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糸の証 ~5~

Category『糸の証』
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―火曜日の朝。


事前に連絡して自宅を訪ねたにもかかわらず、なずなさんは不在だった。平日だから中学校に行っている、という理由ではなく。
同級生とのトラブルが起きて以来、彼女は学校に通っていない。自主的な謹慎だと聞いていたけれど、それはイコール自宅にいるという意味ではなかったらしい。

「先生、申し訳ございません。なずなちゃん、いつの間にか出かけていたみたいで…」
応対に出てくれたのは、彼女の継母にあたる公佳さん。
その足元には、年子の兄弟が纏わりついている。私達が話をしている間中、兄弟は絶えず楽しそうにじゃれていた。可愛い盛りだが、幼子の世話は本当に大変だろうと思う。それが年子ともなると…。公佳さんは子供達に少し早いおやつを与え、テレビをつけて意識を逸らしてくれた。


私は、千石社長からだけでなく、公佳さんからも話を聞きたかった。普段のなずなさんの様子を尋ねると、自宅にいる時は自室に引き籠っている、と彼女は答える。この数ヶ月はまともに口も利いていないという。

「食事はどうなさっているんですか?」
「外で買ってきたり、私達が眠ってしまった後に冷蔵庫にある物を食べたりしています」
「外出した時、どこに出かけているかご存知ですか?」
「いえ…。友人はいるようですが、どういう間柄の子なのか分からないんです」
「交際費については?」
「大典さんが必要に応じて与えています。私の方には何も言ってきません。…なずなちゃん、私が母親面するのを嫌がるので…」
そう言って寂しそうに笑う公佳さんに微笑み返し、更なる質問をする。


「公佳さんは、今回の件についてどのようにお考えですか? なずなさんが同級生を虐めていたと思われますか?」
「いいえ。私はそうは思いません」
即答した彼女の口調の力強さに少し驚かされる。
良好ではない家族関係でも、そのように断言できるものかと。

「なずなちゃんは繊細な感性を持っている子供でした。それに、とても寂しがり屋でした」
「出会った頃の様子ですか?」
「えぇ。私はシッターとして雇われたんです。あの子は6歳になったばかりで、亡くなった鈴奈さんのことを思い出して毎日泣いていました。でも、傍にいて慰めるうちに、徐々に笑顔を見せてくれるようになりました。
月日が経ち、一緒に暮らすようになってからも関係は良好でした。…ですから、勘違いしてしまったんです。私のことは、家族として受け入れてくれるものと…」
公佳さんはそのように過去を振り返る。


「関係が悪化したのは私が上の息子を産んでからです。なずなちゃんは11歳になっていました。私がどのような存在であるのかを、やっと正しく把握できたのでしょう。…気が付けば、埋めがたいほどの溝ができていました。並行するように、あの子は、ピアノを弾くことにのめり込んでいきました」
「のめり込む…ですか?」
「えぇ、小学生の子に“鬼気迫る”という言い方は不適切な気もするのですが、私にはそのように見えました。小学校から帰ったら脇目も振らずに何時間も弾き続けるんです。時には食事さえ摂らないことがあって、見かねた大典さんがピアノに鍵をかけたこともあったくらいで。……そうした緊張状態がしばらく続きました」


「…でも、彼女はピアノをやめてしまったんですね」
「はい。…中学1年の秋にピアノコンクールの地方予選があったんです。あの子は前年度の優勝者で、コンクールに向けて猛練習をしていました。
でもコンクールの前日、下の息子が肺炎で入院することになってしまって、家の中はバタバタしていました。主人だけは会場に行くとなずなちゃんに話していましたが、当日の朝、どうしても仕事に行かなくてはならない事情ができました。
あの子は一人で大丈夫と言い、会場に向かいました。…でも、結局、出場は辞退したそうなんです」
「辞退の理由は?」
「分からないままです。あの子は、誰にも理由を明かしませんでした。
思い返してみれば、コンクール以前から少し様子がおかしかったんです。ひどく塞ぎ込む日もあって…。ピアノはそれ以来弾かなくなり、あっという間に問題児の烙印を押されるほど行動が荒れていきました。
…でも、あれはあの子の本質ではないのだと、私は、信じているんです」



*****



「…というのが、千石公佳さんのお話です」
千石邸を辞去して事務所に戻ると、私は朝比奈先生と佐久間さんに先ほどの話を詳細に報告した。ふむ…と頷いて、コメントをしたのは先生の方。
「公佳さんは、実子でないなずなさんに対して、とても愛情深いのね?」
「はい。現状にも例の一件にも、ひどく心を痛めている様子でした」
「いい母親の振りでもなく?」
「本心だと思います。幼い頃の彼女を知っているからではないかと…」

玄関での見送りの際、公佳さんは私の右手を両手で包み、懇願するように言った。
どうか、なずなちゃんの力になってあげてください、と。
あれが演技だというのならば、彼女は俳優業が向いていると言っていいだろう。


「牧野はお人好しだからな。ちゃんと客観的に評価できているのか?」
別方向から声が飛ぶ。澤田先生のものだ。
顔を向ければ、薄い唇の端をわずかに上げて彼は笑っていた。
「…そのように努めているつもりです」
「未成年の案件は非常にデリケートだ。感情移入をしやすいし、されやすい。公私の線引きはちゃんとしておけよ」
「はい」

澤田先生はタッグを組む的さんに目配せすると、そのまま一緒に事務所を出て行ってしまった。今日の予定では、これから簡易裁判所で裁判があるはずだ。
それを見送っていると、朝比奈先生がのんびりとした口調で言った。
「なんだかんだ言いつつ気にかけてるよね、澤田先生。…まだ牧野先生のこと、好きなのかなぁ」
「……っ」
「どうでしょう? 新しい彼女、できたみたいですけどね」
言葉に詰まる私をよそに、あっさりとコメントしたのは佐久間さん。

まるで公の事実のように認識されている過去のそれは、本来なら澤田先生と私だけの秘密のはずだった。…でも、事務所の女性陣にはバレバレだったようで。


話を断ち切るように、咳払いをひとつして、声を発する。
私は佐久間さんに新たな依頼をした。

「…佐久間さん、お願いしたいことがあります」
「はい。何なりと」
「なずなさんのピアノ講師を探していただけませんか? 彼女が最初に師事していた、久芳くぼう加寿子かずこ先生という方です。教室を閉められた後の連絡先が分からなくて…」
「分かりました。お住まいが遠いようなら、話を聞いてきた方がいいですか?」
「お願いします。公佳さんによると、教室が閉められたのはなずなさんが小6の頃だったようです。別の先生に師事するようになってからも、なずなさんと久芳先生は文通をしていました。やりとりがいつまで続いていたかは分かりませんが、もし手紙に相談事などを書いていたら、それを調べてきてほしいんです」
「分かりました」

佐久間さんの報告書には、なずなさんの補導歴の詳細と、トラブルの相手方の情報について記載されていた。それにざっと目を通して、本人に直接会うためにはどうすればいいかを思案する。



*****



『今、打ち合わせが終わった。そっちは帰ってる?』

類から短いメールが送られてきたのは、午後8時近く。
そのとき事務所に残っていたのは、私と的さんと海藤先生の3人だった。
的さんは海藤先生の甥御さんで、パラリーガルとして現場の仕事の流れを学びながら、並行して司法試験の勉強をしている。指導にあたるのは海藤先生だ。じきに今年度の試験も始まるため、指導にも熱が入っている。
私の方はというと、千石堂とは別の案件の書類作成に手間取り、ずるずると帰りが遅くなっていた。

『まだ事務所。でも、もう切り上げる。迎えに行くよ。』
『頼めるなら』

類が打ち合わせに行った場所は帰り道の途中にあり、海藤事務所からそう離れていない。今日は市内での移動が多いからと、類は自分の車で出勤しなかった。15分以内に行くことを約束して、急いで帰り支度をする。


事務所を出てから駐車場までは30秒。
ビルを出て足早に道路を横切り、自分の車に近づいた時だった。
運転席のドアに凭れるようにして蹲る影に気付き、私は足を止めた。



…誰か、いる。






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