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糸の証 ~14~

Category『糸の証』
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予定されていた午後の業務を終え、千石堂本社に赴くことができたのは陽が落ちる時刻になってから。社長室に入室すると、千石社長は苦り切った顔で訴状の入った封筒を私に差し出した。その内容にさっと目を通し、問いかける。
「その後、なずなさんと話はできましたか?」

一昨日も、昨日も、なずなさんを自宅に送り届けた時、社長は不在だった。応対してくれた公佳さんには把握した事実の概要を伝え、必ず家族で話し合ってほしいと念押ししておいた。だから、当然、家族間で話し合いが行われたものと踏んでいた。


だが、社長は静かに首を振る。
なぜ、と理由を問う間もなく、彼は言葉を継いだ。
「この週末は支店の方で納入のトラブルがあって、その対応に追われていたんです。なずなの話を聞く暇はありませんでした。…それに、あの子は、昨夜から体調を崩していて」
「なずなさん、どうされたんですか?」
「不摂生が祟ったようで。高熱が出て、今は臥せっているんです」

少女の冴えない顔色を思い出す。社長の説明には納得できるような気がした。…だが、やっぱり違和感が拭えない。親としての彼の対応に。



「…あの」
思い切って問いかけてみることにする。顧問弁護士と言えども、どこまで踏み込んでいいものか、ずっと迷いがあった。まだ子供を持たない自分が、育児の苦労を知りもしないで疑問を呈していいのか。だが、どの道避けては通れない気がした。

「差し出がましいことを申し上げるのですが、社長は、なずなさんと向き合うことを避けてはいませんか?」
「…えっ」
「本日、訴状が届きました。しかし、その内容は事実と異なる可能性があります。なずなさんの主張を固く信じてくださっていますよね?」
「えっ…えぇ、それはもう…」
うろうろと泳ぐ目線に、社長の動揺が顕著に表れていた。
心の中に鈍色の感情が広がっていく。


「それならば、なぜ、すぐにでも真相を追求しようとなさらないのですか?」
「…牧野先生にすべてを委ねております。ここまでの御尽力に深く感謝しております」
「いえ、私が申し上げたいのは、社長自らが行動を起こすことの重要性です。なずなさんと向き合い、直接トラブルの全容を聞き出し、その苦悩を理解してあげることです。私のような、他人に任せるのではなく…」

なずなさんには、今、この瞬間が世界のすべてなのに。

「社長としての責務があることは重々承知しております。会社のトップたるもの、家庭を優先できない状況も時としてあるでしょう。…ですが私には、社長が仕事を理由にして、なずなさんから目を背けたがっているように見えます。…本心では、あの子のことを、疎んじていらっしゃるのですか?」

彼女が感じていた、家族の中における疎外感。
それは10代にありがちな思い込みではなく、現実のことだったとしたら―。



「それは違います!」
即座に強い語気で反論が返ったことに、一抹の安堵を得る。
「なずなが、牧野先生に何を言ったかは分かりません。…ですが! 私はあの子を信じていますし、息子達と分け隔てなく愛しています!」
「ですが、なずなさんには社長の想いが伝わっていませんし、そのことが公佳さん達との長年の不和を生み出していると思います」
社長の声に被せるように、私の声も大きくなる。

「私はまだ、なずなさんと完全に打ち解けたわけではありません。それでも、彼女の心根が真っ直ぐであることを確信しています。親友の本谷紗南さんも、ピアノ講師だった久芳加寿子先生も、そして奥様の公佳さんも、そのことを強く信じています。……でも、社長の気持ちには迷いが見えます!」
言葉を返そうとして見つけられなかったのか、彼は閉口する。
「社長は、何を恐れているんです? もし隠していることがあるなら、今ここで明かしてくださいませんか?」



*****



千石社長との面会を終え、自宅マンションまで帰り着く。車のエンジンを切ると、急に静かになった車内に自分の吐いた溜め息が重苦しく響いた。

『ステップ・ファミリーは難しいんですよ。再婚相手がどんなにいい人でも』
『“あったかもしれない未来”をいつも考えていました。たぶん、逃げ道を作りたかったんですよ』

昼間に聞いた佐久間さんの言葉が脳裏に響く。
経験者は語る。その一言に尽きる。話を聞けば聞くほどに、自分はその一端すら理解できていないのではないかと思えてくる。
果たして、そんな私がこの案件の担当でいいのだろうか―。



「ただいま…」
カードキーで解錠して部屋に入るのと、類が防音室から出てくるのは、ほぼ同時だった。おかえり、と穏やかな微笑を向けられ、張りつめていた気持ちが緩んでいくのが分かる。
「今日も疲れた顔してるね」
「そう? …まぁ、そうかな」
曖昧に笑んで応えた私に、彼は朗報を持ち込んでくれた。
「有馬が送ってきてくれた。依頼してたデータ」
「え?」
「記憶違いじゃなかった。千石なずなさんからの手紙は三通あったよ」


プリントアウトされたものをリビングで受け取り、早速その内容に目を通す。
類が国際コンクールで優勝した時。
パリの交響楽団での初演を終えた時。
そして、初めてソリストに指名された時。

三通の手紙は、類の音楽活動の節目に送られていた。
なずなさんの手紙を読み進めるうちに、明確に見えてくるものがある。

「…どう? 役に立った?」
類は夕食の準備をしてくれながら静かに問う。私は大きく頷いた。
「類、本当にありがとう。有馬さんにもお礼を言っておいてもらえるかな」
「伝えておくよ」




「あのね。…変な質問していい?」
類がダイニングテーブルの向かいに座るのを見計らって、問いかけることの許しを得る。彼は器用に片眉を上げ、私の表情を窺う。
「とりあえず、質問内容を聞こうかな」
「もし私達のどちらかが先に死んでしまった場合、残った相手が再婚することを許せるかどうか」
「…またコアな質問をするよね」

相手の苦笑を受けて質問を取り下げようかと迷うが、次の瞬間、類はあっさりと回答した。
「俺は許すよ。生き別れになった年齢にもよると思うけど、つくしが幸せになってくれるなら草葉の陰からそれを見守る。…でもね」
「でも?」
「夫婦であれば了承できる事項でも、当人達以外では違うんじゃない」
「あぁ、それはそうかも…」

例えば、子供であったり、親であったり、友人であったり…。夫婦の間に流れる特有の感覚は、その周囲の人間には理解しがたいものがあるかもしれない。

死後も尚、自分のことだけを想い続けてほしいと願うか。
それとも、残してきた相手に新たな幸せを追求してほしいと願うか。
どちらを選んでも、そこに正解はないように思えた。



「つくしは?」
「…え?」
「さっきの質問、つくしならどう答えるの?」
頬杖をつきながら、私を眺める類は楽しそうだ。鳶色の瞳が優しく和んでいる。


かつては彼の未来の広大なることを願い、私はその手を離した。
それでも、彼が誰かと噂になる度、身を焦がすような嫉妬を覚えた。
優美な微笑を独り占めできる幸せを、今後、誰かに譲り渡せるか―。


「…嫌だな」
口をついて出た言葉はそれで。
「仮定でもそんなこと考えるの、つらい…」
「俺には訊いたくせに」
「…ごめんね。やっぱり変な質問だった」
「いいよ。慣れてるし」

彼は何でもないことのように笑ってから、改めて確認をした。
「つくしは、例え話だとしても、俺と離れることを考えるのはつらくて嫌で答えられないと思うほど、俺を深く愛してるってことでいいよね?」
こういう時ばかりは饒舌になる彼を、自分がどんな表情で見返していたかは分からない。ただ言えるのは、彼が至極満足そうな顔だったということだ。




そうだよ。

きっと類が想像する以上に、あなたに向ける私の愛は深い。
私の選択の大前提はいつでも同じだ。

“類が幸せであること”

だから、あなたが望むなら、どんなことでも受け入れる覚悟が私にはある。






いつも拍手をありがとうございます。
ブログを再開して早1ヶ月。予想はしていましたがやっぱり忙しいです💦
最終話まで何とか頑張ります(;^ω^)
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2 Comments

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2020/06/01 (Mon) 16:57 | REPLY |   
nainai

nainai  

ゆ****様

おはようございます。
いつもコメントありがとうございます(*^-^*)

締切があった方が張り合いになっていいと思う反面、PC作業ができる時間が限られていることに焦ります。あとは睡魔との終わりなき闘いが…。体力が落ちてきたなぁと思います💦 出来る限りで、無理のない範囲で、と自分に言い聞かせておきますね。

2020/06/02 (Tue) 08:14 | REPLY |   

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