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糸の証 ~15~

Category『糸の証』
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なずなさんとの面会が可能になったのは、3日後の木曜日。
思いのほか病態は重く、熱が下がるのを待ってからの見舞いになった。


初めて通されたなずなさんの自室は、角部屋で日当たりが良く、広々としていた。ピアノは置かれていない。女子中学生の部屋にしては小物が少なく、それがかえって室内の広さを際立たせるから、どことなく寂しく感じられる。
なずなさんは、ぼんやりと天井を眺めながらベッドに横たわっていた。入室してきた私の姿を認めると、彼女は小さく声を上げた。
「…来て、くれたんだ」

初めて見る化粧っ気のない顔とパステルブルーの寝間着が、これまでの派手な印象を大きく変える。掛け布団の上に投げ出された両腕が、目に見えて細かった。
診察した医師は、病態を重くした要因に栄養失調を挙げたという。彼女の食生活の実態については、公佳さんから聞き及んでいたことだ。
「体調はどうですか?」
「見ての通りだよ。弱ってる」
「ジェラートを買ってきたんですが、食べますか?」
「…食べる」

部屋の外で静かに控えていた公佳さんに、なずなさんの好みの味を伝えて用意してもらう。そのやり取りからは目を逸らしていた彼女だったが、私が公佳さんから受け取った盆を持って戻ると、ベッドの上に半身を起こして待っていた。


「…おいしい」
ねっとりと伸びる塊をスプーンでひと掬いして口に入れ、素直な感想をこぼす。
「これ、『KIMOTO』のだよね」
「そうです。分かりますか?」
「味で分かるよ。……誰に聞いたの? あたしがここのを好きだって」
『KIMOTO』は駅前大通りにあるイタリアンジェラート専門店で、ピスタチオフレーバーが人気だ。なずなさんの好きなものを訊ねた際、この店の名がすぐ挙がった。

「教えてくれたのは公佳さんです」
「…そう」
「よく見ていますよね。あなたのことを」
「………」
私は、これまでのやり取りから公佳さんの人柄は良いと判断している。なずなさんのことをよく知り、彼女のために心を砕くことのできる人だと。それが婉曲に伝わるように述べると、なずなさんはジェラートを大きくひと掬いして口に入れ、ガラス皿を傾けて溶け残りを啜り込んだ。
空になった皿を盆に戻してサイドテーブルに置くと、唐突に切り出してきた。


「…先生はさ、あたしのこと、バカみたいって思う?」


輪郭線が細って目立つようになった大きな瞳が、真意を問うようにこちらを見つめている。いつの間にか、『あんた』から『先生』へと、呼び方が変わっていることに気付く。わずかに笑んで、彼女の瞳を見つめ返す。
「やっぱり中学生なんだな、と思っています」
「どういう意味? ガキだって言いたいの?」
「年相応だということです。私にもそういう時期がありました」
「…ふん」
その返答には納得できなかったのか、彼女はやや不満げに鼻を鳴らして目を逸らした。


私は居住まいを正し、来訪の目的を告げた。
「すでにお聞きだと思いますが、佐竹田さん側に動きがありました。裁判所から訴状が届いたので、正式な手続きを経て民事裁判が始まります。訴えられているのは、なずなさんとお父様の大典氏です。それでも裁判が始まるまでにはまだ猶予がありますから、近日中に相手側との話し合いの場を持ち、示談に持ち込めればいいと私は考えています」
「ジダンって何?」
「裁判で争うのではなく、事前の話し合いで問題を解決することです。双方の主張の妥協点を探り、期日までに訴えを取り下げてもらうのです」

「…真尋と、直で話し合うの?」
「いえ、そもそも話し合いの場が整うのか、整ったとして佐竹田真尋さんが同席されるかは分かりません。強制力はないので相手側が拒否する可能性は十分にあります。それでも、これから先方の弁護士を通じて打診してみますので、今日はその了承を得るために伺いました」
「…分かった。いいよ」
なずなさんの理解度は低くない。丁寧に説明すれば、それを受け止める度量がある。蓮っ葉な物言いや横柄な態度で誤解されやすいけれど、彼女は記憶力がいいし、機転も利く。


「今は、紗南さんが語ってくれたことの裏付けを取っているところです。報告が揃えば、佐竹田真尋さんとの過去の確執については立証が可能だと思います。あとは、なずなさんの証言です。…トラブルがあった日に何があったのか、話していただけませんか? 問題解決のためにはどうしても必要なことなんです」
「……………」
またしても沈黙が下りる。
一体、何が、彼女の態度をそこまで硬化させているのだろうか。


類に宛てたファンレターの文面が思い出される。
数年前の彼女が描いていた、美しい未来の展望。
それとはあまりに隔たりのある現在。
真一文字に引き結ばれた唇は、一向に動く気配がない。



急かすことなく返答を待ち続けると、やがて根負けしたように彼女が切り出した。
「……先生はさ……人に裏切られたことがある?」
「あります」
「……人を裏切ったことがある?」
「あります」
「相手のこと許せた? 逆に、許してもらえた?」
なずなさんの指す“裏切り”には、おそらく父親の行動も含まれる。先日聞き出した千石社長の胸の内と、リンクするものがある。
そして、おそらくは、佐竹田真尋さんとの間にも根深い確執があって―。


「時として、どのようにしても解り合えない相手はいました。人の固定観念や価値観は容易には変えられないものです。……それでも、今でこそ許せる相手もいます。そして、同じように、私も許されています」
「大人になったら、そう思えるようになる?」
「人それぞれではないでしょうか。弁護士という職業柄、“折り合えない間柄”というものは幾度となく直面してきた現実でもあります。人間関係ほど難しいものはありません。…しかし、時間が解決してくれる場合もあります。負の感情を抱き続けることは、とてもエネルギーのいることですからね」
「…そうだね」


なずなさんは半身を再び横たえ、長いため息を吐いた。
体を起こしているのがつらくなってきたようだ。
「気分がすぐれませんか?」
「…うん。…少し」
「日を改めましょうか?」
「いいの?」
「なずなさんがお望みなら」

彼女は頷く。その顔色は先ほどよりも蒼白かった。
私はサイドテーブルに近づき、ガラス皿を乗せた盆を引き取ると、自分を見上げている双眸に微笑みかけて立ち上がろうとした。
その動きを引き留めるように呼びかけられる。


「…先生」
はい、と答えようとした矢先、強い意志を含んだ声がした。
「次に会うとき、先生には全部話すよ」




なずなさんの申し出に、一瞬、反応が遅れた。
「…本当ですか?」
「こっちから連絡する。…だから、もう少しだけ待ってて」
「分かりました。連絡先は分かりますか?」
「…名刺、もらったから」
あの夜渡した名刺を捨てずに持っていてくれたのだと分かり、私は頷く。
「連絡、お待ちしています」
「うん」
「では失礼します。今はゆっくり休んでくださいね」
「…うん」

今度こそ立ち上がり、私はなずなさんの部屋を出る。
1階のリビングにいた公佳さんに挨拶をして、千石邸を辞去した。




全部話す、と予告した少女の目は昏い色をしていた。
公佳さんに見せてもらった写真の中の笑顔が、切々と思い出されて胸に痛い。


怖がらなくていいよ。
見聞きしてきたすべて、思いの丈を明かして。


あなたの苦しみをどうにかしてあげたいと願う人が、
あなたが思う以上にたくさんいるのだということを、
どうか分かってほしい。






いつも拍手をありがとうございます。
なずなとの心の交流が続きます。つくしはいよいよ核心に迫っていきます。
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