれを否定していますが、相手側は納得していません。クラスメイトが証人だと…」
「牧野先生の見解では?」

なずなさんとの短いやり取りを思い返す。もしも彼女が、常日頃あのような態度で周囲に接しているとしたら、反感を買うことは必至なのかもしれない。
ただ、その瞳は印象的だった。

―誰も信じない。
敵対心を顕わにした瞳は、どこか寂し気で―。

「…まだ分かりません。本人とほとんど話ができなかったので」
彼女ともう少し話がしてみたい。問題解決のためにはそれが最優先事項だと思えた。だが、自分の問題をまるで他人事のように扱う彼女から、どうすれば本音を聞き出せるだろう。



続けて、朝比奈先生、先輩弁護士の澤田真人まさと先生、パラリーガルのまと遼一さんが出勤してきた。宮川さんが呼びに行くと、奥の所長室から海藤芳成ほうせい先生が姿を見せた。
所員6名が揃うと朝礼を行うのは、この事務所の日課だ。進行中の案件については全員で周知することになっている。
「みなさん、おはようございます。では順次、報告をお願いします」
発言の順番は決まっていて、報告にはできるだけ簡潔な説明を求められている。私はその日、千石社長からの新規の依頼と、抱えている別の案件について進捗状況を報告した。

朝礼後、朝比奈先生と佐久間さんの三人で今後の交渉について話し合いを行い、一旦その場を解散した。佐久間さんはさっそく情報収集にあたってくれると言う。
なずなさんとの面談は、佐久間さんの報告を待ってからということになった。




これまで分かっていることを纏めるとこうだ。


千石堂は老舗の和菓子専門店で創業82年の歴史を持つ。宮城県内に10店舗を構える。千石大典氏はその四代目社長で、彼自身も和菓子職人である。
彼の家族は4人。妻の公佳きみかさん、長女のなずなさん(中3)、長男の大輝だいきくん(3歳)、次男の優大ゆうだいくん(2歳)。ただし、なずなさんは公佳さんの実子ではない。千石社長の前妻、鈴奈さんの子供だ。

鈴奈さんは31歳という若さで他界した。原因は交通事故。なずなさんは6歳だった。
その後、家事代行となずなさんのシッターとして公佳さんが雇われた。幼いなずなさんは彼女によく懐いていたという。唐突に母親を亡くした寂しさは、同じ温かさを与えてくれる女性によって癒されると思った、と社長は当時を振り返る。

社長が公佳さんと再婚したのは、なずなさんが10歳の時。
新しい家族の関係がぎくしゃくし始めたのは、夫妻の間に大輝くんが生まれてから。
なずなさんは異母弟の誕生に明確な戸惑いを見せ、急速に自分の殻の中に閉じ籠るようになった。
千石社長と公佳さんは、多感な時期にある彼女の困惑へ理解を示しつつ、歩み寄りを図ろうとした。だが、間もなく公佳さんが年子となる優大くんを身ごもると、家族関係は加速的に悪化していったという。


なずなさんには特技があった。鈴奈さんの手ほどきを受けながら、2歳から始めたというピアノだ。しかし、名のあるコンクールで優勝するほどになった腕前は、もう披露されることはない。彼女は、中学1年の秋に突然ピアノをやめてしまったから。
やめるきっかけが何だったのか、千石社長は今に至っても正しく把握できていないという。

その後、彼女は非常に反抗的になり、家族のみならず、友人や学校との関係にも深刻な影響を及ぼすようになる。無断欠席や定期試験のエスケープ。深夜徘徊による補導歴が数件。中学1年の終わりに私立中学校から公立中学校に転校することになったのも、度重なる素行不良が原因だという。
公立中学校に転校してからも、そうしたことは続いた。


―そして、今回の一件。


なずなさんには、現在、虐めの加害者の嫌疑がかけられている。
4月下旬の放課後、クラスメイトの女子生徒に対してひどい暴言を浴びせ、そのために相手が不登校になったというものだ。GWを挟みはしたが、半月が経過しても尚、その子は一度も登校していない。なずなさん本人に虐めの自覚はなく、学校側の仲裁に対して、終始反抗的な態度を貫いた。

相手の母親はそれに激高し、精神的苦痛に対する慰謝料請求をするため、なずなさんとその保護者である千石社長を相手取って民事訴訟を起こすと公言した。社長が謝罪を試みるも、相手側には受け入れられなかった。
そうして、千石堂の顧問弁護士である私に相談が持ちこまれる運びとなったのだ―。



*****



「…ねぇ、類」
「ん?」
「類は、バイオリンをやめたいって思ったこと、ある?」
例の件については進展がないまま、一日の業務を終えて帰宅した。日が変わる前に二人でベッドに入り、眠りに落ちるまでのわずかな時間にそれを問う。
「…あるよ。留学中に何度も。…思うように上達しなくて」
「でも類は諦めなかった。…それは、どうして? バイオリンが好きだったから頑張れたの?」


類はすぐに答えなかった。
温かな腕の中で、彼の規則的な呼吸を感じながら、静かに回答を待つ。
ややあって戻ってきたのは、思いがけない答えだった。

「俺にとって、バイオリンは絆だったから」
絆、と口の中で小さく反芻する。
「…つくしとの。…手離せば、もうあんたと繋がれない気がしていた」


そっと紡がれた言葉に、疼くような胸の痛みを覚える。
それは、過去の自分が彼に与えてしまった痛みの欠片だったから。






いつも拍手をありがとうございます。次回は類視点です。
しばらく説明的文章が続きますが、よろしくお付き合いください。
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2 Comments

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2020/05/04 (Mon) 09:35 | REPLY |   
nainai

nainai  

ふ*様

こんばんは。コメント嬉しいです(*^^)v
いつも鋭い読みをありがとうございます。

今作のキーパーソンである、千石なずなちゃんの生い立ちでした。『樹海~』とは異なり、今回はがっつり訴訟問題を絡めているので、説明的文章が多くなってすみません💦 
物語の設定を周知する作業は種まきに似ていると思います。今、タネをたくさん蒔いているので、それがどのタイミングで発芽してくるのか、楽しみにしていてくださいね。

次回は類視点です。読み手にとっては受け入れやすいターンかと思います。どうぞお楽しみに(*^-^*)

2020/05/04 (Mon) 23:18 | REPLY |   

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