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糸の証 ~6~

Category『糸の証』
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車の運転席のドアに背を凭れてしゃがんでいるのは、さほど大きくもないシルエット。隣の車との隙間に街灯の光は届かず、相手の顔は見えない。影は、警戒して足を止めた私に気が付くとおもむろに立ち上がり、場違いなほど明るい声を発した。
「もぉ、やっと来た」
この声、まさか―。
「弁護士って遅くまで仕事すんだね。待ちくたびれたよ」


白々とした光に照らされていたのはスレンダーな女の子。
昨日の不機嫌な態度など忘れてしまったかのように、相手は笑っていた。
深紅のルージュがくっきりと弧を描く。
こうしてみると身長は同じか、向こうがやや大きいのが分かる。


なんとか平静を取り繕い、念のため確認をする。
「千石なずなさんですね? こんな時間にどうしたんですか?」
「どうしたって…。あんた、あたしに会いたかったんでしょ?」
「えぇ、会ってお話ししたいと思っていました。…私の車がよく分かりましたね」
「昨日、見て覚えた。…ねぇ、これからご飯でもどう? あたし、お金持ってるし」
彼女は大きなストライドで助手席側に回り、早く開けてよ、と解錠を急かした。


気まぐれな少女の言動に苦笑し、私は言った。
「…なずなさん、今夜はもう遅いのでやめておきましょう」
「えぇ? なんでよ。遅いってまだ8時過ぎじゃん」
「ご家族が心配されています。自宅まで送りますから」
車を挟んだまま会話していくうちに、少女の顔は急速に強張っていった。
瞳にギラッとした光が宿り始め、抑えられていた敵意が剥き出しになる。


―あぁ、この目。
かつて対峙した彼のものとよく似ている―。


「頭固いね。せっかく話をしようって言ってんのに」
「話をするのであれば、なずなさんのご自宅で、というのはいかがですか?」
「家では嫌だ」
相手の態度は頑なだ。鼻白むようにそっぽを向き、唸るように言った。
「…やっぱ、弁護士なんてつまんないな。もういいよ」
ぱっと身を翻して彼女は駆け出した。その足は驚くほど速い。

「なずなさん! 待って!!」

咄嗟に後を追うけれど、かなり出遅れた感があった。硬いアスファルトにローヒールがぶつかり、カツカツと大きな足音になって路地に響く。そう多くはない通行人が何事かと振り返って、唐突に始まった私達の追いかけっこを見ていた。



全力で走っているつもりなのに、なずなさんとの距離は広がるばかりだった。次第に小さくなっていく後ろ姿を必死に追う。
だけど3ブロックを走ったところで、路面の窪みにヒールを取られて派手に転んだ。
「…あっ」
ドッと勢いよく前に倒れ込む。周囲のどよめきが聞こえた。
感じたのは強い衝撃と痛み、…そして気恥ずかしさ。

怪我をしたのは、激突を避けようと路面についた左の掌。擦り傷ができ、血が滲んでいる。転倒の際に左足首も捻ったらしく、ズクズクと脈打つような痛みがあった。手を伸べてきた通行人の男性に大丈夫だと応じて立ち上がり、鞄の中からティッシュを取り出して血を拭った。


…もう、行ってしまっただろうな。
彼女が走り去った方角を見やると、当然ながら後ろ姿は消え失せていた。補導歴の大半は深夜徘徊だったことを思い出す。こんなふうに街中をうろついているところを、巡回中の警察に見つかったパターンなのだろう。大人ぶって見せてはいても、顔をよく見れば中学生だとすぐ分かる。

仕方なく方向転換し、事務所の方に戻ろうとすると、左足に激痛が走った。思わず呻く。さすがに骨に異常ないだろうと思うけれど、痛めた足を庇うヒョコヒョコとした歩き方になる。

あぁ、千石社長に連絡を入れておかなくちゃ。
それと類にも。メールのやり取りを終えてから、ずいぶん時間が経ってしまった。


鞄から携帯電話を取り出そうと立ち止まると、後ろからパタパタと足音がして尖った声がかかった。
「ドンくさ。足めっちゃ遅いし」
「…なずなさん!」
少女は無言で左側に回ると、体を屈めて私の腕の下をくぐり、体を支えてくれる。
密着すると甘いフレグランスが強く香った。
「ありがとうございます。…どうして、戻ってきてくれたんですか?」
「…振り返ったら、あんたがカエルみたいに地面にへばりついてたから」

私は小さく笑う。
言い方はともかく、こうして介助に戻ってくれたのだ。
「なずなさんは足が速いんですね」
「…煽てたって無駄だよ」
少女は、馴れ合いはお断りとばかりに、ピシャリとそう言い放った。



類には迎えに行けなくなったことを、千石社長にはなずなさんを自宅に送っていくことを連絡して、私は車を発進させた。彼女は憮然とした顔で虚空に視線を止め、大人しく助手席に収まってくれている。座席の上で膝を抱え込んだ彼女は無言のまま、陰鬱そうなため息をいくつも吐いた。

それからの30分間、お互いに無言だった。
通勤時に聴いているFMラジオが、数年前に流行ったバラードを流している。
やがて彼女の自宅に近づきリミットが迫ると、機を見計らって声をかけた。


「なずなさん、約束をしませんか?」
「………約束?」
「明日、うちの事務所の近くでお茶しましょう。迎えに行きますので」
「………………」
答える声はない。
「その気になったら、ここに連絡をくれませんか? これ、私の名刺です」

上着ポケットに忍ばせていた名刺を1枚、なずなさんに示して座席の空いているスペースに置く。手渡しでは受け取ってくれない気がした。
その後、彼女が名刺を手に取ったかどうかは、前を向いていて分からなかった。



最後の角を曲がると、今朝も訪れた千石邸の門扉の前に誰かが立っているのが見えた。千石社長だ。私はウインカーを出し、車を道路脇に寄せて停める。
運転席のウインドウを下ろすと、社長が恐縮したように礼を述べた。私達が話をする間になずなさんは助手席を飛び出し、自宅に駆け戻っていった。
「また伺いますから」
「先生、何卒よろしくお願いいたします」
簡単に挨拶を交わし、車を発進させる。



自宅マンションに帰り着いたのは、それから50分後のこと。
車を降りる時になって気付いた。
助手席に置いていたはずの名刺は、どこにも見当たらなかった。






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