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糸の証 ~19~

Category『糸の証』
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一言を発しただけで、相手は再び沈黙してしまう。
名乗られなくても、私は確信的に切り込んだ。

「なずなさんですね。今、どこにいるんですか?」
「………………」
「紗南さんとは一緒にいないのですか?」
「………さなちゃんは、いない」
質問への応答があったことにわずかに安堵する。
それでも、彼女の声の様子がいつもと違うことに不安も覚える。
「何か困っていることがあるなら言ってください。すぐ迎えに行きますから」
「……今からでも?」
「えぇ」
「……それなら、ここに来て。先生一人で来て」

なずなさんは現在地を言う。ひどく無機質な声で。私が想像する以上に、事態は逼迫しているのではないかと危惧する。彼女の言う場所には心当たりがなかった。


通話は唐突にぶつりと切れた。相手が終了ボタンを押したようだ。それからは折り返しても、不通を知らせる自動音声が流れるばかりだった。なずなさんは主電源まで落としてしまったのだろう。

胸中には強い焦燥が渦巻く。彼女の指定した場所は郊外で車でも30分はかかる。
類の公演はもう始まってしまった。一旦ここを離れれば、おそらく終演には間に合わない。


それでも、私に選択の余地はなかった。


意を決し、足早に2階のフロアを横切って螺旋階段を駆け下りる。エントランスのロータリーに待機していたタクシーに乗り込み、行先を告げた。事務所の向かいに停めた自分の車を取りに戻りたかったのだ。
簡素な説明でも運転手は心得たように頷き、すぐ車を発進させた。車は急速にスピードを上げ、コンサートホールは同じ速さで後方へと遠ざかる。



―類。ごめんね。本当にごめん。



固く目を閉じ、心の中で何度も類に詫びる。類は、私がいないことに気づくだろう。その時の驚きと失望を思えば、いくら詫びても足りない気がする。なぜ類が公演の場所を仙台に定めたのか。彼の心配りが分からない私ではない。

フランツさんには何も言い置くことができなかった。きっと私が席に戻らないことを心配しているだろう。今日という日を待ちわびていた彼の心に、不躾な影を差し込んでしまった。


それでも、今は行かなくては。
後ろ髪引かれる思いを振り切って、私は携帯電話を取り出した。



類のマネージャーである有馬さんには、火急の用でホールを離れたことをメールで伝える。類とフランツさんへの伝言を依頼する。まだ返信は来ない。

そして、千石社長に連絡をする。幸い、彼は3コール目で応じてくれ、なずなさんとこれから会う旨を告げると驚きの声を発した。
「先生…っ。今夜はご主人の公演がある日では…」
「そのことはどうかお気になさらないでください。なずなさんの指定する場所に心当たりはありますか?」
「…あります」
急速に小さくなる社長の声。
「そこは霊園です。…今日は命日だったんです。なずなの亡くなった母親の…」


それを聞いた瞬間、指先に痺れるような感覚が走った。迂闊だったと密やかに臍を噛む。千石家のプロフィールをもう少し掘り下げて把握しておくべきだった。なずなさんのようなセンシティブな子供は、近親者の命日に感化されやすい傾向があるのに。


「霊園の管理者の方とは連絡が取れないでしょうか。なずなさんは一人でいるそうです。もう日が落ちていますから心配です」
「秘書に確認させましたが、既に時間外のようでして…」
そこまでを話した時、タクシーは海藤弁護士事務所の前に到着した。通話状態を保ったまま会計を済ませ、向かいの駐車場に停めている自分の車に駆け寄る。
いつかの夜は、なずなさんがここで膝を抱えて私を待っていたことを思い出し、焦燥感をより強くする。

「今、事務所の前です。これから向かいます」
「分かりました。私もすぐ出発します」
「なずなさんには一人で来るように言われました。先に着いても、私の到着を待っていてくださいませんか?」
「心得ております。よろしくお願いいたします」


早口のまま通話を終え、車に乗り込んでカーナビゲーションを起動した。住所を入力すると道順が示され、到着予定時刻は19:25だと告げられる。帰宅ラッシュと重なるため、この予想よりも遅い到着になるかもしれない。


ハンドルに凭れて、ふぅーっと息を吐く。
大きく。一度だけ。


―行こう。


姿勢を直してシフトレバーを入れ替え、グッとアクセルを踏む。車は低い唸りを上げて発進し、徐々に加速していった。目的地に向かうこと以外は、もう考えないようにした。




到着は、ナビの予想より5分ほど遅れた。真っ暗な林道を上っていくと、墓園の手前200メートルの位置で路肩に停車している千石社長の車を発見し、その後方に付けて停車する。
後部席から出てきた彼は、運転席にいる私の方へと駆け寄り、深々と頭を下げた。礼を失していることは承知の上で、車から出ず、ウインドウを下げて応対する。

「先生のお手を煩わせて、本当に申し訳ございません」
「いえ。なずなさんが墓園から出てきた様子はありませんか?」
「この道は一本道です。反対車線を注意して見ていましたが、なずなを見かけることはありませんでした」
「急いで探します。連絡を待っていてくださいますか?」
「お任せします。どうかよろしくお願いいたします」


千石社長との取り決めを終え、私は車を墓園の駐車場へと進入させた。管理時間外となった敷地内に他の車はない。運転席のドアを開けると強い風が真横から吹き付け、下ろしたままの髪を千々に乱した。ワンピースのプリーツが足に纏わりつき、歩きにくいことこの上ない。灯っているのは駐車場内の街灯がひとつ。千石社長から借り受けた懐中電灯で足元を照らす。

「なずなさん! 牧野です! いたら返事をしてください!」

墓石の並ぶ区画に入り、無人のうら寂しさに矢も盾もたまらず声を上げるが、応じる声はなかった。強い風が起こす葉擦れの音が人の気配も消してしまう。暗がりの中、必死になずなさんの姿を探す。
そうして3つ目の通路の夕闇を手元の光で薙いだ時、墓石の前にしゃがみ込んでいる影を見つけた。


大きく胸が鳴る。遠目にも分かる。



なずなさんだった。






いつも拍手をありがとうございます。
つくしにとっては苦しい選択となりました。奮闘を見守っていてくださいね。
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2 Comments

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2020/06/12 (Fri) 11:43 | REPLY |   
nainai

nainai  

ル*様

こんにちは。コメントありがとうございます(*^_^*)
小難しい話ですが、連載を楽しんでいただけているとのこと、とても嬉しいです。どうにか定期更新を続けております。

物語は中盤、なずなの心の闇がようやく明らかになっていきます。彼女の複雑な心情が読者の皆様にうまく伝わるよう、これからの推敲作業を頑張ります! つくしの奮闘、類の活躍、そして気になるメルの動向…。続きをお楽しみに♫

連日のコロナ情報や長雨に気分は沈みがちですが、新しい生活様式に慣れていきたいですね。早く治療方法やワクチンが盤石なものになってほしいです。ル*様もご自愛くださいませ。

2020/06/13 (Sat) 15:44 | REPLY |   

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