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糸の証 ~20~

Category『糸の証』
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なずなさんの耳には、先ほど私が上げた声も、ヒールが立てる硬い足音も、きっと聞こえていただろう。そのまま距離を詰めていくが、少女は深く項垂れたままでこちらに視線を振らない。
最初になんと声をかけるべきかを迷ったが、選んだのはこの言葉だった。

「私もお参りさせてもらっていいでしょうか」

薄茶の頭が小さく縦に振れる。彼女の実母の名が刻まれた墓石の側面を見やって、そっと手を合わせた。享年31歳とある。亡くなるにはあまりにも若すぎた。たった6歳の子供を遺して逝かなければならなかった、その不遇を思うと胸が詰まる。



「温かい飲み物を買ってきました。冷えてきましたし、車の中で飲みませんか?」
その時だった。
噛みつくような鋭い声が発された。
「なんでそんな平然としてんだよっ!」

彼女は憤然と立ち上がった。
長く伸びた前髪の下から、こちらを睨み据えている双眸。
そこからこぼれ落ちるものがある。

「怒ればいいじゃんっ! つまんないことで呼び出すなって! あたしのことなんて迷惑だって、はっきり言いなよっ!」
「…なずなさん」
「わざとだから! あんたがRuiのコンサートに行けないように、わざとこの時間に呼んだんだからっ!! ほんとに来るなんて馬鹿じゃないの!?」

感情が爆発する。
荒く息を吐きながら、彼女は目元を乱暴に拭う。
初めて見る涙はただ痛々しくて、こちらの心までひきつれそうになる。

「あんたなんか大っ嫌い! いつも澄ましてて、さも自分が正しいような顔して…っ!」
大っ嫌い!ともう一度繰り返して両手で顔を覆い、彼女は苦し気に嗚咽を洩らした。




「…それなら、どうして、なずなさんは泣いているのですか?」
殊更、静かに問いかける。
「私のことが嫌いなら、あなたの目論見はこうして成功したのですから笑っていればいいでしょう? そうではない感情がそこにあるから、涙が出るのでしょう?」
応える声はない。

「私があなたに怒らなければいけないことがあるとしたら、あなたの危機意識の薄さです。このような時刻に、たった一人で人気のない場所に留まることの危険性を正しく認識するべきです。
…今夜のことだけではありません。深夜に街中をうろつくことも同様です。事故や犯罪など、不測の事態に巻き込まれてしまうことだってあります。もっと自分のことを大事にしてください」
「…大事じゃない。…自分のことなんか」
「なずなさんがそう思えないなら、代わりに私が思います。あなたの身を、その心を大切に思います。だから、もうこんなことはしないでください。……それに、そう思っているのは私だけじゃありませんよ」

痩せて骨ばった肩にそっと手を置く。彼女が顔を上げる。
涙に濡れた瞳が私を見返し、ゆらゆらと揺れていた。
逆立っていたオーラが緩やかに凪いでいく様子が分かる。


「これまで、なずなさんの身に起きた様々なことが、人を信じる気持ちを挫いてしまったことは理解しています。長く、苦しい時間だっただろうと思います。
…でも、一度立ち止まって、これまでのことを一緒に振り返ってみませんか? 過去のわだかまりを少しずつ解消することは、結果としてあなたの利益になることだと私は確信しています」

私を信じてほしいとは思わない。
信じてほしいのは彼女自身の未来だ。
この先に広がる無限の可能性だ。

「なずなさんからの電話を心待ちにしていました。次に会ったときにすべてを話す、というあの言葉が嘘ではないのなら、どうか、私に明かしてください」



「……仕事だからでしょ? ……そうじゃなかったら、関わりたくもないよね? あたしなんかに…」
問うことで不安や疑念を払拭したいのなら、いくらでも訊ねてくれて構わない。彼女の冷えた手を取り、私は微笑む。
「縁というものは、意外なところで繋がっているものですね。なずなさんが、長い間、主人のファンでいてくれたことを私は知っていますし、そのことを感謝してもいます。その思いは主人も同様です」
「…Ruiも? …本当に?」
「あなたが主人に送ってくれた手紙は今も会社に保存されています。その時、手紙に託した気持ちや願いを、いま一度、思い出してみてください」


なずなさんの瞳に新たな涙が浮かび、くしゃりと表情が歪む。
繋いだ手は小刻みに震えていた。


「亡くなったお母様を偲ぶ気持ち、教わったピアノを愛する心、自分の可能性を信じる力…。どれも大切なことです。あなたをあなたらしく彩るものです。

なずなさんとは仕事を介して知り合うことになりましたが、あなたと向き合いたいと思う気持ちは、仕事の範疇を超えたところにあります。弁護士としてではなく、ひとりの大人として、そうしたいと思っています。ですから、どうか…」



さらに言葉を継ごうとした時だった。
私を押しとどめるように、強く手を握られた。


―ごめんなさい。


呼気とともに吐き出されたその言葉を、深い安堵とともに聞いた。
それは私という存在が、真の意味で彼女に受け入れられた瞬間だったと思う。





涙が止まらなくなったなずなさんを励ましながら車に戻り、連絡を待ちわびているだろう千石社長に電話をした。彼は声を詰まらせ、何度も謝辞を述べた。
それでも、なずなさんが「今は会いたくない」と父親に会うことを拒否したため、私達は再会しないまま各々で仙台市内に戻ることになった。


帰りの車中、彼女は助手席で膝を抱えたまま、ずっと泣いていた。涙は、拭っても拭っても溢れてくるようだった。なずなさんには、そんなふうに手離しで泣ける時がなかったのかもしれない。

信号待ちの交差点で温んでしまったペットボトルをそっと差し出すと、彼女は無言で受け取り、喉を鳴らして飲んだ。ミニサイズのそれを一気に飲み干してやっと区切りがついたのか、彼女はポツポツと話し始めた。


「…どこから話したらいい?」


過去への扉が開こうとしていた。






いつも拍手をありがとうございます。
嫌われたいけど、嫌われたくない。信じたいけど、信じられない。
自分の言動と良心の呵責に混迷するなずなの心情を追いました。うまく表現できていればいいのですが…💦
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2 Comments

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2020/06/16 (Tue) 17:29 | REPLY |   
nainai

nainai  

ゆ様

おはようございます。コメントありがとうございます(*^-^*)
これまでの話の流れがぎゅぎゅっと濃縮されていましたね。

中盤はなずなの過去編です。彼女には『どうして?』と思うことがたびたびありました。それをつくしとともに振り返り、解釈し直しながら、現実問題と向き合っていきます。

これに対し、類は何を思い、どう行動するのか。時間経過と心情を丁寧にトレースしてみたつもりです。類のターンは近いです。楽しみにしていてくださいね(*^^)v

2020/06/17 (Wed) 06:01 | REPLY |   

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